さぁ35だぞ。人生どうする
「35歳までには」と思っていた。
無計画、サイコロ人生、そのときの気持ちを大事にして、なんとなく流れにのってここまできた。さあこれからどうする。。。やるしかない それだけのはずなんだが。。。
ここまでの略歴を書きたい。
必死で、努力して、やってきたと思えることは、中学、高校で取り組んだ野球。終わって燃え尽き症候群。それから指定校推薦で、なんとなく近くの大学へ行き(高校も推薦だったから必死で勉強してきていない)、社会福祉士をとる学部に入るも、逃げて、さあどうしようか。
思えば、中学校の先生になって、野球部の監督になりたいと思っていたこともあった。教員免許だけはとって卒業。
学生時代、就活はゼロ~♬セミナー参加ゼロ~♪呼ばれてもいない飲み会だけは全力でいく♪
そんな自分が教員になって、教壇にあがれるわけがない。さあどうしようか。そんなとき、ゼミの池田幸成先生からある組織を紹介される。それは、教育施設や福祉施設、過疎地域などへ若者を1年間、住み込みボランティアさせるという『ボランティア365』(今はもうない)だ。当時、教員どころか、自分が働くイメージもわかなかったし、モラトリアム的にそこへの参加を決めた。
組織から決められた派遣先は、富山市の”NPO法人北陸青少年自立援助センターはぐれ雲”https://www.haguregumo.jp/。 そこは、不登校、ニート、引きこもり、と呼ばれる若者を共同生活しながら、農業をし、自立をサポートする施設だった。
はじめて訪れた日はめちゃめちゃ緊張した。今でも覚えている。2008年4月の11日。早朝。新宿からの人生初めての夜行バスで、富山へ。富山の寒さをなめていて、Tシャツに薄手のジャンパー1枚という軽装だった。
最寄りのバス停までくると、当時のスタッフさんが、10人乗りのバンで迎えにきてくれた。まずここでファーストインパクト!!
このスタッフEさんが イカついのだっ!!(坊主で、5センチ以上のアゴヒゲをたやし、ドカジャンを着ている)
僕 ( こわっ!! い、いかつっ・・そりゃ、そうだよな、おそらく はぐれ雲は、漫画でいったらクローズとかワーストみたいな感じで、「ここで一番強いやつ、俺の相手をしろ」とか言う子がいるんだろうから、これぐらいの迫力を持っていないとダメなんだろうな)
バス停からはぐれ雲までは10分で着いた。立派な施設を想像していた。コンクリとかで、学校みたいな。が、でっかい一軒家って感じだった。ただ、カラスの学校(漫画クローズ参照)のように落書きだらけという感じではなかったからホッとした。
玄関入った。人がいた・・・寮生と呼ばれるここを利用する若者たち。
そこは、全然 クローズ、ワーストの世界ではなかった。静かな人たちだった。
そう、静かなのだ。 これから1年間同じ寮に住む仲間になるはずなのに、ウェルカム感もないし、「yo-yo-yo-」みたいな絡まれるでもない。僕が来たことが、ここではなんのイベントでも、動きでもなんでもないのだ。。。
教育実習いったときでも、少なからず生徒たち、「どんな人がくるんだろう」と興味をもってくれていたが・・・
今思えば、自分調子に乗っていたなぁと思う。そりゃ、呼ばれてもいない飲み会に参加し、知らん人と仲良くなってドンチャン騒ぎして、自分がいたらみんな喜んでくれるという勘違い野郎だったから。
午前中は、身支度の整理をして、午後から、農作業をした。お米になる稲の苗がつまった苗箱なるものを、並べる作業をした。後から知るが、1000枚以上の一枚5キロ以上ある苗箱を手分けして、育苗機から、50m離れた育苗施設まで運ぶのだ。
作業中、ある寮生に笑顔で話しかけた。
僕「これ大変ですね」
H(20代男性)「こんなもんやりたないわ~」
僕「・・・チーン」 想像ではそこの返しは(大変ですね~)だろ
会話終了。。。
作業後、ある寮生に笑顔で話しかけた。
僕「大変でしたね」
I(20代男性)「はい。」びっくりしたような様子で目が合わない。
僕「・・・チーン(再)」
会話終了。しかもさっきは作業しながらだから、自然とスウェーできたが、今回は長靴置き場で、二人の20代男性が鎮目で何もしていないという地獄・・・
そしてこの日の食卓。 グラタンに貝が入っていた。僕は貝が幼少で吐いた記憶から食べられない。
向かいに座っていたスタッフEさんに「すみません、僕貝が食べられません」と伝えると、
するどい切れ長の目がギラリ。。。
僕(ヤバい、ヤラれる・・・)
Eさん「よけて食べろ」
僕(本心では なんだこの新入り野郎と思っているはずだ)
僕「Eさん、食べられました」(吐きそう・・・)
Eさん「そうか・・・」
チーーーーン。。。
って なんか盛り上がって書いちゃいましたが、初日はとりあえずこんな感じで。
次真面目に略歴かきます。