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自転回顧懐古録

朝ごはんを買いに訪れたコンビニを出ようと自動ドアからその一歩を踏み出さんとした時のことである。ガシャガシャとスチールやアルミのぶつかり合う音が響いていた。傍ではそこに止められていた数台の自転車が次々と倒れていくまさにその時であった。側には倒すきっかけを作った張本人と思わしき一人の老人がなす術なく立ち尽くしていた。

朝から倒れた自転車を本来あるべき自転車の姿に戻している中、この音を聞いたのは実に久しぶりであると懐かしさに耽っていた。思い返せばそれは高校生の時以来である。

時は高校生の頃に戻る。とはいえせいぜい数年前の短いタイムトラベルであるが、この数年がまた長いことは本論から外れてしまうので述べるにとどまる。

僕の通っていた高校は自転車通学者の数が以上に多い。全体の生徒数に対して9割近くがそうであったのではないかと思うほど、朝夕の校舎に続く道はどこかの国のバイク天国ならぬ自転車天国であった。程よく地方であった地元は電車やバスは通っているものの、その利便性は非常に悪い。一本逃せば次は一時間。遅刻ギリギリの生徒には致命的である。今思えばその距離を自転車で行き来するのか!?という距離を当たり前に通学する友人も少なくはない。余談ではあるが、僕の通っていた高校は偏差値はまあまああり、県内では倍率一位となる人気の(自称)進学校であるのだが、その自転車通学者数の多さ故か、はたまた文武両道と謳っている故のストレスからか、県内で治安と学力の低さで有名な高校を抜いて交通違反率の高さを誇っていた。それを集会で先生が話しているのを聞いて、静かに笑った。


校舎までは長く急な坂を登らねばならぬ。漕いで登るのも至難であり、また乗車して降るのも事故防止のために禁止とされていたくらいである。無論そこを漕いで登るものはほとんどおらず、自転車馬鹿を除いては皆重い自転車を押して登るのである。ここまで快適な乗り物であった自転車も、この坂を登る最中のみは、憎まれ者となる。遅刻坂と銘打たれその名の通りその坂のせいで遅刻ギリギリで到着した者たちは坂の手前で回避不可を余儀なくされるのであった。

坂を登り切った者たちはその疲れと、早く教室に入りたいという一心で、なるべく校舎に近い側に駐輪を試みるのである。どれだけ混んでいようが、その小さい隙間に無理矢理でも押し込み、停め終わった時には押し込んだことにより両輪が浮いたままになっているものもある。それは停めたとは言わないのだ。

僕は時間優等生である。始業30分前には教室に着いていた。正直なところ混雑した坂を登りたくないが為であったのだが。そのおかげで朝には余裕があった。駐輪場もどこも空いていて、手前に停めることだってできるのだが、最終的には既に述べたような状態になってしまうことは容易に考え得るので僕は出来るだけそこを離れた空いている場所を選んでいる。その場所は法と秩序が保たれており、隣の自転車とは適切な距離が空き、倒されることも滅多にない。

そのおかげで下校の際はストレスなく悠々と自転車に跨ることができる。法と秩序が乱れた駐輪場を横目にスイスイと進む。絶妙な均衡が保たれたそれは現代芸術の如くそこに鎮座している。一つ抜けばそれは音を立てて崩れ始めることであろう。ガシャガシャ。

コンビニ前で倒れた自転車たちは元のあるべき姿に戻り、一息つく。思わぬところで懐かしさを感じだものである。時間は止まったり遡ったりはしない。進むにつれて懐かしさは増えていく。日常の生活の中で思わぬところに懐かしさの要素が転がっていたりするものである。それを拾い集め愛しんだりするのもまた良いであろう。さて、朝ごはんを食べようではないか。

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