なぜ学習塾の仕事を選んだのか(1)
はじめまして。
岡山県津山市の学習塾てらこや代表の川島といいます。
年齢は2020年で45歳になります。
学習塾てらこやは2002年に生徒3名の個人塾で開業。
紆余曲折を経て2016年には法人化し現在は津山市に3教室を展開、2020年の生徒数は200名前後です。
ホームページやブログも書いていますが、このnoteでは自分やてらこやの歴史を書いていこうと思います。
主に「やらかし歴史」がメインです(笑)
見ていただきたい対象は、現在塾を運営している方やこれから自分で塾を始めたい方、さらに他業種の若手サラリーマンや起業したい方などで、私の「数多くの失敗」や「ほんの一握りの成功体験」がお役に立てればと思います。もちろん生徒や保護者様も歓迎です!
現在のてらこやを知っている人は「今まで順風満帆だったんでしょ?」
なんて思われることもあるかもしれませんが、ここに至るまでに多くの挫折と困難をくぐりぬけてきました。
まさに1冊の本が書けるくらいで、せっかくだからブログではなくnoteに連載していこうと考えました。この連載はいつ終わるかはわかりませんが、どうぞ末永くお付き合いください。
なお、個人塾がいいのか、法人塾がいいのか。
(いい、というのは指導面・運営面の両方について)
それは今でもわかりません。
それぞれのメリットデメリットも今後書いていきたいと思います。
自業自得
1999年。
大学卒業がせまり悩んでいました。
地方国立大学の理系に在籍していた私には、工場の保守管理や一部の研究職・システムエンジニアなど職の選択肢がありました。
しかし、時は就職氷河期。
現在30代後半から40代の人にはわかると思いますが、バブル期とは異なり、とにかく仕事がなく一部の優秀な学生だけが大手企業に就職していました。
いや、あることにはあったのです。
大手にこだわらなければ。
いわゆる派遣が流行り始めた頃で、大手に就職できないものは、新卒なのに一時的な給与の良さに目がくらんで派遣に流れていく者もいました。
そして、私は不健全な学生でした。
授業をさぼって釣りに行く・海に泳ぎに行く・麻雀をする、ホテルやカラオケのアルバイトでできた仲間とぐーたらする、そんな毎日でした。ゲームの腕にも自信があり、ウイニングイレブンでよく友達をいじめてました。
「え、先生が!?」と思われそうなのでこれ以上書かない方がいいかもしれませんが、案外ふつうの人です(笑)
学生生活を謳歌していた私は大手に就職できるはずもなく
就職活動は困難を極めました。
まさに、自業自得です。
派遣で務めることも考えましたが、手に職をつけないとなんとなく将来困りそうなことくらいは私にもわかりました。
出した結論は…
公務員試験を受けるということでした。しかも畑違いの行政職を!
志望理由は、ずばり「給料が安定しているから」です。
就職氷河期では公務員はとても人気で、とんでもない倍率でした。
意外におもしろかった公務員試験の勉強
当然、いきなり合格するわけはないので、まずは勉強しました。
狙いは、国家二種や岡山市役所です。
1年目はみごとに全滅。
まあ、そんな簡単に受かるわけないので当初から2年計画でした。
経済原論(ミクロ経済・マクロ経済など)や財政学は理系出身なのでまだ理解しやすかったと思います。すぐ得意になりました。
ところが、文系科目の憲法・民法などの法律関係や政治学・行政学・社会学は大変苦労しました。
暗記が苦手だったので本を読んで楽しむことから始めました。
特にマックス・ウェーバーの「職業としての政治」「職業としての学問」は
何回も読み返しました。今思うとちょっと変人ですね(笑)
その甲斐あってか、2年目の受験で岡山市役所の1次試験に合格しました。
2次試験は職場見学と面接です。ところが、面接で…
今回はここまで。
週1回くらいのペースでまったり執筆します。
次回「なぜ学習塾の仕事を選んだのか(2)」では、川島の大失敗が
さく裂します(笑)
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ではまた!
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