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卒業インタビュー(岡村さん)

1年間を通して、改めて食への向き合い方を見つけた岡村さん。目に見えないベースの方が大事だけれども、目に見えないからこそ焦ることも多い。それでも、積み重ねの大切さが見えてきたそう。(聞き手:受入コーディネーター・恒光)

一年間お疲れ様でした。今の気持ちを聞かせて下さい。

スッキリしました、自分の中で。
すっきりしたし、自分の中でこの一年の大きさを感じています。

すごい大きさの感想だね(笑)

この1年の大きさ。
たぶん一度本土に出てから島に戻ってきたのが大きかったのと。
色んな人に寺子屋の話をした時の相手の反応もそうだし、話している私自身もそうだし、すごい体験をしたんだなって体感しました。

入塾した理由を教えてもらえるかな。

食の世界に入ることを決めていて、その世界に入るとなった時に、食の原点って、まずは自分の食べているものだなと思っていて。

自分が食べているもので自分ができていると思うし。
それってなんなんだろうと思った時に、和食だなと思って。

そして、和食ってなんだろうって考えた時に、そもそも昔はその土地で採れたものを、その時あるもので暮らしとともに自然とともに、食に関わってきたはずだなと思っていて。

それを自分の中で体験として学ぶってことが、これから食の世界に入っていくうえで、知識とかには変えられないものになると思ったから選びました。

ちなみに、島の外に出た時になにを感じたの?

例えば、自然のこと環境のこと、持続可能な社会がどうかについて、意識を高くもって活動されている方も沢山いらっしゃって、そういう方とお会いしたり話すことがあったんですけど。

たぶん、そういった意識の高い方たちが、勉強をしたり、都会でできる自分たちの行動とかをされていて、そういう方たちの行動そのものもすごいと思う一方で。食との関わり、地域との繋がり、自然との関わり、それらのトータル的なものを、人工的にではなくて、本当に生きていく為に体験としてやっていくって、都会でお金で買えないっていうか。

都会はお金で買って便利になるようにシステム的になっているから、自給自足の生活をとか目指していても、例えば湧き水がないとか。魚も結局はおろされたものしかないという現実的な壁があったり。

食の原点を知ろうと思っても、それができないような社会の仕組みになってしまっているから、人から話を聞くとか映像で見るとか、ネットとか本とかで調べることはできても、それを本当に自分の肌で感じる体験って簡単にはできないんだなと思いました。

別にそれがどうこうじゃないんですけど、意識高い人たちが頑張ってやろうとしていることが、島では自然にできる環境。

それをしていかないと生きていけない環境って、いま日本の中でできる場所なんて、本当に少ないしそういう場所に出会えている人も少ない。こういった場所に、行けるタイミングに自分がいたということが、すごいことなんだなって感じました。

島に戻ってくる前と後で、感じることに違いはあるのかな?

単純にずっとここにいたら、景色とか人との会話とか繋がりとか、自然にその辺りに生えているものって、本当は季節によって違っているはずだし、自分の中でも変化していっているはずだけど、忘れがちで。

具体的な例でいったら、散歩している時に植物が沢山生えていて、自分で花を摘んで帰って家で生けようと思った時に、海士にはたくさんそういう植物がある。

それに鳥の鳴き声の響き方。都会でも鳥は鳴いているんでしょうけど、やっぱり全く力が違うというか、やっぱり自然の中に人が入らせてもらっているという感覚。

他の地方都市でも、多少自然があっても、人間ベースで全てが作られていて、人間の都合のいいように自然も配置されていて。そういう環境の違いを、一旦島を離れたときにやっぱり感じて。

改めて、海士ほど自然があるところはないんだって感じましたね。

仮に、海士での生活を都会でしようと思ったら、たぶんすごいお金がかかるんだろうなって思いました。こういった場所を探しあてるまでに時間がかかりますし、例えば山に入って山菜を取るにしても、素人は基本どこにあるかわからないから、そういう専門家の方にお金を払って摘ましてもらう形でしか関われないのかもしれないなとか。

暮らしの中で、自然の中でどういう場所に生えていて、いつの時期に出てきて、それを自分たちが一年間切らさないようにどういう風に食べていくか。そういうのが、都会はシステム化されているというか。

寺子屋での学びって、暮らしとか仕事にどういう風に生かせそう?

料理の基礎ってなんだろうとか、どこまで学んだらいいのかとか、何もわからないからこそ明確な基準がほしいし、答えがほしいしという自分が最初にいたんですけど。

本当は最終的に、十人いたら十人の答えがあって、正解もないし、それって本当に毎日の積み重ねの経験でしかなかったんだなって、色んな人と話していくなかで思って。

積み重ねの結果、自分なりの感覚とか美味しさとかが分かってくるんだなって。とはいっても、最初の入りというか、包丁をどう持つかどう触るかからスタートして。

そういうことをちゃんと学ぶ機会って、自分でお店を開いている人も、意外と少ないんだなって分かって。そういう意味で、最初の目には見えないベースというか、先生の中でも私たちの中でも、ただ野菜を湯がくだけってことでも、「これはしないよね?」っていう何十回も重ねてきた常識があって。

いま自分が知っていることは、それを知っているだけでは何にもならないとか思っていたけど、この1年間で先生から色々と日常の中で小さな細かな蓄積されていった言葉によって、私たちの一旦の常識があるっていうのは、これから自分がどういうような料理をしていくうえでも、まずは土台になってくれるんだろうってことはすごく感じています。

ちなみに卒業後はどちらに?

葉山に住まれている、日本の薬膳料理と発酵というものを研究されている薬膳料理家の山田奈美さんという方のアシスタントと、北鎌倉の茶飯事さんという日本料理のお店で、お仕事をさせてもらう予定です。

そこを選んだ理由は?いくつか他に内定を頂いていながらも。

山田奈美という料理家さんにピンと来たのは、その方が暮らしている中に、私が寺子屋に来る最初の理由ともなっている、その日に取れるその土地のもので料理を作るっていうこともそうだし、和食の薬膳ということを勉強されているところで。

普通の薬膳って、中国人の体に沿ったもので。その中で奈美さんの伝えられている薬膳は、日本人の体に合った薬膳で。要するに食べることが、日本人の体にどういう風に影響を与えるかというのを、料理ベースだけではなくて、本当に体調ベースで知識を持たれていたり、体感として経験されていて、それを料理教室とか雑誌とか本とかのメディアで伝えられている方で。

一般的な料理家って、色んな良いものを揃えて、こうやったら便利で美味しい料理ができるんですよって伝えている人が多い気がしていて。でも、昔から紡がれてきた日本の昔ながらの食の関わり方を自身の暮らしの中で実体験し、それを伝えられている奈美さんの姿ってすごい説得力があるなと思っています。仕入れる食材もなるべくその土地に根ざしたもの、旬に基づいた食材を中心に料理教室をされているなって。それは私の中ですごい大事だなって思うことで。本当に色んな事が自然であるというか。そういったところに惹かれました。

暮らしを、仕事にされているイメージだね。

奈美さんは、おうちに生徒さんを呼んで、自分がどういう風に発酵と向き合っているかとか、実際に自分が作っているものを見せてみたりとか、一緒に仕込んだりとか。調味料の味噌とか麴とか、自分たちで一から自分たちで作るところから、スタートしますし。

やっぱり昔ながら受け継がれてきた和食の文化って、たぶん知識としてのレシピがあったとしても、それは単なるレシピでしかなくて。

それを本当の意味で自分の感覚として身につけるのって、毎日とか毎週とか毎年の積み重ねでしかない。即席的に身につくものって、やっぱり即席的にその場で終わってしまうし。

昔から受け継がれているものとか、私が大事にしたいと思っているものは、たぶんすぐには身につくものではないけど、ちょっとずつ体感として重ねていって出来上がるものかな。

そういった意味で、寺子屋が体感として重ねていく1年目なのかなって思います。

自分の変化が見えないことに焦るかもしれないけどね(笑)

目に見えて分かる変化もすごい大事なんですけど、本当に大事な感覚とかってすぐには身に着かないって頭で分かってはいるけど、まあたぶん焦ると思います(笑)

でも、大事にしたい感覚が何かということが分かったので、寺子屋のこの一年もその話と繋がってくるって、奈美さんと出会えて思えましたし。奈美さんにピンときた理由と、寺子屋に来た理由も結局自分の中で繋がったのだと。

改めて一年間を振り返ってみて、食との向き合い方を見つけられた?

自分の中で商売としての料理を作ることが向いてないんだなって思いました。料理でお金を稼ぐこと、すごく美味しい綺麗な料理を作ってお客様に出すことが、わたしの中での目的じゃなかったというのがすごくあって。

岡村がそういう人なんだってのが、この一年を通してこちらでも分かった感覚。

一方で、離島キッチン海士での実践授業もだけど、オンライン料理教室とか色んなことにトライしてきたからこそ、状況の変化の中で進められるものは進められるし、ちゃんと最後は終わらせる力は傍で見ていて、すごく感じる。
チームワークで動く力がついたというか、みんなの動きが変わったんだろうな。

それもすごい感じました。離島キッチン海士では、当日まで食材が分からなかった時もあったし、前日にメニューを発表されて料理することもあったし、予定の変動が色んなところであったし。

自然ベースだから、それが当たり前だとは思ったんですけど。今まで都会とかで会社員の生活をしてきた時って、急な変更が無いように過ごすはずなんですけど、無難に無難にって。だけれども、島ではそうじゃない。

これから先って、予期せぬことが起きることが当たり前になるだろうし、その土壇場力ってめっちゃ大事だよって言われて。でも、その土壇場力も目に見えないというか。

恒光さんは1年経って、そういう風に皆が落ち着いて対応できるように見えたと仰って下さいましたけど、私たちのなかでは「結構やばかったやばかった。なんとかなったけど、やばかったよね!なんとかなったけど、すごかったよね。」という話をしていて(笑)

本当にそういった積み重ねをしてきて、その体験が生きてくるんだろうなって思うし。

それこそ、アシスタントの仕事も明日急になにかが入るとか、全然予定が変わるとか、ものがないとかあるだろうし。そういうことが起きたときに、寺子屋での目に見えない学びが、自分のベースにあることを気付くかもしれないですね。

島での暮らしってどんな風に捉えていた?

自然の摂理の中で暮らしている感覚。一旦、湧き水を飲んだら、水道水が本当に棘があるように感じて、カルキが入っているのもあるので。それが気になるなって思うからこそ、天候と自分たちの生活を読みながら、湧き水を汲みに行くスケジュールを考える。雨が降ったあとは水が濁るから、何日間の水を汲んでおかないといけないのかとか。

なるほど、そういう自然の摂理ね。

それに、旬のものしか使わないとなると、旬のものが大量に入ってくるじゃないですか、一気に。ちょっととかじゃなくて、それ一色になる。例えば春だったら大根なら100本ある、だけれども大根しかない。そしたら、当たり前ですけど体の中は大根だらけになるわけじゃないですか(笑)

それって体にとって良いのかな?って思ったけど、意外に飽きなかったし。すごいハードな生活はしていたし、たぶん体はすごいビックリしてたと思うんですけど、その割に変な体調の崩し方はなかったから。たぶん自然のベースに沿って食べて、自然から頂いたものを料理させて頂いていたのが、すごく大きかったんだろうなって。

卒業後も寺子屋に関わるとしたら、どのように関わってみたい?

寺子屋はハレのプロフェッショナルで、私がこれからやっていきたいことはケのプロフェッショナル。でも両方ともベースは自然にあるというか。だから、そういう意味で繋がっている部分があると思うので。

イベント的にもいいし、なにかしらの形で関わっていったり、情報交換もしていきたいと思う。寺子屋の話をしただけで、湘南エリアの食や暮らし、自然に意識がある方々は関心をもって下さって、すごい可能性があると思って。そういう意味で化学反応が起こせたらいいなと思うんですけど。

伝えることを仕事にしたいということは、これまで何度も聞いてきたけど、伝えたい気持ちの原点ってなんなんだろうね?

そもそも、なんであんなに写真を撮ったのか不思議です!

こんなにも普通の一日の中に、驚くことや感動が沢山あって、綺麗なものとか音とか沢山あって、その感動みたいなものが自分の中にすごいあったから、それを純粋に自分の表現として、形にすることだったかもしれないです。

自分のためのものだったんだ?

そうです。自分のためにやっているというか、インスタのフォロワーを気にしていないわけじゃないけど、でもフォロワーが減っても自分のペースでばんばんあげるし、たぶん偏りもあるだろうし。

これからアシスタントをするって時に、伝えるということが「仕事」になっていくよね。そうするとなにを意識していく?

私が一番意識するのは、気負っていないこと、自然体でいることなんだなと思って。奈美さんとお会いしたときに、「仕事だから」と力んでやっている雰囲気じゃなくて。本当に自然体でこれが大事だなって思うから、伝えていっているのだろうなと思って。その在り方に惹かれました。

そういう姿勢とかって生徒さんに言葉としてではなく在り方として伝わっていると思うし。伝えるとなった時に、「これを言わなくちゃ」って伝えているときって、全部やっぱり片言になってしまうなと。本当に自分の感覚で湧き上がってきてはじめて伝わるものが沢山ある。そういったことを伝えていきたい。

海士のごはんで一番美味しかったものは?

目の前にある食事も大事なんですけど、食べる雰囲気とかコンディションとか、私の中では美味しさに繋がってくると思っていて、その場の雰囲気というか。

でも、海士町で食べるものって基本美味しいんですよ、素材そのものが新鮮だし。そう考えると、シェアハウスで食べるご飯が一番美味しかったですね。

ちなみに、いまどんな料理で誰を喜ばせたい?

料理とは少し違う話になってしまうんですけど、お世話になった方々に挨拶に回ったのは大きかったです。

メッセージカードを書いたときに、「ありがとうございました、お世話になりました」だけじゃすまなくて、書ききれないことが沢山あったし。まとまらないことも沢山あったし。

でも、それだけまっすぐ向き合って下さった方が多かったし、私たち自身もすごい素直になって寺子屋で学んでいたんだなって。うわべだけの付き合いじゃないというか。本当に自分が思うことを話すという環境があったんだなと思って。

見えない力で支えられていたんだなって、挨拶に行って感じました。
生産者の方との関わりも、毎日関わるわけじゃないし、限られた時間しかないけど、すごい私たちのことを想って下さっていたんだなって。

あと、本当に島って、なんでもなんとかなるよな~って。

なんでもなんとかなるって、どういうこと?

お別れの挨拶周りをしているのに、毎日のようにどなたかから食材を頂いて、食べるものに困らないとか。人の繋がりがあるっていうのが大きいんでしょうね。あと、自然があるってことで、本当になんとかなるんだなって全てが。

料理でも一緒で、自分の思い通りのものが入らなかったとしても、なんとかできてしまうというか。都会だったら、これとこれがなかったら、もうなにもできないとか。

この一年間での学びを改めて要約してみてくれるかな?

料理って答えがないんだなって。
で、答えがないから、経験とか体験から得た自分の感覚を大事にすることが、結局全て自分の料理に繋がってくるんだなと思って。

この一年が自分の料理になっていくんだろうなって。

最後に。自分自身やこれからの生徒にでもメッセージをお願いします。

その時々で色んな事に惑わされて焦ったり、本当に自分がこのままどうなっていくんだろうかとか、全然できていないとか、そういう想いって私もこれから出てくるだろうし。

もしかしたら、次の寺子屋の生徒さんも出てくるかもしれないけど、でも学びはすぐに目には見えないし。お金には変えられない学びが沢山あった場所だし、たぶん10年後くらい?、もしかしたら半年後くらいに出てくるかもしれないですけど。それこそ死ぬときに思い出すかもしれないです(笑)

この一年、上手く言葉にできないことが沢山あって、でもそれって衝撃だったからだし、それが日常化してしまった部分もあるけど、自分の中ではそれがすごい大きくって。大きすぎて自分の中ではまだ消化しきれていないことが沢山あって。だからこそ、形にならなくて焦る気持ちも沢山あったけど。

でも、5年後とかに自分が新たな場所に立って、新しい色んなことをやっていくうちに、寺子屋で感じたこととか自分がやったこととかが、どんどん記憶が遠ざかっていくので、もっとシンプルになっていくと思うんですけど。そこに葉山とか鎌倉での経験が足されていって、時が経つにつれて海士での時間が熟成されていくというか。

気付いた時にすごい大きなものになるんだろうなって。

その感覚はなんなんだろうね?

たぶん時が経ったら、よくも悪くも色んなことを忘れていって、自分の中で印象深かったり大切なことだけが残っていく。そして、たぶん記憶も美化されていったりとか(笑)

今日、誰々に怒られてしまったなとか、誰かにこんなこと言ってしまったなとか。日常だったら本当に些細な感情のこととかに左右されるけど。そういうのを全部なくなって年を重ねるごとに、自分都合な色になるかもしれないけど、海士での時間が発酵されていって、いいものになっていくんだろうなって思うから、それを信じて私も頑張るし、次の生徒さんもそれを信じて頑張っていってほしいです。

では、10年後を楽しみに待っています!ありがとう!

ありがとうございました!