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或る日の探訪記

カクエイの意のままに、僕は箱の中にお利口に座っているだけで全国様々な都市に高速かつ快適に移動することができる世の中を迎えた。時間を測りにした時、日本地図は見るみる形を変え、今やぎゅっと縮こまったなんともジャガイモのような、否、里芋なような形になっていることであろう。しかし、高速かつ快適の代償として発生した金銭的負担を考えた途端、僕の中での里芋は見るみる我々の知っているあの日本地図へと戻るのであった。

僕は東京駅みどりの券売機の前で早朝から二択に迫られていた。その二択の内容は実に極端なもので、「行く」か「行かない」かであった。

日付を数日戻す。僕は休みである数日後にどこか遠出をしようと画策していた。最近は休みの日を有意義に過ごせているのだろうかという疑問から、数日後に待ち受けるその休みの日を何か楽しい日にしようと思い立ったのである。そして思案の末候補地に上がった行き先は山形と京都であった。京都はそののち、負担額と日程の都合上で候補地から外れることとなり、行く先は山形に絞られたのである。朝ちゃんと起きれたら行こう。それだけを決めて休みの日を待った。

休日当日。朝5時にしっかりと目覚めた僕は通勤ラッシュを避けるように東京駅へと辿り着いた。行くかの最終決定を当日に委ねていたので、券売機で新幹線の切符を当日購入するのが僕の最近のスタイルである。乗る新幹線と乗車駅降車駅を選び、僕が目にしたのはほぼほぼ埋まりきっている座席表であった。平日の早朝、こんなにも多くの人が東北へ向かうのか。その衝撃とともにぎゅうぎゅうに詰め込まれて山形へ行くことへの躊躇いが生じたのであった。

僕は東京駅みどりの券売機の前で早朝から二択に迫られていた。ここにきて片道一万円の負担が突然重くなった。僕の中で里芋が途端日本地図に戻り、その遠さに呆然としていた。一本新幹線を遅らせることで、その東北行き鮨詰め箱の迷いからは解放されることは判明したが、果たしてそれで行くべきだろうか。僕は早朝からの逡巡で熱がこもり側から見れば冷静に見えても、中では茹で上げられたタコの如く赤くなっている自分がいるのがわかるほどであった。発車まで時間はあるため、肌寒い外気でクールダウンさせるべく歩きながら考えることにした。結論から言うとクールダウンで冷静さを取り戻した僕は一本遅い新幹線で無事山形へ向かうことにした。怠惰な日常の繰り返しの中に有意義な休日を求める本質を手離さなかった僕に僕から感謝を申し上げよう。


同じ車両には十名ほどの海外からの団体客と数名のサラリーマンと思わしき人々が一緒に乗り込んだ。途中から小さい子を連れたお父さんが大荷物で乗車し、僕の前に座った。そして数駅乗って下車して行った。その間子は騒ぐこともなく、大人しく乗車していた。大胆にくつろいでいるのか靴下を履いた小さい足が二つ投げ出せれているのは目撃した。僕がその歳で新幹線に乗れるとなったら、お利口に座る一方でずっと喋っていたことであろう。

山形新幹線には初乗車であった。外装のデザインこそ変わってしまったものの、小さい頃図鑑などで見ていた車両そのものはまだ現役であり、乗れたことが個人的に嬉しかった。車内は在来線を走ることもあり少し狭く作られており、国鉄時代から走っている特急電車のような近年の新幹線と比べどこか古めかしく感じてしまうデザインなのも非常に嬉しいポイントであった。

何より嬉しかったのは、このフットレストが付いている点であった。

お気に入りフットレスト

途中トイレに席を立つ。振り返るといつの間にか一緒に乗車した海外からの団体客はおらずがらんとしていた。


ここまで目的地をざっくりと山形としてきたが、明確には米沢であった。中学生の頃だったかに訪れて以来二度目の米沢上陸であった。駅前の光景は数年前の僕の記憶とピッタリと合致した。地方の変化スピードはそう早くはない。都心と地方では流れている時の速さは現実的には同じであるはずだが、そこには大きな差があると感じる。

この旅の第一の目的は上杉美術館で開催中の「上杉家伝来写真」という展示を観ることであった。米沢藩主であった上杉家には日本に写真が伝来した幕末から昭和初期までの写真が多く存在している。今回の展示ではその原板からプリントまで貴重な本物の資料と、それに関わる研究の多くを観ることができる貴重な機会でもあった。歴史、特に幕末から維新期にかけてが好きで、かつ大学で写真の勉強をする僕にとってこの展示は見ておかなければならない重要なものでもある。きっかけは大学の講義内での先生の紹介であった。まさかこの展示のために東京から米沢までいく学生はいないだろうと思っていたかもしれないが、ここに一人馬鹿がいた。

貴重な資料の数々。写真の歴史を紐解く上でも、幕末の東北の様子を紐解く上でも大変良い展示であったことは言うまでもない。想定していたよりも1時間以上長く滞在してしまうほど、他の常設展示も含めいい施設であった。

隣に立っている上杉神社を参った後、撮影がてら街を歩き、少し離れた場所にある上杉家代々のお墓にも参りに行くことを決めた。謙信公をはじめ代々城主のお墓は大変立派であり、写真撮影自体は問題ない場所なのだが、なんとなくその神聖さに撮影はしなかった。

そしてまた撮影をしながら米沢の街を歩き回っていくことにした。


朝、米沢駅に到着し、日が沈み米沢駅に戻ってくるまでは長い道のりであった。スマホのアプリ上ではこの日20kmを超える歩行距離であった。約20km地点で一旦撮影を休憩し腰掛けた時には疲労が足に出始めており、再び歩き出すことに躊躇こそしたが、日が沈みはじめ空の色が変わりゆく中でいい景色が写せそうという制作魂に火が灯ったことで、その疲労はすぐに消え、夢中になってシャッターを切り歩いた。

一通り撮影を終え、その撮れ高に満足をして駅に戻ってきた。あたりはすでに暗く、駅舎は明るく照らされていた。米沢といえば牛肉どまん中である。知らない人はぜひ検索して欲しい。東京であれば駅弁屋で買うこともできるのだが、米沢駅前にある店舗では出来立てのそれを買うこともできる。時間が遅かったこともあり、もうないのではないかという不安も残しつつ入店し、まだあるか尋ねてみると、残り一つとなっていた牛肉どまん中が出てきた。撮れ高で満足げな男は、好きな牛肉どまん中の入った袋を満足げに持つ男になった。

米沢に降り立って、これを買わずして何を買う。


帰りの新幹線に乗り込む。フットレストに足をかけ、落ち着いたところで牛肉どまん中を食べる。出来立て、ほのかに温かいことも相まって、いつものそれよりも随分と美味しく感じる。山形新幹線で食べれたことも要因かもしれない。

食べ終わって眠くなっているところに途中駅から東京へ帰る出張帰りの多くのサラリーマンが乗り込んできた。流石に歩き疲れたのか、寒いところから温かい車内に入ったこともあったのか、その後すぐに眠りにつき、起きた時にはまもなく上野であった。

それからまもなく、無事東京へ帰還した僕は、帰ったらお酒を飲もうと意気込んで、家路を急いだ。


かくして有意義な休日を手に入れるべく、山形県は米沢へ行ってきた日記を皆様方に読んでいただいたわけであるが、一つそれらしいことを述べるのであれば、待っているだけでは手に入らないものは多いということである。

きっとそれは何事においても。何かできるとはこの上ない贅沢なのかもしれない。


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