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君らしく踊ればいいじゃない

ずっと観たかった映画「四畳半タイムマシンブルース」をついに、やっと観てきた。池袋の映画館で、その日一番早い上映で観てきた。私は1人で映画を観るときは、朝一番か、終電間際のレトショーが一般である。理由はただ一つ。他のお客さんが少ないこと。

通勤ラッシュ寸前の、乗客の増え始め頃の電車に乗り込み、映画館の開場に合わせて並び、できるだけ周りに他のお客さんがいない、かつセンターな席を取り、今日も快適に観ることができた。朝映画は終演時刻も9時半や10時ごろと早いため、1日が充実して感じる。早起きは三文の徳というあれだ。朝が好きな私にはもってこいである。一方レイトショーはそれはそれで映画の余韻を抱えたまま眠りにつくことができる。実はこれらの選択は良いのだが、あまりオススメはできない。なぜなら、それで私の快適時間に人が増えてほしくはないからな。


この映画が観たかった最初のきっかけは主題歌がASIAN KUNG-FU GENERATIONであったからだ。また、イラストを担当しているのが中村佑介さんともなれば、それは観たいに決まっている。

しかし、アニメ版「四畳半神話大系」を観ていた私は、上田誠さん、森見登美彦さん、中村佑介さんの作り出す、あの独特かつ面白い世界の映画についていけるかいささか不安でもあった。

結論から言ってしまえば、めちゃんこ面白かった。楽しかった。もう一度観たい。そういう映画であった。(あえての、めちゃんこ。詳細は映画を観てください。)

アニメーションで言うと、コナンの映画は毎年観にいくと決めている。新海誠監督や細田守監督の作品も大好きである。しかし私はそれらでは映画館でもう一度みたいとはならなかった人間であった。しかし今回は違った。早くももう一度観たいと思っている。

今回は映画レビューを書いているわけではないので内容については触れないこととするので、まだ観てない方はぜひ映画館へ行って欲しい。ただ、私はとても良いと感じた。それにまとめさせてもらう。

終演後、外の世界では雨が降っていた。前日の暑さは別の街へ行ってしまったのか、スクリーンの中の夏とは違って肌寒い朝が待っていた。しかしそのおかげだろうか。観終わった後、珍しくスッキリと道を歩いている私がいることに気がついた。私は割と映画を観るとその世界観が自身の中に残ってしまい、なんともいえない重さを抱えたまま帰路に着くことが多い。それは決してネガティブなこととは捉えていないのだが、なかなか難しい感情の一つでもある。今日は降り出した小雨がうまい具合に私を元の世界に戻してくれた。感謝である。


まだ時刻は午前10時。買いたかったグッズがなかったので、少し足を伸ばして数駅離れた別の映画館の売店を目指す。時間を有意義に使えている私に満足し雨ではあるが、その足取りは軽い。

東京の映画館は縦に長い。そう感じながらはしご先の映画館の売店でグッズを一つ買う。お目当てのものではなかったが、とても実用的なものがあったので購入を決めた。

時刻は午前10時半を少し過ぎた。気分で、来た時とは別の路線に乗って池袋に戻る。電車はやや遅れていたが、今の私にとってそれは全く気にならない。人の少ない各駅停車に乗り、のんびりと池袋へ向かう。少し早いが池袋で昼飯を食べる。まだ昼飯時には早いこともあって店内はガラガラで、これまた快適である。ちなみに昼飯はうどんである。時刻は11時。


一般にお昼時となる頃、私は池袋で開催されている四畳半タイムマシンブルース展へ行く。映画をみて、グッズを買い、その展示を観にいく。なんとも四畳半密度の高い半日となっている。平日の昼ということもあってか、会場は自分を含め3人。うち1人はだいぶ先を進んでいたため、実質2人。いや、あれはもう貸切同然であった。さっきスクリーンに出てきた世界がそこにはあった。観てすぐきてよかったと思える。入場料は500円。写真撮影OKの箇所もある。中村佑介さんの原画なども展示されていた。中村さんの展示は以前観に行ったことがある。その時も入場料はあるものの、撮影はOKであった。今回も同様に。中村さんのナニカシラの広さには尊敬である。私は将来楽曲のデモ音源などを公開して音録っていいよといえるだろうか。また別の話でもあるので比べるものでもないかもしれないが。今回もご好意に甘え、写真をたくさん撮らせてもらった。もちろん目にも焼き付けて。

そこでもグッズを買った。欲しかったものが買えたのでよかった。


昼も過ぎ、一度帰ろうかと思い、改札にICカードをタッチする寸前でその右手を引いた。本屋にも寄りたくなった。無論、欲しいのは四畳半タイムマシンブルースの小説である。映画でも良い言葉がたくさん散らばっていた。それを可視化できる文字として手元に残したいという気持ちがあった。現代では映画もアーカイブ化され、上映終了後も簡単に見れるが、文字として、物質として、大切に抱えることができるものはどうしても欲しくなる。最近の若者は所有欲がないから、と、どこかの先生が言っていたが、そんなことはない。もしくは私が現代のおける例外なのかもしれない。それでもいい。私は私が大切にしたいものを抱きしめていきたい。

本屋を見て回っていると、さすが上映中の小説、ちゃんと並んでいた。ただ文庫本のみがピックアップされていた。なんとなく私は文庫本ではなくカバーの厚い単行本で欲しかった。理由はうまく表現できないが、それが好きなのである。値段は文庫本に比べややするが、今日は気にしないでおこうと思い、本屋を歩き回ってそれを探した。

一冊だけ、棚に並べられていた。発見したときの嬉しさはたまらない。これもまた自分の足で買いに行き、自分の手で所有するということの醍醐味だと思う。

私は購入した小説を抱きしめて本屋を後にした。


家路に着く。私は今という時間をどれくらい大切にしているだろうか。何もしなかった1日もたくさんあった。しかし、今日はとても大切に生きられた気がする。それでいいと思う。

それは二度と繰り返されることはなく、たとえタイムマシンを使っても取り戻すことはできない。

四畳半タイムマシンブルース 森見登美彦 著(角川書店)

それぞれの1日にはそれぞれの生き方があり、未来なんてどうせわからないのだから、私らしく、その日を生きられればと思う。

君らしく踊ればいいじゃない。その歌詞がとても強く入ってきた日であった。

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