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発信すること

「窮屈だ。」
 そう感じるようになったのはここ1年くらいの事である。足のサイズが今更伸びたわけでもなければ、大柄な体格でない僕は部屋のサイズに不満を抱いているわけでもない。窮屈になったのは自分の思いを文章化し発信する場だった。

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はじめまして。てんゆうと申します。
写真の勉強をしながら、ギターを弾いてみたり、ピアノを弾いてみたり、作詞作曲をしてみたりと。ざっくり言うとそういう人間でございます。

僕自身の詳しい話はまたnoteを通して話していこうと思います。

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 僕たちはとても便利な時代を生きている。無名のアーティストであっても、学生であっても、主婦であっても、誰もが当たり前に自分の何かしらの表現や作品等を発信することが容易に可能である。有難いくらいに便利な世の中である。10年早く生まれていたら僕はどうやって発信していたのだろうと考えることが度々ある。それくらい凄まじいスピードで進んでいるのが現状である。それもまた色々と思うことはあるがまたの機会に書くことにする。

 その中で僕はこれまでTwitterとInstagramを発信の場としてきた。幸い写真を撮ることが好きな僕にとってInstagramは恰好の媒体であった。Twitterも同じくInstagramと同じものを連携するように上げていた。それに加え、これまでは近況やその都度の想いを文章のみで投稿することがあった。

 それがこの1年、少しずつ窮屈に感じることが多くなってきたのだ。2020年。1年。たった1年の中で多くの事が凄まじいスピードで変化した。これまでどうやって過ごしていたのか分からなくなる事も少なくはない。そんな中で数え切れないほどの感情が芽生え、僕の中に次々と溜まっていった。その貯蔵施設はもしかしたら大きいものなのかもしれない。しかし、やはりキャパシティはあるようで、どうにかアウトプットする術が欲しかった。

 これまでのようにTwitterに書く事もあったのだが、140字という制限の中、どうも拭い切れぬ承認欲求がそこには存在し、指先で広がる小さな世界で、見えぬ誰かと数字を競い合い、くだらない内容でもバズれば一夜でヒーロー。そうやって上手いことアルゴリズムに乗せられ、くだらない渦の中に巻き込まれていく。その世界の中を歩いてみれば、感情を失った兵器たちが、刃物剥き出して彷徨き、火のあるところでその火を大きくすることに一生懸命である。そんな世界で自分の大切な想いを発信することに嫌気が差し始めた。

 そこで目をつけたのがこのnoteというものであった。友人の中にもここを発信の場としている人がちらほらいること、そして何より、尊敬してやまないASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文氏も使用していることが、ここに今日綴ろうという決意を固めてくれた。

 僕が、この世を生きて、見て、感じたものをただ記す。それだけ。楽しことも、悲しいことも、嬉しいことも、怒りも、憂いも、近況も、宣伝も、今を生きる証明を、ここに鳴らし綴る。

屁理屈言ってみてもいいじゃないか。俺は今日も生きる。

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