自分の得意なことは「道具」を使うこと
「とは言っても、それでも人より下手かもしれません。
下手の横好きかもしれません。
なら、でも、それで終えてはいけないですよね。
それでも昔は器用でプラモデルなども作っていたのですが、
今はもうダメですね。
細かい部品などは面倒くさくて、
プラモデル作りもできません。
まあ完成品は場所をとるので要らないのですが。
家のなかでスペースを奪われるのは嫌なので
それはそれでいいことです。
また書籍はそれなりに読むのですが、
量が溜まるので、
それなりの頻度で売って処分しなければなりません。
それはそれとして、
体育などではボール以外の道具を使うものはまだ上手くできました。
図画工作などは昔は得意でした。
最近は怠け癖や面倒くさがりで、
昔の長所を失っているかもしれません。
少し怠けすぎでしょうか。
これはよくないことですね。
あまりこんなことでは自信を失っていきます。
よくないことです。
自分に言い訳して低能でも譲歩したり、
上には上がいるからと自分の進歩を諦めたりとか、
そんなことでは自分が何のために生きているのか分からないなることがあり得ていいことになります。
だから、歳をとっても、進歩を諦めてはいけないのです。
それが何となく分かるようになってきました。
本というのは道具のうちに入りますかね。
読書量はかなりあるので、
概念の言語化には自信を持てる気もします。
自分の身体すら道具とは言えます。
これはプラグマティズム的ですね。
しかし、道具というのは人が使うことを念頭においていますし、
それに使用の際にはインスタラクションがあるのが普通です。
そうして簡単に概要を説明してもらえると、
私の場合、かなり理解度に差が出ます。
人もそうでしょうけど、
私は特に上手い説明があるかないかで上手く処置できるかが変わります。
そうなると、人がしてくれない場合は自分で用意しなければなりません。
それでどうしても理解に時間がかかる場合があります。
それは四六時中、常套的にそうかもしれません。
が、そんな自分を恥はしません。
これは私の自慢かもしれません。
良い意味で傍若無人だと思います。
でも、人の言うことが気にならないのではないのです。
人のいうことは充分、気になります。
人の言うことで気に病んだり、
気にしたりということは普通にあります。
でも、私としては機械や道具を使うのは快感でもあります。
好きなのです、単に。
恐らく人ある程度はそうでしょう。
人が人のために作ってくれたもの、設計されたものを認めると人に感謝することができます。
また、他人の英知を感じます。
それはそれで素晴らしいことです。
でも、それだけではまだ物足りないないところです。
それなら、自分もそんな人間にならないといけませんよね。
上達を目指すことは当たり前のことです。
それでトレードオフです。
だから、そうなるべきなのです。
この考え方は何にでも適用できると思います。
好きなこと、人に感動できること、大したことがあると思えるなら、
それを認めるだけでは足りません。
それだけでは相手にされません。
自分もそれができるようになったはじめて相手にされると思います。
世の中そんなものだと思います。
人に自慢できることがあるのは良いことですよね。
いかがでしょうか?」
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