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私という男 #3東海大学時代

東海大学に入学

「他の大学からの誘いはもう断っていいか?」

高校の監督である井手口先生にそう聞かれ、私は即答で「はい!」と答えた。

というのも私が高校3年生に上がった頃には東海大学から誘いがあり既に進学すると決めていたのである。

この大学で結果を残せばプロになれる。
そう胸を躍らせながら東海大学の門を叩いた。


寮の排水口が臭い

入学と同時に私は寮に入った。
初めての一人部屋にテンションがあがる。

私の代は俗に言う"ゴールデンエイジ"と呼ばれた先輩方と入れ替わりで入学した世代。

・石崎巧
・竹内譲次
・内海慎吾
・阿部佑宇
・井上聡人

故に私は竹内譲次先輩が使っていた部屋を引き継ぐことになるわけだが、

いかんせん排水口が臭かったのである。

誤解を解くためにも先に断っておくが、竹内譲次先輩が臭いわけではない。

竹内譲次先輩が使っていた部屋の排水口から変な臭いがするという話なのである。

おそらく先輩もこの臭いと4年間、苦戦を強いられたはずである。

そこで私は色々試してみた。

・かんたん洗浄丸
・パイプユニッシュ
・ドメスト

しかし次から次に試してみるも、どれも効果は無し。


次は"毒をもって毒を制す"ではないが、臭い匂いに良い匂いで掻き消そうとした。

当時、好きな匂いだったGONESHのNO.8。
このシリーズのお香、スプレー、アロマ、コーンと使える商品は全て使って試してみた。


が、結局、気分が悪くなるだけで功を奏することはなかった。

最終的にどうしたかというと、

蓋をしたのである。

シンプルイズザベスト。
これで4年間、私は過ごしたのである。


原チャで通学

寮から大学は多少、距離がある。
故にほとんどの人が原付自動車で通学していた。

朝飛(多嶋朝飛)は赤のトゥデイ、私は黒のズーマー。

先輩の中には大型二輪免許を持っていて、エンジンをブロロロンと鳴らしながら寮から走り去る先輩を見て羨ましいと思っていた。

原チャで急斜面の坂をヒーヒー言いながら登る私と朝飛を横目に、颯爽に坂を駆け上がる大塚さん(大塚裕土)が眩しかったのを覚えている。


鬼主将、小林慎太郎

私が1年生の時の4年生に彼は主将を務めていた。

曲がったことが大嫌いな彼は、練習でやる気がなかったり声が出ていなかったり態度が悪かったりすると、容赦なく胸ぐらを掴んで怒っていた。

言うことがド正論すぎて、かつ自らも一切の妥協を許さないような主将だったので誰も言い返す人は居なかった。

目の前で胸ぐらを掴んで怒鳴るものだから、1年生の私たちは間違いなく全員、頭の中で危険信号をキャッチしていたと思う。

それ以来、私たちは寮で主将が居ないことを確認してから食堂に入るのが日課となった。

何故ならシンプルに怖かったからである。


昆布おにぎりを吐いた山形合宿

東海大学には毎年恒例の合宿が年に一度訪れる。
この合宿がまたえげつない。

場所は山形県の蔵王にあるLIZAアスリートヴィレッジ。

高地に所在しているここは、陸上トラックからクロスカントリーコース、ウエイト施設まで完備され、宿泊施設から5分も歩けば体育館と、合宿するにはうってつけの場所である。

夏にいつも合宿所を訪れるのだが、高地のためか平地ほど暑くはなく、むしろ朝と夜は寒い程である。

一年を通して、キツイ時期は多々あるが"合宿"と言うだけあって、この山形合宿が一番の山場と言える。

そんな山形合宿だが、私が4年間在学した中でも大学3年生の時の山形合宿が今までで一番キツかった。


一日にするとこうである。

朝にラントレ。
午前はウエイトとワークアウト。

昼飯、昼寝をしたら、

午後からチーム練習。
夜はフリー。


合宿の2日目、我々は集合時間である朝6時に陸上トラックでラントレをするために徒歩で向かっていた。

私はこの日、空腹が嫌で昆布の具が入ったおにぎりを1個食べてからラントレに臨んだ。

この日のラントレは200mスプリントx20本。
タイム設定はガード32秒〜フォワード34秒。
インターバルは1:2
(32〜34秒走って64〜68秒休み)

10本走ったところで逆回りになり、後半の10本を折り返す途中、吐き気が私を襲った。

原因:走り過ぎ

そしてそのまま私は横の芝生に朝食べた昆布のおにぎりを我慢できずに吐いたのである。

自慢じゃないが、液体になって出てきた嘔吐物は昆布のせいで黒かったと私は鮮明に覚えている。


ウエイトのメニューもえげつなかった。
この年の最終日はウエイトで締めたのだが、ホワイトボードのメニューを見て目が点になった。

・ベンチプレス 10回x100セット
・スクワット 10回x100セット

雑にも程がある!!!

いや、でもコーチ陣の顔を見る限り至極、真面目な様子。

普通に説明を始める小山ストレングスコーチ。

そして説明を受けた私たちは気の遠くなるようなウエイトを始めるのであった。

スクワットでは、それまで100kgで挙げてた人が終盤にはバーベルシャフトのみ(20kg)になったり、ベンチプレスに至っては最後は木の棒のようなものを挙げていた。


ある日は陸上トラックで400mを走り、
ある日は夏のゲレンデを駆け上がる。

クロスカントリーの大会に出たと思ったら
チームでバーベキューをする中日(なかび)もあったり。

思い返すと濃い思い出ばかりなのである。


陸川章監督

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