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どうでもいい余裕

ここ最近、2日に1回くらいの頻度で近所をジョギングしている。ジョギングの目的はわかりやすくダイエットだ。この島でジョギングをしている人を見かけることは稀。なんせ、メタボになるような生活習慣を送っている人が少ないからである。

農家も漁師も、暑かろうが雨だろうが、日常的に体を動かしている。日々の動きが生産性を伴いながら、体の健康管理もできているというのは、とてつもなく効率的というところが羨ましい。

なので、ダイエットの為にジョギングをしている私の生活は、島民からするとかなり効率が悪く映っているのだろう。とはいえ、気になるお腹周りは、走り始めない限りすっきりする訳ないという結論に変わりないので、とにかく走り始める。

島食の寺子屋校舎のある地区は、山が海に浸かるような地形で、海から山へと続く斜面に家々が立ち並んでいる。つまりは、平坦な走路は殆どなく、上り坂か下り坂しかない。
ジョギングを徐々に始めたいという初心ランナーの甘えは、存在そのものを認められず、とにかく上級コースへの挑戦のみが許される。

最初から上り坂を走ると、後半戦がずっとしんどくなるので、下り坂からスタートするようにしている。坂の下から向かってくる風が心地よくて、右、左、と交互に景色を眺めながら進んでいく。左を見れば青くて小さい柿の実を見つけて早くも秋の味覚を想像したり、右を見れば防波堤の横をすり抜けて湾に入り込んでくる波の感じが見えたりする。

近頃は大雨が続いていたせいか、滝がないはずの岸壁から滝が流れ出ているのが遠めに見える。普段だったら、湿らせる程度の水の通り道になっている場所なんだろうなと、正解かどうかの自信が半分以下の推測をしてみる。

下り坂を終え、ほんの少しだけ平坦になる場所が海岸線沿い。潮位は日々変わっているように見える。普通の天気の日でも、船が陸に上がっていきそうなくらいに潮位が高く見える日もある。と思った次の日には、元通りに戻ったり。岸壁の高さの設計をする時に、どのような計測値を使うのか少し気になった。

いつも魚の仕入れでお世話になっている定置網の漁港も走り抜けると、誰もいない漁港であっても魚の匂いが少し漂っていて、人がいなくても漁港であることを感じさせ、今朝の魚仕入れのシーンを少し思い出す。

定置網の網は膨大な量

近くに停まっている定置網の漁船に目を向けると、船よりも大きく膨らんで見える網が載っている。明日は網の入れ替え仕事で漁はしない日だなと、人よりも一足早く明日のことを知れて少し嬉しい気分になった。

最後の上り坂  45度くらいあるように感じる

最後はいよいよ上り坂。
どの上り坂のコースも、初めて走りながら上がる時は、本当にきつい。普段は車のエンジンをふかしながら楽々上っているのに、自分の体のエンジンとなると全く馬力が出ない情けなさ。車に頼り切っていることと、普段から地に足の着いた歩き方をしていないことを痛感する。
それでも、何日かに渡って繰り返して同じ上り坂を走っていくうちに、不思議と体も慣れてくるし、気持ちにも余裕が出てくる。

登り坂の途中で山水の通り道を見つける

余裕ができてくると、どうでもいいことたちに気付き始める。車に何度も踏まれた竹はこうなる。繊維100%。

さらに、もうひとつどうでもいいけど、成長途中の竹はこんな感じに縞々になる。竹皮はロケット発射後に切り離される部品のように、緑の竹の成長ととも地面に落されていく。

ジョギング中に見つけることは、どうでもいいこと、といえばどうでもいいこと。ただ、どうでもいい余裕から、何かを見つけていく過程は、決して無駄ではないと感じている。

(文:島食の寺子屋・受入コーディネーター 恒光)