見出し画像

逗子からのお便り

隠岐の生活から離れて2ヶ月が経ちました。
今は逗子に住み、海と山に囲まれながらも街もあり、個性的なお店や東京から人の流れもあったりしてたくさんの出会いに溢れた日々を送っています。

私の中で隠岐で海に囲まれた生活をした記憶が大きく、海がそばある生活を引き続き本土で行いたくて逗子に住むことを決めました。

他にも逗子を選んだ理由は、社会的な軸ではなく自分の軸で暮らしや仕事を楽しんでいる人と出会ったり。食をはじめとする暮らしの営みそのものや自然に対して意識が高い人がいたり。昔ながらの商店が残っていたり、人の繋がりがあり、あたたかい空気を街歩いていたら感じたからです。

交換日記1通目_210613_1

寺子屋が自然に囲まれた環境であること(自給自足が行える)、離島であること、人の繋がりがある、などなどいろんな寺子屋を構成するにあたり置かれている“環境”が与える影響ってとても大きいものだと思っています。

それを一年で感じたからこそ私は土地の印象で住む場所を決めました。(もちろんこれは色々就活し、いろんな場所を旅し、お店を渡り歩き結果としてこの考え方に至った感じですが)

交換日記1通目_210613_2

でもいまのところ、私はこの選択は自分にとってはぴったりだったと強く感じる日々です。やはり、土地や環境が人を育むというのは一理あるのではないのかなと日々の出会いや体験を通じて肌で感じます。

前置きがとてつもなく長くなってしまいましたが、現在私は平日は葉山の発酵・薬膳料理家さんのもとでアシスタントをしながら、週末は北鎌倉にて日本料理店でアルバイト、6月からはまちの社員食堂というところで働く予定です。

交換日記1通目_210613_12

私は将来的には暮らしの中での食の大切さを伝えていける人になりたくて、食にまつわる様々な経験、学び、出会いを隠岐から引き続き続けているような毎日です。

食を仕事にするって簡単なようで突き詰めれば突き詰めるほど奥が深く長い道のりが待っていて、隠岐で過ごした濃厚な体験を本土に帰ってきて今度は違う先生方に教わりながら二週目を自分の指でなぞっているような感覚です。

隠岐ではとにかく形だけ必死になぞっていたことを、こっちでは半歩進んでなぜかを知る余裕が出てきたり、また環境が変わることで同じことでも新たな気付きがあったり、、、。とはいえまだまだ、経験も知識も未熟で卒業生といえど食の世界でいえば島から出たひよこ状態ですので、寺子屋のみなさんから教わることのほうが山程あると思います。

交換日記1通目_210613_3

寺子屋で過ごした日々に思いを馳せながらも、いまの目の前にある逗子での日々に向き合い、お互いを縫い合わせるように紡いでいけたらと思います。

宜しくお願い致します。

(島食の寺子屋 2020年度 卒業生:岡村 恵)