情熱大陸+ プロクラッカー選手_木村ヒロキ

【シーン】:

フィギュアスケートのキス&クライのような風景。点数の発表を待ち、点数が発表されると同時に歓喜と涙の表情。大歓声も。

【NA(ナレーション)】:

彼がクラッカー競技の世界に彗星のごとく現れたのは、4年前。若干21歳のときだ。フランスで行われた、クラッカー競技でもっとも歴史と人気のある競技会「ユーロ・ド・クラッケ」でアジア人としては史上初となる3位に輝き、一躍トップ選手の仲間入りを果たした。プロクラッカー選手、木村弘樹(きむらひろき)、25歳。日本ではまだまだ知名度の低いマイナースポーツであり、その競技人口も、少ない。でもその世界で木村は、キムヒロの愛称で親しまれ、圧倒的知名度と人気を誇る。

【外人老夫婦(ファン)】:

「キムヒロよ、写真を撮ってもらいましょうよ。」

【シーン】:

写真撮影に応じる木村。

【ホプキンソン(トップ選手)】:

すばらしい、こんなに美しいプレイを見たのは初めてだよ。ありがとう。エキサイトしてるよ。

【シーン】:

カメラのレンズにサイン

【NA】:

日本ではあまり知られていないクラッカー競技だが、そのルールはいたってシンプル。60秒以内に、協会認定のクラッカー5枚をいかに早く美しく食べるかで競われる。スピードは技術点として、美しく食べるか、すなわち、いかにこぼさずに食べるかが芸術点とされ、技術点10点、芸術点10点、計20点の合計得点で順位が決まる。

【NA】:

みなさんも試してみてほしい。クラッカー5枚を1分間でキレイに完食することが、どれだけ難しいことかがおわかりいただけるだろう。

【NA】:

体格のいい欧米選手が揃うなか、身長170cm体重60kgの木村のその体格は、お世辞にも恵まれた身体とはいえない。しかし、その小さな身体には欧米人も舌を巻くほどの、強靭な顎の力と日本人独特の繊細な表現力が備わっている。とくに、高い芸術点をたたき出す奥義、通称MOGUMOGUは、欧米のトップランカーのPARTICELES(パティセルス)POINT平均3.8に対して、木村のそれは1.2と極めて低い。パティセルスポイントとは、簡単にいうなればクラッカーの粕をこぼさずに食べられるかの値であり、これが低ければ低いほど芸術点はのびるというわけだ。

【NA】:

木村は今、「ユーロ・ド・クラッケ」を頂点とするAssociation of Cracker Professionals、通称ACPプロツアーで戦っている。世界チャンピオンや欧米の代表クラスがひしめきあうクラッカー競技最高のカテゴリーだ。東洋人でこのツアーに参加しているのは木村ただ一人。その誇りを胸に木村が身に纏うのは各国のチャンピオンだけに許される国旗と同じ色使いの衣装だ。

【シーン説明】:

過去の試合後のインタビュー映像(息を切らしながら)

【木村】:

(息を切らして興奮気味に)僕しかできないっていうプライドは持ってるつもりですし。日本人でも通用するんだっていうのを、身をもって証明したいですから。(←ここもう少し伸ばす?)

【NA】:

ACPツアー参戦4年目となる今シーズン、さらなる躍進が期待される木村だったが、ツアー真っ最中の10月に彼はなぜか東京にいた。これまで経験したことのないスランプに陥っていた木村は、突如、ツアーへの参戦を辞退し、誰にも相談することなく日本へ帰国していた。

そう、彼はもがいていた。

【シーン】:

東京の自宅マンションでクラッカーの早食いの練習。早く食べられずにえずいている。引きの画で。

【NA】:

出口の見えないトンネルの中で必死に光を掴もうとする彼の3カ月を追った。

【シーン】:

タイトル画面

【タイトルテロップ表示】:

もぐもぐのその先に。

【シーン】:

テロップで年間スケジュールを流す

【シーン】:

自宅マンションで自分のスランプ時の映像を見ながらトレーニングしている。

【NA】:

クラッカー競技のシーズンは4月から3月まで、1年間12試合をヨーロッパ各国とクラッカー発祥の地であるアメリカで戦い、年間の獲得ポイントを競う。木村はフランス開催の「ユーロ・ド・クラッケ」で3位入りを果たした、200X年シーズン時に、世界ランキング5位にまでのぼりつめ、翌年も見事、世界ランキング10位以内に入ったのだが、今シーズンはここまで、ポイントを獲得できる12位に入るどころか、予選で落選することもしばしば。精彩を欠いているのは誰の目から見ても明らかだった。

【木村】:

んー、簡単にいえば、イップスだと思います。クラッカーをいままでのスピードで飲み込もうとするとダメなんですよね。どうしても症状が出ちゃう。(カットして)いやー、いろんな病院に行きましたよ。でもダメっすね。ぜんぜんよくならない。焦るばっかりで、毎試合ごとにポイントとらなきゃっていうプレッシャーがどんどん重くなってきちゃって。

【NA】:

木村が陥ったイップスとは、アスリートが、プレー中の集中すべきシーンにおいて、プレッシャーまたは極度の緊張状態を感じると、一時的に震えや硬直を起こしてしまう症状で、その明確な原因や根本的な治療法はいまだに明らかになっていない。

【NA】:

この日も木村は、過去の競技会の映像を振り返っていた。

【木村】:

(独り言)んー、やっぱりここのタイミングで出てるよなー

【NA】:

なぜ、自分がイップスを起こしてしまうのか。その原因を、弱点を、必死に探っていた。

【シーン説明】:

だまって映像をみる、早戻しする。ぶつぶつ言う。

【木村】:

映像みてるとですね。ほんとに分からなくなりますね。自分ではいいときもわるいときもかわってるつもりはないんすよ。でもひとつだけいえることは、悪いときの映像を見返しても症状はよくならないんですよね。(自分に言い聞かせるように)わかってるんですけどね。わかってるんだけど…。

【シーン説明】:

木村に寄った映像で。一人でクラッカーの早食いを試みるも、嘔吐く。

【木村】:

うえーーーっ

【シーン説明】:

自宅のパソコンにむかってTwitterを更新している。

【NA】:

どんなに追い込まれたときでも、辛いときでも、木村には、欠かさないことがある。それがSNSの更新だ。クラッカー競技の魅力を日本人に伝えるべく、自身のアカウントを開設し、twitterでこまめに近況方向をしている。

【木村】:

ほんとはおもしろさを伝えたいんですけどね、今の自分の心のもちようだと結構しんどいですよねー。まあ、嘘のないようにつぶやくようにはしてますけどね。

【NA】:

SNSの更新を欠かさない。それもやはり、日本人としてトップに君臨する男の使命感からなのかもしれない。しかし、最近の木村の投稿からは、クラッカーの面白さや楽しさよりも、クラッカーという競技がいかに孤独で過酷なスポーツなのか、それを物語る投稿が多くなっているのも事実であった。

【SNSの投稿画面】:

どこまでやればゴールなのか。わからない時もあるよね

【シーン】:

スーパーでの買い物シーン

【木村】:

気分転換に自炊するようになったんですよね、最近。

ツアー参戦してる時は、正直、ジャンキーな食生活でしたけど、それもやめようかなって。ある意味いいきっかけですよね。(カット)いや、だいぶ身体が軽くなった感覚はありますよ。

【木村】:

(独り言)キャベツたっけーな

【インタビューアー】:

なにつくるんですか?

【木村】:

だいたいー、シチューとかカレーとか日持ちするやつっすね(笑)男の料理ですよ。

【NA】:

それは、孤独に絶える男の唯一の息抜き方法なのかもしれない。彼の表情が少しだけ緩んでいるのがわかった。

【シーン説明】:

スーパーの袋を下げながら公園へ歩いて行く。

【シーン】:

公園で、老人の体操をながめる。シーン切り替え。

【シーン】:

ベンチに座ってインタビュー。

【インタビューアー】:

気になってたんですけど、いつも持ち歩いている、そのジュラルミンケースには何が入ってるんですか?

【木村】:

あ、これすか?見せましょうか?クラッカーすよ。

クラッカー選手はプロ契約を結ぶと練習用クラッカーも無償でメーカーから

支給されるんですよっ。

【インタビューアー】:

プレミアムクラッカー?日本の?ナビスコの?

【木村】:

そうっすそうっす。海外のトップ選手は、イタリアの○○○とかフランスの○○○のクラッカーを使用してる人が多いんですけどね、僕はいろいろ試してみて、ナビスコにたどり着きました。(カット)いや、やっぱりダントツでおいしいんですよ!

【インタビューアー】:

美味しいとか関係あるんですか?

【木村】:

競技中は食べてるときの表情も、評価の対象になりますからね。そりゃ美味しいものをおいしそうに食べた方が、芸術点は明らかにのびますよね。

【インタビューアー】:芸術点…

【シーン】:

一枚取り出して、鳩に餌付け。「ほ〜らおいしい」。

——シーン切り替え——

【画面】:

子どもの頃の写真

【テロップ】:

1991年

茨城県 水戸市生まれ

【NA】:

1991年茨城の生まれ、会社員の父と専業主婦の母のもとに生まれた。小学校から中学まではサッカー部、高校ではテニス部だった木村は、クラッカー競技とはかけ離れた世界で少年期を過ごした。そんな木村がクラッカーに出会ったのは大学時代。入学式で勧誘を受けたクラッカーサークルに何気なく加入した木村は、先輩に見せられた、日本のクラッカー競技のレジェンド南谷一(なんやはじめ)の映像を見せられて度肝を抜かれる。それから木村がクラッカー競技の虜になるのには、そう時間はかからなかった。

【シーン】:

モノクロ写真または南谷一の競技映像

【木村】:

学生時代はサークルの仲間と毎日クラッカーの早食いしてましたよ。完全に遊び半分。日本では、今もそうですけど、公式大会そのものが開催されてないですし、日本の協会も凍結状態なんで、よりどころはなかったですね。

(カット)で、仲間に南谷さんの映像みせてもらって、そこからスイッチが入りました。おれも世界で戦いたいって。日々、どうやったら早く美しく食えるかそればっかり考えて、思考錯誤で。でも楽しくて。でもセンスはあったみたいっすね(笑)。サークルのメンツよりは明らかにスピードもあったし。

(カット)そうっすね。大学2年のとき、もういてもたってもいられなくなったんですよねー。単身ヨーロッパツアーに参戦することにしました。ACPツアーの300クラスならアマチュアでも参加できたんで。そっから一勝一勝積み重ねてった感じです。当時は当然スポンサーもつかなくて、ぎりぎりの生活でしたね。競技の賞金とかレストランのキッチンで皿洗いしたりして、なんとか食いつないでました。運良く、1500のバーゼル大会で勝てたのはデカかったですね。

【インタビューアー】:

成績でいったら木村さんの方が圧倒的に上回っているじゃないですか?それでも南谷一っていう人はすごい??

【木村】:

そりゃもうそうっすよ!

たしかに僕の方が実績はあるかもしれないけど、記憶に残るプレーっていうんですか。とにかくもう美しかったですから。

南谷さんが日本のクラッカー競技を切り開いてきたのは間違いないです。

【NA】:

南谷は国際大会での入賞こそ果たせずに現役を去るが、パワープレーでスピードを稼ぐ欧米人のスタイルとはうってかわって、誰もが見とれるほどの

美しい食べっぷりで芸術点を伸ばすスタイルは当時、MOTTAINAIと評され、日本人ならでは繊細な表現力として唯一無二のスタイルを確立したのであった。

【シーン】:

新幹線にのって窓を眺めている

【NA】:

この日木村は、憧れ続けているレジェンド、南谷のもとを訪れる決心をしていた。彼の話を聞きたかった。そう、暗いくらいトンネルの向こうにあるはずの光をつかむために。

【木村】:

いやーどうっすかね。会ってくれますかね。

(カットして)はじめてですはじめてです。南谷さんは、クラッカーの世界から退いて、距離をとっているのは知ってましたし、なんでかっていうのは詳しくは知らないですけど。

【NA】:

一線を退いた南谷が木村を拒絶することは十分に考えられた。木村は不安な表情を垣間見せながら、名古屋市某所の南谷家のドアをノックした。

【シーン】:

南谷自宅

【木村】:

はじめまして。

【南谷】:

おおーーどうもどうも!ご活躍で。素晴らしい。

【NA】:

迎え入れてくれた。木村はほっと胸をなでおろした。

【木村】:

恐縮です…

僕ずっとずっと南谷さんに憧れてて、この競技始めたのも南谷さんの影響ですし、

【南谷】:

何をおっしゃる

【南谷のインタビューシーン】:

彼は、天性のものをもってますよね。顎も強いし、食べ方もキレイでとても日本人らしい。まだまだ強くなりますよ。でも迷ってるのかなここ1、2年くらいのプレーを拝見してると。勝たなきゃって勝手に背負っている感じは受けますね、正直。まあ、ぼくが出しゃばって言うことじゃないんですけどね(笑)。ぼくに言えることなんてなにもないですよ。彼は何かを求めて僕のもとに来たのかもしれないですけどね。

【NA】:

彼らは静かに語りはじめた。

【南谷】:

MOGUMOGU見せてくださいよ(笑)

【NA】:

どちらからともなく、自然とクラッカーを取り出し、

クラッカー遊びをはじめる。

【木村】:

いまできないんすよー(笑)

【NA】:

突然、南谷の表情が変わるのがわかった。

南谷は、目線だけで我々を遠ざけた。

【シーン】:

目線だけでカメラを遠ざける南谷

【NA】:

二人だけの濃密な時間に近づくことは許されなかった。

【NA】:

それから3時間後。木村が南谷の家から出てきた。

【シーン】:

歩きながらのインタビュー

【木村】:

アスリートってふたつのタイプにわかれると思うんです。

自分がやっているスポーツが好きで好きで仕方なくてそのままプロでも活躍しちゃう人と、完全に職業として考えていて競技や練習を、ある意味、苦行であると受け止めている人。僕は完全に後者になりつつあったんですけどね、、、

…………

(沈黙)

南谷さんがっ

………

「好きにやればいい」って一言。その一言だけ僕にくれました。

【シーン】:

沈黙、すすり泣く木村。

【NA】:

難しい技術指導も、熱い説教もなく、ただただ、南谷が木村に伝えたかったこと。それは、「好きにやればいい」。

心の一番奥を揺さぶられるような言葉だった。

【木村】:

ふうーー(鼻水をすすって深呼吸)もうー、ふっきれましたね。

【NA】:

数日後、われわれは木村の自宅に呼ばれた。

【木村】:

もう大丈夫です。ツアーに復帰する前に、僕の全力のプレーをお見せしたくて。

…いきますね。

【シーン】:

BGM、音なしで。静寂の中、競技をする木村

【NA】:

張り巡らされる緊張の糸。

瞬間にして木村弘樹という広大な異空間の中に包まれるのがわかる。

眼光は鋭さを増し、極限までふくらむ、食道と胃袋。

口の中に全神経を注ぎ込み、唾液線を自在に操る。

限られた時間のはずなのになぜか永遠に、どこまでも続くように感じる時間軸。

一時(いっとき)の恍惚。そしてまた緊張。

勝ちたい。でも勝つことが目的ではないことをもう木村は知っている。ただ、

そこにあるクラッカーに真摯に向かうべきことを理解したからだ。

木村は確かに楽しんでいた。自分の身体で切り拓く幸福という

地平の広さをただただ見届けたいだけなのだ。

【シーン】:

成田空港

ーエンドロールー

ーエンディング曲ー

【木村】:

やっぱり、クラッカーを食べることは、僕そのものですね。僕自身です。僕の生活でもあるし、僕の生き様でもあるし。食べるがなければ僕じゃないです。

これからやりたいことばっかりです。きっとこれからも良かったり悪かったりのくり返しだと思うんで。その時感じたことを大切にして……好きにやります。

はいっ、あざした。いってきます。

【NA】:

日本を飛び立った12時間後、木村のtwiiterが更新されていた。

【画面】:

好きにやればいい!!!!

【NA】:

木村の新たな戦いが始まった。

END

新たなコンテンツの制作のために大切に使わせていただきます。何に使ったかは、noteにてご報告させて頂きます。