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第二回神社仏閣巡りテラ会

 気がつけば、我々は比叡山ドライブウエイを走行していた。

 くねくねとした山道を登り、そして、見晴らしのよい駐車場で休憩。眼下に見えるのは、大津市街と琵琶湖の南湖。

 琵琶湖の大きさは、意外にも滋賀県のたった6分の1。実際には滋賀全域の7、8割を占めているのではないかと思わせるほどの圧倒的存在感。山の上から見ると、猪苗代湖に負けず劣らず湖面が鏡のよう。おもわず息を呑むほどの絶景。それを見ただけでも、神社仏閣巡りをする価値がある。 

 第二回テラ会の行き先は、比叡山延暦寺。

 最澄(さいちょう)が開宗した天台宗総本山。

 言わずと知れた日本仏教の母山で、ここから輩出された各宗のお祖師さまたちは、浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮聖人など。

 比叡山は標高848メートル。京都府と滋賀県の府県境にそびえ、京都から見ると鬼門の北東、鬼・邪気の出入りする方角に位置するため、国家鎮護の寺として、平安京の桓武天皇から伝教大師(でんぎょうだいし)最澄は絶大な期待をされる。比叡山そのものは優美な山姿から都富士(みやこふじ)とも呼ばれ、百人一首で有名な慈円は、「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と詠んでいる。

 比叡山寺(ひえいざんじ)、現在の根本中堂(こんぽんちゅうどう)は788年、延暦7年に創建。最澄没後の823年、年号をとった比叡山延暦寺という寺号になる。根本中堂には一度も消えることなく輝き続けていると伝わる、不滅の法灯がある。

 山門寺門(さんもんじもん)の争いで明け暮れていた頃は、比叡山西塔の武蔵坊弁慶が三井寺(みいでら)焼き討ちの先鋒となり、延暦寺は三井寺を攻撃。その際、弁慶は三井寺の名鐘を一つ奪い、その重い鐘を怪力で山上へ引っ張って持ち帰り、大講堂(だいこうどう)に吊るしたという逸話が残っている。現在その鐘は三井寺に戻っているが、弁慶が引きずったときに付いた傷が鐘に残っている。

 駐車場でトイレに行き、自動販売機でホットコーヒーを買い、少し体を温めたのち、車に戻る。そして、「一隅を照らそう」と書かれた石造を通過。いよいよ延暦寺へ。

 訪れた日は立春。暦の上では春だが、当地の気温は摂氏2度。

 凛とした空気感。樹齢数百年の杉の大木。幾多の名僧がここから育ったことが窺い知れる清らかな山林。まさしく日本仏教の聖地。

 大講堂、根本中堂、文珠桜(もんじゅろう)の順で拝観したのち、さすがに寒くなり、茶店(ちゃみせ)に入り、ノンアルコールの生姜入り甘酒でホッと一息。

 その後、阿弥陀堂(あみだどう)、東塔(とうとう)、戒壇院(かいだんいん)を観たのち、下山。

 延暦寺は世界文化遺産でもあり、観光地としても完成された寺。車で訪れた観光客は駐車代を払い、拝観料を支払って境内に入る。そして一回百円で鐘もつける。実際、訪れた日、ゴーン、ゴーン、と不定期に良い音が山に響いていたが、それはお坊さまではなく、観光客がついた鐘の音。延暦寺は天災の被災地などを支援している。観光客は鐘をつけて、間接的に寄付もできる。至福の仕組みがそこにある。

 比叡山の東ふもと坂本へ下り、ランチは蕎麦屋で。

 坂本は最澄の出生地。延暦寺の門前町(もんぜんまち)として栄え、戦国時代は明智光秀の坂本城の城下町。穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる、城の石垣などを作った石工集団の出身地でもある。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」によると、坂本竜馬の土佐にはめずらしい坂本という苗字は、家祖が坂本城に在城していたことにちなんだもので、坂本家の紋所(もんどころ)は明智光秀と同じ桔梗(ききょう)であるとのこと。

 帰宅後、比叡山や坂本の当地を振り返りながら、ビクターのウッドコーンオーディオでヴィヴァルディの「四季」を鑑賞。このクラシック音楽は四季の移り変わりやそれぞれの季節感を見事に表現している、完成された名曲。

 比叡山延暦寺は明らかに完成されたテラ。

 今回はヴィヴァルディの「四季」でいうところの「冬」の第二楽章ラルゴ的な比叡山を体感したが、春や夏に延暦寺を訪れれば、「春」の第一楽章アレグロや、「夏」の第三楽章プレストのような空気感をきっと感じ取ることができるのだろう。

 完成されたテラは、やはり違う。気品があり、そして、趣(おもむき)もある。

 私はふと、四季人(シキジン)になりたいと思った。

 春では春人(ハルジン)、夏では夏人(ナツジン)、秋では秋人(アキジン)、冬では冬人(フユジン)のようですね、いまの季節がとてもお似合いですね、と言われるように。

 最近、私は常夏人(トコナツジン)になりがち。

 春や秋、冬をもっと体感する必要があるのかもしれない。

 冷暖自知(れいだんじち)。冷たいか温かいかは飲んでみて初めて分かる。何事も体験したものでなければ分からない。悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が自ら会得しなければ理解できない。

 私はその晩、ヴィヴァルディの「四季」を、何度も何度も繰り返し聴いた。

 部屋の暖房をあえて消し、寒さを全身で感じながら、その完成された名曲を、一人無心に聴き続けた。


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