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東京五輪日本女子バレーを見ていて再度考えさせられる、「何ができるか」(長文失礼します)

(写真FIVB)

 東京オリンピック2020、バレーボール日本女子代表チームの戦いが終わりました。結果は、予選ラウンドの戦績を1勝4敗(A組5位)とし、決勝トーナメントへの進出はならず予選ラウンド敗退で大会を終了しました。
 今大会を迎えるにあたっては、自国開催の重圧、コロナ禍における調整の難しさだけでなく、大会自体の延期、選手の引退や故障による離脱、それらに伴うチーム編成戦略とプランニングなど・・・様々な障害や困難があったと思います。また世界からも評価されている、古賀選手のケガという不慮のアクシデントもあり、本人だけでなくチームスタッフやかかわるサポートも大変なご苦労があったかと思います。そういった大変な環境に向き合い続け、最後まで長い戦いをしてきたことに感謝と敬意を表します。

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 オリンピックにおいて、バレーボール競技は1964年第18回東京大会からオリンピックの正式競技になりました。その1964年東京オリンピックで、日本女子代表チームが金メダル(1位)となったわけです。そして大松博文監督率いるこのチームが「東洋の魔女」として、いわば「伝説」として語り継がれることになりました。

 今大会、2度目の東京五輪では、多くの人が、1964年のいろんなシーンやエピソード、戦後復興と高度経済成長などの歴史を照らし合わせて、期待感やワクワク感を抱いていたと思います。女子バレーについても、きっとそうだったと思います。やはり「東洋の魔女」と重ねた人もいたと思います。きっと日本女子代表チームはそういった周囲からの期待からくる重圧とも戦っていたのではないでしょうか?中田監督だけでなく、ケガを乗り越えて戦い抜いた古賀選手、五輪4大会出場を果たし、長きにわたり日本の女子バレーのまさに支柱として活躍した荒木選手、日本の攻撃、得点を一手に引き受けた小さなエース石川選手。経験の浅い中果敢に挑戦し続けたセッター籾井選手、控えでも長年日本代表を支え続けた石井選手・・・日本の女子バレーにもいい選手、がんばってきた選手、そしてコーチ、アナリスト、、フィジカル、メディカル、マネジメント等のたくさんの優秀なスタッフたちが、自国開催の五輪のために力を尽くしたのだと思います。本当にお疲れさまでした。

感想ではない、「総括」・「分析」・「検証」を当事者から

 今大会、東京オリンピックに向けてのプロセスなどに関するものは、下にリンクを貼っておきました。

(ウィキペディアのページより)

 どんな世界でも、外から見ていろんな批評やオピニオンをすることはできます。多くの声が出るのは健全なことですし、もちろん、外から多様な意見が出ることは大切にしなければなりません。逆に多様な意見を排除・封殺するような狭い世界であってはいけません。
  しかし、そのプロセスを年を追って見守りもせず、後出しジャンケン的に、事後になってから突如として責任追及してもあまりフェアじゃないと思います。もちろん、当事者のみならず長年、日本や世界のバレーをウォッチ・追跡し考察している有識者やファンもおり、そういった方々の意見には重要なキーがあり、生かさねばなりません。
 戦術、選手の選考や起用、采配やベンチワーク、五輪までの計画性、いろいろな視点や論点があります。しかしながら、一番重要なのは、外からのオピニオン以上に、当事者としての「総括」・「分析」・「検証」、それらの「広い発信」といった作業です。
 外からの目だけではわからない、たくさんの試行錯誤やプロセス、努力や取組があったはずです。またアナリストやサポート体制など、情報の収集や分析なども日本は充実しているはずです。ですのでそれらを生かし、主観や感情をいったん横に置き、科学的、客観的、合理的に、世界のバレーと日本のバレーの現状についての分析と総括が求められます。

 今回考えたいのは、バレーボールにかかわる「自分たちには何ができるか」。日本は、世界の中でもバレーボールにかかわっている人々の「裾野」が広いと言われています。特に小中高校生バレーの「アンダーカテゴリ」はさかんです。そんなアンダーカテゴリに関わる人々が、代表チームの批評に終始せず、そこから何を学ぶべきか、そして自分にできることは何か、を考察していきたい わけです。

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(女子決勝は、アメリカvsブラジル。アメリカが五輪初の金メダル。)

「アップデートの必要性」という答えは出ているはず

 今回のオリンピックでも、日本のバレーボールは残念ながら男女ともメダルには手が届きませんでした。しかし、男子バレーは29年ぶりの五輪での奮闘で予選を突破し人々をエキサイトさせました。女子は、周囲の期待が大きい中予選を突破できませんでした。
 しかし、周囲のリアクションは、予選を突破したか否かという競技成績によるものだけではないはずです。明らかに、バレーボールのプレー、ゲームの内容において、「世界と戦えている手応え」を人々は見ていました。その点で日本の男子バレーにはこれからの期待がみえ、逆に女子バレーには今後の課題が明るみになってきています。 

 女子バレーでは、アメリカやブラジル、セルビアやイタリア、トルコなど欧米勢の仕上がりの良さが光りました。一方、中国の敗退は衝撃的でした。観ているだけでも予選当初からパフォーマンスやコンディションの悪さが目立ち、後のインタビューでもこのコロナ禍における調整やピーキングといった戦略の難しさも話題となりました。
 翻って、バレーボール日本女子代表をみていると、

・サーブの戦略性~強さ、効果、狙いや意図
・組織的かつハイパフォーマンスなブロック
・男子に少しずつ近づくオフェンスシステム
・簡単にノータッチでボールを落とさない組織化されたトータルディフェンス
・観るものをワクワクさえさせる、プレーヤーの生き生きした姿、戦いを楽しむFUNdamental


 以上の点で、日本の女子バレーの現在位置が、かなり世界よりも後れとっているように見えたオリンピックだったと思います。逆に言えば、これらの要素が、世界の女子バレーにおいても「当たり前」「標準的な要素」となってきているわけです。
 日本がこのような後れとなった要因はどこにあるのでしょうか?今後、どのようにすれば修正や変革をもたらすことができるのでしょうか?もはや特定の個人への責任追及だけで解決できるものではないと思います。

(こちらの↓記事は、主に男子に主眼をおいたものですが・・・)

 世界の女子バレーボールも、スキルやシステム、それらをまとめた戦術・・・男子バレーがたどってきたものを後追い的に取り入れてきている要素がたくさんあります。
 日本でも、バレーボールの有識者たちによって、特にこの10年間は、世界のバレーボールと日本のバレーボールの実情を比較考察し、日本のバレーボールの遅れとそのアップデートへの提言も発信され続けてきています。

 そのようないろんな考察や提言のなかで、日本の女子バレーも、「世界のバレーボールの今」へのアップデートは急務である。それらの標準装備をしてから、日本らしさを生かす道を探っていく。これは、もはや明白な答えです。今回の男子がそうであるように・・・。
 今回負傷をしてしまった古賀選手などは、負傷欠場に対する世界のリアクションをみても、世界的に評価の高い素晴らしい選手だということがわかります。古賀選手だけでなく、日本にもまだまだ素晴らしい選手はたくさんいます。

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高く厚く大きな壁?~なぜアップデートは起きないのか?

・リードブロックをベースとした組織的なブロック
・ブロックの意図を反映したブロックとフロアディフェンスとが連携したトータルディフェンス
・ビッグサーブ、ショートサーブ、ハイブリッドサーブ・・・相手のオフェンスシステムを弱体化させるためのサーブ戦術
・アウトサイドヒッター依存のオフェンスからの脱却。
・バックアタックとMBのハイスペック化による中央攻撃の重要性
・オポジットの機能強化
・左利き選手の活躍


 日本の男子バレーではこのような世界のバレーボールへのアップデートが徐々に進んできており、五輪でも敗れはしてもブラジルやポーランドなどといった強豪国とも充実した内容のゲーム展開で、観る人々も悲観することなく応援することができました。そういったアップデートの流れの中で話題となっている「フェイク・セット」プレーも発生しています。
 そんな日本の男子バレーでさえ、アップデートが進みだしたのはつい最近です。では、日本の女子バレーがいまだに頑なにアップデートが起きないのはなぜでしょうか?
 アナリストなどの優秀な人材も増え、彼らの活躍があり、情報や分析などの材料はあるはずです。情報通信技術も発達した中、海外の情報も手に入れているはずです。そのような中にあっても、「(海外の)高さやパワーには(日本の)スピードで戦う」・・・結果、ネット上を制するブロックやスパイクにおけるハイパフォーマンスの発揮を犠牲にして、時短的スピードに終始しているのはなぜか。「世界と同じことをしてても勝てない」の前に「今までと同じことをしてても勝てない」が先に来るはずです。
 求めるべきゲームモデルやプレー原則をどのようなものにするか、の意思決定プロセスに課題があるのではないでしょうか?
 ・リーダー(指導者)の知見と分析力と構想力
 ・プレーヤーのオートノミー(自律性)と主体性
この両面に課題があり、アップデートの必要性に気づくチャンスがあっても、または気づく人間が内部にいても、それらの情報がなかなか反映されないのではないかという推察をもっています。意見が健全に通らない、反映されないことによるアップデートの停滞があるのではないでしょうか?あくまでも個人的な推察です。
 戦術やゲームモデルは、ある意味与えられる側面はあっても、その中のパフォーマンスの発揮やハイパフォーマンスの維持は、コート内の選手たちの主体的な思考判断でしか達成されない。現状、その部分を奪ってしまう指導法になっているような気もします。

「全体としての育成」はうまくいっているといえるのか?

 オリンピック前回大会、2016年リオデジャネイロオリンピックを終えたあと、有識者によって日本の女子バレーに対する多面的・多角的な分析と総括がなされました。私も、アンダーカテゴリと育成の面から考察に注目しました。

 この当時、「MB-1」や「ハイブリッド6」などの試行錯誤がありました。日本の女子バレーの得点力不足とMB(ミドルブロッカー)を生かし切れていない点に注目したものです。
 そこから、その要因が、日本バレーボールの「伝統的な指導観」、「伝統的な指導風土」にあるという考察です。
 低年代から高身長選手にはスパイクやブロックに特化させ、しかもゲーム中の動きや役割も限定的なものとして型にはめ、結果的にオールラウンド性に欠けた臨機応変なプレーやハイパフォーマンスに至っていない。このような「早期特化」の風土が小学生バレーから脈々と続いている結果が、世界との差になっている。ゆえに、アンダーカテゴリの育成、長い目でみたオールラウンドな育成が求められる。これが4年前のざっくりとした論点です。

 今大会東京オリンピック2020を迎えるにあたり、日本の女子バレーボールには一つの好材料と考えられていたものとして、2年前の「U20」チームの活躍があります。U20も言うなれば、ナショナルチームまでのプロセスの中における育成、アンダーカテゴリと考えられるわけですが、ここで世界を相手に勝利を得たということが、東京オリンピックへの好材料と考えた人も多かったのではないでしょうか?

 このU20などでの活躍が、今回の東京オリンピックでのバレーボール日本女子代表チームにおいても、選手やスタッフで反映された部分がありました。実際、石川選手は、小柄な中でも日本の得点の大きな部分を担う活躍がありました。
 しかし、U20を引き続くこととなるナショナルチームは、残念ながら、東京オリンピック、そしてその直前にあったVNL(バレーボールネーションズリーグ)では、U20のような結果にならず、プレーやゲーム内容も逆に海外勢との差を感じるものでした。

 日本でも、育成では、例えば、JVAゴールドプランに関わる事業をはじめ、小学6年生を対象にしたエリートアカデミーや中学生を対象にしたJOCカップの取組。各年代での選抜(代表)チームの編成による国際経験の場・・・など、ナショナルチームに有望な選手を供給できるようにするための育成的な事業がなされています。

 しかし、個人的にまさに指導現場、アンダーカテゴリの現場にいて実感しているのは、本来「育成」というのは、すべての選手、すべてのバレーボールと出会った子供たちや若者たちのためにあるはずなのに、何か「発掘」や「有望」という言葉のもと、「育成」という言葉すら雲の上のような世界、雲をつかむようなテーマとなっているのではないかということです。
 もちろん、有望選手を発掘し、彼らにいろんなプログラムを提供することも大事だと思います。しかし、そういうセレクトにもかからない、日本全国でバレーボールを頑張っている子供たちやチーム、指導者にとって、「育成」のビジョンやミッション、取組の内容やその恩恵は、残念ながら届いていない実感があります
 もはや、関係者や志ある一部の人たちだけで共有するのではなく、遠隔地の小さなまちでビギナーや小さな子たちが集まって、少人数でもバレーボールを頑張ろうとしている人たちにも届くものがないといけないのだと思います。高い志をもってご努力されている方々がいるのも承知しています。しかし、取組や努力をしていないと言いたいのではなく、届いていないのです。シェアが広がっていないのです。これは、どこかのセクションや担当者が悪いということではなく、指導者や関係者一人一人の意識の問題なのかもしれませんし、組織やシステムの機能なのかもしれません。

 代表チームの総括と同時に、U20に代表される育成の総括、そしてバレーボール界の末端にいたるまでの、バレーボールにかかわる全体への「育てる」機能、「育つ機能」がどうなっているのか、今一度、かかわる者一人一人が、自分の立ち位置で見つめ直し、自分できることを見つけ、取り組まねばなりません。

 個人的には、5年前のリオ五輪で総括した「育成の課題」よりも、さらに問題は山積みになった気がしています。それは、単にプレーやパフォーマンスのハイスペックのためのオールラウンドな育成環境だけではない、プレーヤーのメンタルやマインド・・・単なる気迫とか気持ちの強さというものではなく、モチベーションのマネジメントや、「選手の主体性や自律性」に至るところまでを、育成の大きな課題にしなければならない。これは、日本のバレーボール風土・・・小学バレーから春高バレーに代表される高校生バレーまでの間の、まさに成長過程にある「育み方」という、より根幹的な課題を突き付けられているように感じます。

「日本型」バレーボール指導、「日本型」指導観を脱する

 バレーボールは、映像で見られるようなインドア6人制のバレーボールやビーチバレーボールような高度なゲームができるまでの間には、複雑かつ膨大な要素をクリアして成り立っています。みなさんが観て楽しむ「バレーボールの試合」に至るまでには一朝一夕にはいかないのです。
 特にバレーボールは「早期導入」(Early Engagement:多様な運動多様なスポーツを経験させる)、「遅い特化」(Late Specialization:バレーボール選手になる、ポジションを決めるためには時間をかけた熟成が必要)だと言われています。

 しかし、現状、日本のバレーボールは、小学生という極めて低年齢からバレーボールに専念し、ポジションも固定されながら、全国大会などのタイトルを狙った熾烈な競争がはじまります。それは小学中学年代の初心者にも例外なくあてはめられるために、すべての子供が、じっくりバレーボールを楽しみそこから自発的に学び、時間をかけた育ちを導くことを困難にさせています。
  また、「教育」という名のもと、さまざまな過度な「しつけ」も目立ちます。子供たちに「はい/いいえ」、「お願いします/ありがとうございました」をテンプレ的にしか言わせない関係性をつくることが当たり前になり、これが結果的には、指導者と選手の間に上意下達の関係性が当たり前となり、指導者は選手へのリスペクトが欠け、一方で選手は指導者依存による主体性のなさや自律性のない思考停止状態に陥りやすくなる。低年齢期から勝利のためにはミスが許されなくなり、本来ミスをすること自体が悪いのではなくミスの発生後に生じるネガティブな思考やイメージがモンスター化してしまいゲームに対し常に委縮がつきまとう。・・・さまざまな弊害を生んでいます。

 上にU20のゲームを載せました。この映像から、何を読み取ることができるでしょうか・・・チーム力の強さ?プレーのうまさ?戦術の緻密さ?・・・私は、このレベルにおいても「育成の道半ば」、「目指す先への通過点に過ぎない」ということが、プレーやゲーム展開をみていても明白だという点が重要だと思っています。
 日本において、何も、中学生や高校生バレーで、パイプだのビックだの、フェイクセットだのをしなければならないとは思っていません。海外と同じゲームモデルをしなければならないとも思いません。しかし、(特に指導者は)知っておくことは大事です。そして、そこに、どんな種をまき、どうつなげるかの構想が腕の見せ所だと思います。

・スポーツやバレーボールを楽しむマインド
・「楽しい」マインドのレベルアップを導く
・楽しさの中から生まれる主体性と試行錯誤
・マインドを維持しながらバレーボールへの特化
・オールラウンドな育成とそれに必要な時間と環境
・世界のトレンド>代表>U20>高校バレー>・・・という系統性


 こういったものを、アンダーカテゴリを巻き込んで再構築していかないと、トップカテゴリの世界との差は埋まってこないのではないでしょうか。

「アンダーカテゴリ」(小中高校バレー)指導の「参画意識」「当事者意識」を醸成していきたい

 確かに、今ある課題を大きく動かすためには、私みたいな一個人が何かを考えても力が及ばないです。しかし、代表監督が、トップリーグが、協会組織が・・・とばかり嘆きに近い発信に終始していても、結果は同じような気がします。
 日本での夏季オリンピックの開催は、1964年東京大会以来、57年ぶりのことです。子供たちは、日本のバレーボーラーの子供たちは、世界のバレーボールと我ら日本代表のバレーボールを応援し、ワクワクドキドキする経験をし、バレーボールをみる楽しさを存分に味わうことができたでしょうか?

 残念ながら、東京オリンピックは、夏休み期間にあって、日本各地の小中高校バレーボーラーは、暑い中、練習や試合、大会や遠征に励み、オリンピック観戦どころではなかったところもあったと聞いています。もちろんそれらがすべてではありませんし、それをもって悪いと言いたいわけではありません。録画してあとで観てもいいだろ・・・という人もいるかもしれませんが、いくら画面越しとはいえ、その時々をリアルタイムで人々とその時間を共有する経験って、録画じゃ代えがたいエキサイトできる貴重な経験だと思うのです。

 今大会で感じた「当事者意識」。トップカテゴリは、しっかり総括をし、それを生かした次へのプランを。そしてアンダーカテゴリは、主体的にみて学び、そこから自分たちに必要な課題を見出して取り組んでいく。
 いろんな意味での「個への依存」、「個人への依存」を終わらせないといけないです。

 オリンピックでメダルを獲得するような代表チームのバレーボール選手たち。でも彼女ら、彼らだって、もとをたどっていけば、私たち日本人と同じ。いきなりバレーボールができたわけではないだろうし、いきなり短時間で今のゲームの成立させるスキルを身に付けたわけではないはずです。

 私は、アンダーカテゴリにも、いやアンダーカテゴリだからこそ、できること、取り組まねばならないことがたくさんあると思います。
 日本でのバレーボールの指導や練習のこれからは、「試行錯誤」を追究しなきゃいけないのに「時代錯誤」を続けてはいけません。

 子供たちには、まずはバレーボールの楽しさや醍醐味、素晴らしさを注入していく。そしてそれは、世界のバレーボールや日本のVリーグなどのトップのバレーを観る経験も含む。
 これまで以上に対話をする機会を提供し、対話の中から子供たち自身の中で発想やアイディアを生み出す。大人はそんな彼らの声を拾い上げ、自分がもっている指導メソッドとのリンク付けをしていく。指導内容に終わりもゴールもなく、子供たちには一人一人すべてに可能性と伸びしろしかない。指導メソッドは、自分の経験則に頼ったものでもなければ、どこかの権威ある指導者のコピペ(模倣)でもない。トップカテゴリのゲームモデルやプレー原則を情報として収集し、自分の指導に生かせるものとしてかみ砕いて落とし込み、アンダーカテゴリで種をまき、自分の手元を離れたあとに花開くのを見守る。
 
 こういった、アンダーカテゴリのコンセプト、コンセンサス、理念を多くの人と協力しながら再構築し、いろんな方たちの意見や知見を取り入れながら発展させていく。
 こういった機運をつくりあげていくことも、立派な「私たちにできること」だと信じていきたいです。

 日本の男子バレーは個人としての探求や挑戦を応援する段階から、より組織や地域として育める持続可能性ある取組を。女子バレーは、上意下達依存の呪縛から解放し、選手一人ひとりの探究や試行錯誤ができて当たり前の風土づくりを。こういった課題解決のために、アンダーカテゴリが果たす役割も大きいと考えます。

 57年ぶりの東京オリンピック。いつまでも結果をネガティブに考えるだけではなく、「ここからがスタート」というポジティブな期待や希望、前向きな創造性をもっていきたいものです。

(2021年)