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アンダーカテゴリーの育成に光が当たるためには?

発展や成長の余地・伸びしろをいかに確保し続けるか

 目標設定やプランを設定するときに、「ゴール」を先に決めることが大事だと言われています。確かにそうだと思うのですが、その目標とされるゴールやターゲットによって、選手やチームが必要以上に縛られる状況であっては、本末転倒なんだと思います。

 「ゴール」や「ターゲット」となる「目標」は、いわゆる成績とか到達点というようなものであろうと思います。ですから、順位だとかチャンピオンシップだとかを目指します。これは、選手やチームの成長のためには設定は重要なものであるには違いありません。その設定は、現実的なものであり、客観評価できるものであり、主体性やモチベーションが生まれるものでなければいけません。同時に、修正可能なものでなければならないと思います。

 一方、この選手をこういう選手にしよう、このチームをこういうチームにしよう。
 このような目標を設定する際には、注意が必要だと思っています。
 特に育成世代の選手やチームは、「できないことをできるようにすること」というのが練習の大テーマとなってきます。個人ができるようにすることを増やすことで、チームとしてできることを増やしていくこと、これが本来のレベルアップの姿なのではないかと考えます。
ところが、これが紙一重、一歩間違うと、指導者が思い描く選手やチームの姿があって、ただひたすらそれに向かってやり続けるというスタイルに陥りやすいということです。「型ハメ」というのは、そういう中での現象なのだと思います。こうなると、指導する側も指導される選手も、目指すゴールは明確化しますが、次の次、さらにその次の発展や可能性までは意識が及ぶことはなくなります。
こういう視点は、「減点主義」の考え方だと思っています。そして足りない部分は「問題指向的アプローチ」になっていきます。ですから、課題解決にエネルギーのほとんどを費やすということになります。

 最近考えてるのは、育成世代の練習こそ、「加点主義」でいくべきだということです。常にスキルアップやレベルアップを求めるのは当然です。その中で、「できるようになったこと」を最大限生かすように働きかけます。そうすると、「目標指向的アプローチ」に移行しやすいです。主体性も生まれます。なぜなら「こんなことができるかも」「これをやってみよう」という、提案型の思考も生まれるからです。

 最近思うのは、育成世代や初心者に対し、「バレーボールの型」を限定的に与えすぎなのではないか?ということです。6人制の現代バレーボールのシステムを画一的に採用しているということです。3つの対角を構成し、それぞれにポジションを決める、セッターは一人に固定する「5-1」フォーメーションとする。私は、実はここに至るまで、もっと段階を踏むべきだと思います。大雑把に言えば、選手のオールラウンドな経験が必要ですし、ポジションや役割の意味やその意味が発生するバックグランドなどを経験して理解することです。よく日本のバレーが、思考停止的だったり、相手にまったく対応したものではないといわれるのも、こういったところから課題があるのだろうと思います。

 「何を目指すのか?」というのと、「何を完成させるのか?」というのは、指導や育成においてはは意味が全然違うのだと思います。
 目指すのは、「限界をつくらないこと」だと思います。可能性を広げること、成長の余地を残す子こと、伸び代を確保してやること、発展の道をつなぐこと・・・。そういうことなんだろうと思います。途中のプロセスで修正が可能なのか?ということは大事だと思います。この場合の「修正」とは、嬉しい想定外などがあった場合です。
 指導者が思い描いた理想像の完成だけではなく、その過程における様々な変化や姿をみて、その素材や材料を最大限に生かし、ゲームに反映させる。この「最適化」の過程と、スキルアップを同時進行でやってこそ、限界をつくらない強化になっていくのだと思います。それが育成だと思いますし、それを導くのが指導なんだと思います。
 次にやってくる大会に向けて、戦い方が進化していけるようにできたらいいなと思います。ただその進化というのは、単なる思い込みやガラパゴス化したものではなく、常に指導内容をアップデートした中で必要なものをを指します。そのためには、日常のスキルアップの努力と、無理なく変化に対応できるようにスムーズに新しい戦い方に取り組める設定、そして選手のオールラウンド化です。そうすることで、勝敗にかかわらず選手たちは進歩を実感できるし、次へのモチベーションを維持できると思います。


育成半ばに対して、負け惜しみだと言われないためにも・・・

 いくら小中学生といえでも、試合や大会に出る以上は、「勝利を目指す」、というのがスポーツです。でも、勝たねば意味がない、というのはちょっと違うような気がします。「勝利」の喜びや達成感は、その人を一回り大きく成長させますし、人々に勇気や感動を与えるものです。ですが、「グッド・ルーザー」という言葉あるように、勝利の裏にある負けからも多くを学べる、それは負けた当事者もそうだし、勝利した側も敗者から学ぶことはたくさんあるのだと思います。さらに言えば、仮に試合に敗れた際に、心の底から学ぶことができるとしたら、それこそ試合にのぞむまでの過程が真摯で懸命な努力があった証拠になるのではないでしょうか?

 「育成」と「強化」と言う言葉がしばしば対比されながら議論されることがあります。
極端にどちらかの選択というより、いろんな要素がお互いに絡み合っているのだと思いますが、実情としては、チームの勝利を追求するならば、いかに確実で効率よく結果につなげるかという視点が強くなるような気がします。
 これに対し、「育成」というのは、短期的な結果を急ぐというよりも、一人一人にフォーカスを当て、すべての選手のそれぞれの成長や伸びを確かめながらの作業になっていくと思います。「育成」においては、育成世代選手の「伸び代」と言われるものを、「確保する、残す、広げる」ということをが大事なのだと思います。

 「育成」は、加点主義
 「育成」は、ドラム缶型
 「育成」は、長期戦
 「育成」は、拡大、受容、包括的
 「育成」は、将来的な進化、変化が大きい
 
 必ずしも、効率的ではない側面も大きいです。ですからともすると、結果や実績という尺度で判断されると、成果が出ていないように見えてしまうことも多いです。
 例えば、中学バレーにおいて、小学バレーの経験があるかないかというのは、かなり絶望的なハンディが伴うことが多いです。小学バレー経験のない初心者からみて、経験者とのスキル差はとてつもないものです。しかし、その後の世代や高校以上のトップレベルにおいて、小学バレー経験の有無というのは致命的な差になり得るでしょうか?なり得ません。中学や高校からバレーを始めたトップ選手などいくらでもいます。むしろそっちが多いかもしれません。
 ですから逆算的に考えると、極論ナショナルチームの立場から、下のカテゴリに期待することというのは、いかに勝ってきたか?というよりも、いかに充実した育成をしてきたか?ということになるのではないでしょうか?実績とか結果とかと言っているのは、あくまでもその現場という「まな板」「土俵」に乗っている者の視点でしかないということです。

 そんなこんなことを書いておりますが、どのカテゴリにおいても「勝たなくていい」ということを言いたいわけではありません。やる以上は勝利を目指し、そのための努力や工夫をし、その過程でチームや人間が成長することがスポーツの価値です。勝ちが価値を生み出します。
 でもその逆もあって、価値が勝ちを導くことだってあるのだと思います。「勝たなくていい」のではなくて、「育成」という、なかなかプロセスが目に見えにくいジャンルが、もっと確固たる地位と重要なポジションにつける日がいつ来るのだろうか?ということです。
 今のままでは、「育成」というのは「強化」の対立軸のように言われたり、勝てないことの言い訳として「育成」が言われたりすることすらあるわけです。

 育成が「負け惜しみ」として扱われないようにするためには、やはり本気でとことん育成に挑戦するしかないのだと思います。結果や実績を盾に邪魔をする存在はたくさんいるはずです。でもそれに屈することなくやり抜く責任を遂行してみればいいのだと思います。
 「育成」の結果は何か?そんなことは一言では答えは見つからないはずです。一人や一部のグループだけでやっても結果は見いだせないと思います。「育成」に高い志をもち、広くみんなでその価値を共有し取り組んだ時、その育成の結果は、自分のチームの勝利にとどまらない、多くの人が喜びを分かち合える結果を生み出すのだと信じたいです。


(2016年)