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精進料理な休日

海士町で生活をしてみて、特に驚かされるのが、図書館の充実具合です。ラインナップが豊富で、海士町の歴史に関する本も充実している上に、リクエストをお願いすると、余程の内容でない限りは、ほぼ確実に蔵書に加えていただけるので、思わず街の本屋さんの経営を心配してしまうほどで、退屈することのない暮らしが営めています。

リクエストができるとなると、図書館の本棚にも町の特徴が現れてきてます。園芸関係のコーナーがやたら分厚く感じるのは、家庭菜園をしているお宅が多いからでしょうし、なんとなくビジネス書が多いような気がするのは、Iターンで移住した若い人が増えてきたり、複業で暮らす人が多いからでしょうか。もちろん、寺子屋の生徒がリクエストしたものなのか、料理関係のコーナーも、違和感を覚えるくらいには充実しているように思います。私は、最近の興味関心に倣い、精進料理の本をリクエストしてみました。こうしてまた、この町の図書館の特徴が強化されたことと思います。

レシピ本を入手した際、私はとりあえずパラパラめくってみて気になったページにザッと目を通すという読み方から始めます。そこで目に入ったのは、「精進料理とは」というコラムでした。そこには以下のようなことが書かれていました。

(どんな食材でも選り好みせず、等しく大切に扱って、無駄にせずできる限り活かして調理する態度を忘れなければ、たとえ肉魚を使っても精進料理たりえる、と私は考えています。ですからみなさん方はご家庭で野菜でも肉魚でも、そうした姿勢でありがたく感謝して調理し食せばよいのです。)引用

(出典)高梨尚之『はじめての精進料理 基礎から学ぶ野菜の料理』(東京書籍、2013年)、17頁。

精進料理にももちろん細かい定義などはありますが、突き詰めれば心の問題であるというのは、目に鱗で、ここの一節だけでも、いいレシピ本に巡り会えたなと感じました。そしたら、今週は、この本のレシピを参考にお弁当を作ってみよう、と思い立ち、買い物に出かけます。

その休日は、島の施設でバザーが行われるということで、顔を出してみることにしました。島に移ってから、子どもや赤ちゃんをよく見るようになった気がするのは、こういった地域のイベントが多いからでしょうか。

バザーでは、久しぶりに珈琲をいただいたり、多肉植物の置物を購入してみたり、以前はすることのなかったお金の使い方をしている自分に驚きながら、お店を回っていましたが、特に気になったのは、野菜の無人直売所のお店でした。そこでは、間引きされた小さい人参とカブが束で売られていました。こういう食材を調理するのは精進料理っぽいかもしれない、などと考え、とりあえず購入してみました。調理法は帰り道や、家の台所で考えることとします。

家に戻り、冷蔵庫の中身を確認してみると、賞味期限の近い蒟蒻、野菜出汁に使おうと思っていたが、それにしても多すぎる大根の皮、とりあえず取っておいた昆布の出汁殻、収穫から時間が立ってしまったけれど、味を見たらまだ大丈夫そうな筍などが見つかりました。これらを全部使えたら精進料理っぽいかも、ということを考えながら、献立を考えていきます。

間引きの人参は、可愛らしい見た目を生かすために、とりあえずそのままの姿で甘露煮に、葉の部分は風味がよいので、天麩羅にして香りを閉じ込めることに、食感の固い昆布と大根の皮は、よく火を通して金平にし、そこに蒟蒻を投入、筍は出汁に使った椎茸などと一緒に甘く煮込んで、混ぜご飯に、全体的に甘辛い料理が増えてしまったので、カブは塩麹と酢でサッと和えてバランスを取ってみました。

完成してから、天麩羅の衣に卵を使っていたことに気が付き、動物性のものが入ってしまったという反省もありましたが、食材を余すことなく大事に使ったつもりだったので、精進料理と呼んでもまあいいか、そのくらいの感覚なんだろう、と思います。食材を余すことなく大切に、という感覚を研ぎ澄ますと、案外食べられるものはたくさん転がっていることに気が付きます。学校で、プロフェッショナルとしての料理を学ぶのはもちろんですが、一方で、日常生活のささやかな食べ物に関する感覚も養えれば、といったことを考えた休日でした。



(文:島食の寺子屋生徒  岩崎)