見出し画像

人生は皿回し


人生は皿回し!
物心ついた時既に家にあたしンちがあって、覚えるくらい何度も読み返してきた。
同じように何度も読み返してきた姉とは何かある度に、「ねえ今の、あたしンちのアレ思い出した」「あああれね、お母さんがユズヒコに…」「そうそう笑 よく今のでわかったね笑」で通じるくらいにはあたしンちを熟読してきた。
自分が大人になったからか、だんだんあたしンちで読んできたことの本質みたいなものが分かるようになってきて、いくつかが人生の教訓となってきたような気がする。
特にこの"人生は皿回し!"は、本当にそうだよなあ…と最近思う。
最初の印象は「またお母さんが謎理論でみかんに怒ってる」くらいのもので、盗み聞きしていたユズヒコの「疲れる人生観だ…」にクスッと来ていた。
でも最近、考えが煮つまる度に、人生は皿回しって本当なんだ…と漠然と不安な気持ちになる。

私は人生の皿回しが苦手だ。
というか生活の皿回しが苦手なのだ。
家族によく、だしっぱなしやりっぱなしを注意されるけれど、これは皿回しが下手くそが故なのだ。
最近は通信で通っている大学の勉強や履修の進行管理、結婚に向けた準備、職探し、家事という生活に必ず必要な要素の他に、投資をやってみたいなとか積読している本を読むとか、いい加減部屋のインテリアを整えたいとか、そういう小さくて大切な生活もやりたくて、カメラロールの整理とか、可愛い服が欲しいとか、友達と遊びに行きたいとか、短歌を詠むとか日記を書くとか旅行とかオタ活とか自分の楽しみのこともあってとにかくいつもなんか漠然と忙しい。

いつも皿を上手く回せていない。
今私にある人生皿を勉強、仕事、将来、家事、婚約の5つだとすると、私は勉強皿を回すために仕事皿・将来皿を放棄したことがある。そして、二度目の放棄はさすがに自分で自分を許せない。
勉強皿に満足したら、仕事皿と将来皿に取り組もうと思ってた。最初の大学4年のことだ。私はその時皿を放棄した結果大卒フリーターになったことを、一欠片も後悔していない。「人はなぜ皿を回すのか」という命題に納得しなければ、そもそも皿を回し始めることが出来ないので、納得するまで放置した迄だ。納得出来た今、放棄はできない。我ながらめんどくさい遠回り人生、そして美しき自我と思う。
そんなわけで今は、生活のために仕事皿もガンガン回していきたいが、同じくらい勉強皿にも向き合わねばならず、そのためには家事皿からは目を離せない。
だから今はこの5つの皿を同時に回す必要がある。マジでキツい。
自分で面白い方をやろうと思うから、普通の人にはあんまり起きない勉強皿と結婚皿を同時に回すということが起きていて、それはいいけどいつまで経っても仕事皿を真剣に回す気が起きない。

今は人生皿というでっかい皿を同時に5つ回さなきゃいけないけど、昔は生活皿という小さな皿を回すこともままならなかったように思う。
親は自分のたくさんの人生皿を抱えて、その上子どもの分の人生皿を回してくれていて、そしてうちの親は子ども皿を回すのがうまかった。
だから皿を回すこと自体は割とうまいんだけど、同時にやると難しい。(当たり前か)
今はその、同時に皿を回すことを練習する時期なんだと思う。
そして、私は自分で思うよりアグレッシブに皿を回すタイプらしいので、そういう風にしか生きれない自分を楽しめばいいかなとも思う。

人生の皿回し、だる〜と思いつつ、やらねばならないものはやるしかない。
きっと私以外にも皿回しが苦手な人もいるし、できるようになったら増やせばいい。
この日記を描き始めた時「人生の皿回しヤダ〜😭」という気持ちでいたが、あたしンちのことを考えていたらなんだか少し前向きになれたような気がする。
ゆずぴの言うように疲れる人生観かもしれないけれど、皿回しに疲れたら手を止めてあたしンちを読むことに没頭するのもいいかもなと私は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?