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シャワー

 寒い夜だった。
 秋になりはじめて、夜中から明け方にかけて足下が冷えた。
 そんな夜にふと目が覚めて、自分の足の冷たさに震えた。電気毛布を出していたので、尚早かとは思いつつもスイッチをいれ、ごくわずかに温めた。
 それでなんとか足を温めて、無理矢理寝返りをうつ。狭いベッドの中で、毛布が巻き付いてくる。
 それから部屋がしんとしているのを感じて、なんとなく落ち着かなくなった。
 静かすぎるのは苦手なのだ。だからといって騒々しいのはもっと苦手だ。贅沢な悩みだと思いつつも、静かさに鳥肌を立てる。
 シャーッという水の流れる音がする。
 シャワーだ。
 シャワーの音がする。
 このマンションには、私以外に夫しか住んでいない。その夫は、仕事が遅くなりまだ帰宅していない。
 では、誰が浴室にいるのだろうか?
 耳を澄ませてみる。
 誰かいるのだろうか。
 誰が、他人の家でシャワーを浴びるだろう?
 ザブン。
 湯船に湯を張っているのか、つかる音がする。
 しばらくの沈黙。
 やはり誰かいる。
 だけど、誰もいない。
 浴室を確かめるつもりはない。
 誰もいないのがわかっているから。
 それから、誰かいないことを確かめても何にもならないから。
 後でお祓いをしておこう。
 それから、夫に注意をしておこう。
 ただそれだけだ。
 しばらくすればおさまる。
 ジャバーッ。
 湯船から上がる音がする。
 水がしたたる。
 いつまで風呂に入っているつもりだろう。
 いい加減どこかへいってくれないだろうか。
 それから朝になって、日差しが浴室に差し込んでいるのを確認し、檜の香りがする除菌スプレーを浴室にまんべんなくスプレーする。
 手を叩く方法もあるけど、今はもういないのだから、寄りつかないように除菌するのが一番手っ取り早い。
 眠っている間に夫は帰ってきて、まだ眠っている。
 まんべんなくスプレーをする。
 翌日、夜中、やはり夫がいない時に、気配がした。
 嫌な感じでも良い感じでもない。
 ただの気配だ。
 だけど、うっとおしい。
 私と夫以外の誰かが勝手に部屋にいるのは不愉快だ。
 それで、二度手を打った。
 それで、追い払える。
 案の定気配が消えて、部屋に静けさが戻った。
 やれやれ。
 神経が高ぶっていると、こういうことが起きる。
 よく“感じ取る”のだ。
 だからって何をするわけでもない。
 ただ受け流すだけだ。
 まともに取り合ったところでどうにもならないのだから、放っておくのが一番だ。
 ただ目に余るようなら、手をかける。
 面倒だなぁ、そう思いながら。
 そこには死者への敬意やら恨みやら。そういうややこしい感情は存在しない。
 ただ嫌な気配を除去するために、ちょっとだけ手をかける。
 知らない人が部屋にいたら妙な気分になるから、出て行ってもらう。
 ちょうどそんな感じだ。
 ただそれだけだ。
 夫に「夜中に誰もいないのにシャワーが流れるから」と注意した時も、返ってきたのは「ああ、うん」という言葉だけだった。
 誰か現実の人間がシャワーを浴びている可能性だってあるし、それが隣や上下の人の音が反響しているだけかもしれない。
 もちろん、そうじゃない時だってある。
 色々な可能性を加味して「ああ、うん」である。
 彼はいつも冷静で、論理的だ。
 だからといって、頭から目の見えないものを否定したりもしない。
 それどころか、ただ気配を感じる私と違って、それが“良い”ものか“悪い”ものかが分かる。
 そんな彼が「ああ、うん」なんて返事をするのだから、浴室にいたものはきっと無害なのだろう。
 ただよその家のシャワーを浴びて、いなくなるだけのもの。
 気持ちは良くないけど、そう目くじらをたてるほどでもない。
 そう思って、今日も眠る。
 別にどうってことはない。
 ただシャワーが流れるだけだ。
 すぐにいなくなる。
 秋らしいのが秋になって、冬になる頃にはいなくなるだろう。
 あせることはない。
 だけど、スプレーが効果を発揮したのか、浴室の来訪者はいなくなった。
 その程度のものだ。
 繰り返しになるけど、どうせすぐにいなくなる。
 だから、放っておいても良かったのだ。
 良かったのかもしれない。


 ――了――
 
 
 
 

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