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肌感覚 記憶

島に住んで9年目になると、いつもの風景が当たり前になってくる。いつもと同じ形をした島。そんな形の変わらない島だからこそ、今日の景色というものが毎日違ったものに見える習慣がつくのかもしれない。異なる景色が日々羅列されていく中で、1年前と驚くほど似た景色に、巡り巡って今日出会った。

1年前に生徒のひとりが授業中に怪我をした。魚を捌いている時に、ゴム手袋をつけずに素手で鱗を落としていて、背びれが中指に突き刺さったのだ。

ちょっとした不注意で片付くと思っていたことが、のちのち「中指事件」と呼ぶほどの大事になるとは知らず、お医者さんが中指から取り出した背びれを、生徒はガーゼに包んで記念に持って帰ろうとしていた。

その日は、快晴なのにすごく風が強くて、島の高いところから見渡すと、至る所で白波が立っていた。エアコンの効いた無風の診療所から出た途端に、不意な強風に煽られ、大事な記念品の背びれ入りガーゼが、生徒の手からこぼれ飛んでいった。確か鯛の背びれだった気がする。

大事な記念品を失ってしまった小さな悲しみを抱えながらも、ひとまずは治療が済んで一安心といった解放感もあって、診療所からの帰り道の途中で呑気に復活おめでとう写真なるものを撮っていた。よく通りがかる港だけど、驚くほど輝いていた。港に向かって風が入るようなところで、風がまくしあげる波しぶきに、太陽の光が反射しているのだ。

治療した中指を立てる昨年度の生徒(2022年6月29日@堤港 )

今日は、そんな記憶と全く同じ光景を目にした。そこの景色にないのは、その生徒の姿くらいというほどに。びっくりして、去年に写真を撮った日をinstaで遡ってみる。去年の6月29日に撮影していた。今日は、6月27日。たった2日の違いが惜しいけど、ほぼ同日に再現する自然が凄いと思う。

2023年6月27日@堤港

このくらいの暑さの、こんな風の時の、こんな景色。同じ形をしながらも変化を続けて、繰り返されていく景色の積み重ねが、自分の肌感覚として記憶されていく。今日もひとつ、確かな記憶を肌感覚で重ねた。田んぼの緑が濃くなって、風になびく景色も今日の肌感覚として追加されているはず。

そんな肌感覚を頼りに、まだ早過ぎると思いつつも、茗荷を探してみたけど、案の定まだ出ていなかった。茗荷と一緒に流し素麺を食べるのは、もう少し暑くなってから。楽しみに待つしかない。

(文:島食の寺子屋 受入コーディネーター / 恒光)