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賛歌

いつも通り定時の五時半に、私は席を立った。周囲の人に気づかれないように、細心の注意を払う。ジャケットを小さく丸めて鞄にしまい、いつも給湯室に置いて帰るマグカップを、大げさに両手で高く持つ。まるで喉が渇いたので、ちょっと飲み水をくみに行く人に見えるように。両脇をぴったり閉めて、なるべく自分の体積を小さくした。

よく考えれば、私は、誰にも侵されない定時で帰る権利を持っているし、いつもこの時間に帰っているので、会社の人たちは、私が今帰ったとしても別段驚くことは何もないのだ。時間短縮で働く女性たちはとっくに帰ってしまっている。私が今会社を出ることは、何も特別なことではなかった。それでも私は、今日、これからの計画が他の人に漏れないように、悟られないように注意した。今日はなるべく早く帰らなければならないと、考えていた。一瞬たりとも長く、会社に居るわけなにはいかなかった。

パソコンの電源を落とししてから席を立つとあまりにも帰る準備をしているように見えると考えたので、私は、席を立ってから、パソコンの電源を落とした。椅子も、整いすぎではなく、自然に、主人がいなくなったかのように見せる。隣の人は、ディスプレイを睨み続けて、動く気配はない。前のデスクの人は、高く積まれた書類の山に囲まれて、頭の先しか見えない。後ろのデスクの人は、私に背を向けながら、電話の受話器を肩で挟み、ボールペンをカチカチと鳴らしている。私は静かに出入り口に向かって歩き出した。上司のデスクの横を通り過ぎるとき、少し体の右側だけが、ピリピリと皮膚が熱くなった。いつもより上司の体が大きく見えた。出入り口近くの本棚の前まで来て、物陰に紛れて少し、呼吸を整える。給湯室に入るとき、すれ違った一人の社員の喉仏を見ながら、笑顔で、「お先に失礼します」と囁いた。彼はいつも通り、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「お疲れ様です」と言った。音を立てないように注意して蛇口をひねり、冷たい水でマグカップを洗い、金属の棚に置く。振動で棚全体が揺れ、カップが触れあう音がした。私は少し驚いて、思わず棚を片手で支えた。

社員全員に背を向けてドアを開けるとき、少し背中の産毛が逆立つのを感じた。音を立てず、立てなさすぎず、立てすぎず、まるでただ、ちょっとの間、外に用があるように自然な動を心がけた。特に何事も、特別なことなど待っていないかのように。心の中で、私は、今日は二度とこのドアをくぐらなくていいことを喜んだ。誰にも気づかれないようにうつむいて、挨拶もせずに会社を出る。静かに階段を下ながら、まるでふわふわとした絨毯の階段の上を歩いているような感覚を覚えた。少し足に力が入りすぎているようだった。空はまだほんのりと明るいが、人の顔を見分けるのは少し難しいぐらいには暗い。最寄りの駅に向かう道は、ほとんど1本道だ。会社の人に会わないように神経を尖らせていたので、駅に入っても、しばらく、うまく息が吸えない気がした。

はやく、はやく、帰らなければと思うと、電車の動きが、ドアの開け閉めも、加速も、停車も、全てがゆっくりしているように感じで、焦りがつのる。いつもはあっという間に過ぎてしまう一駅一駅の間が、まるで何十分もあるかのように長く感じた。もっと早く走ってくれと祈れば祈るほど、胃がキリキリと痛む。もらったチョコレートを、くるくるとポケットの中でいじりながら、電車の中の液晶画面をじっと見上げていた。

現実から逃げるように部屋に駆け込んだ私は、急いで靴を脱いで、鞄を玄関におき、ジャケットを脱ぎ捨て、会社を出てから初めて深く息を吸った。固まった背中の肉と肋骨と肩甲骨が、ばりばりと剥がれる音がする。そしていつものように、全ての着ているものを脱いだ。

くたびれてゆるくなったシャツのボタンを外し、汗を吸って少し重くなっている靴下を洗濯物入れに投げた。シャツのボタンから飛び出た糸を、再びくるくる、シャツとボタンを繋ぐ糸の束に巻きつけた。スカートは埃を落として、ハンガーにかける。ブラジャーとパンツは、専用の洗濯ネットに入れて、もうすぐ壊れそうなチャックを慎重に閉めた。私のブラジャーにはワイヤーが入っていないが、洗濯ネットには、ワイヤーが入っている。なんだかその事実が、とても面白いことに思えた。腕を回すと、ごりごりと、骨が固まった筋肉を動かすのを感じた。

裸になった私は、しばらく鏡に映る私の肉体を眺めた。腰にはスカートの金具の跡が、肩には下着の肩紐の跡が、赤く残っている。余った脂肪のような力のない胸に、全身にうっすら生える産毛、そして、贅肉で隙間なく閉じた二本の太もも。二の腕は服を着ている時より、一回りは太く見える。脚の付け根は、前も後ろも、まるで接合を失敗したようにでこぼこ、もじゃもじゃしている。お尻は垂れて煮込み過ぎた餅のような形をしている。これが現実、と私は自分に言い聞かせた。生理の出血は終わって、三日目、一番体調が良い時期だ。手足のむくみもない。いつもは生理のせいにできる、体の不具合も、今日ばかりは、言い訳ができない。一つあるとすれば、今日も日中ずっと椅子に座っていたということだけだ。私は誰かを魅了するような肉体を持っていないし、そして誰かに襲われても立ち向かえるような筋肉も持っていない。私はこれを毎日持ち歩いて、生きてきたのだ。私が、私の肉体と人生を、喜べる日は来るのだろうか。

裸のまま、私はお湯を沸かし、お気に入りのマグカップにミントティーのティーバッグを入れた。私の部屋に、マグカップは一つしか置かない。唯一の、私の部屋の整理術だ。お湯を注ぐと、一瞬、ミントの香りが部屋じゅうに広がり、そしてすぐになくなる。ティーバッグなんてそんなものだと自分を納得させながら、私は何度もマグカップを鼻に近づけて香りを楽しんだ。

少しぬるめのシャワーを浴びながら、埃と一緒に、東京の悪い部分が洗い流されるように感じだ。きっとそれは、細かくて黒くて、全身の毛穴の奥に溜まってゆく、身体に悪いもののはずだ。普段使わないオイルやクリームを押入れから掘り出し、シアバターの香りやアンバーの香りに囲まれながら、たっぷり時間をかけて身体をきれいにした。私は新しい服に着替えて、外に出た。

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御茶ノ水行きの電車は、全部で十人ほどの乗客を乗せて新小岩駅を出発した。同じ車両には、私の他に、一人しか乗客がいない。

向かいを走る千葉方面の電車には、ギュウギュウに人が詰め込まれて、窓ガラスがところどころ曇っているのが見えた。私は、アウシュビッツに連れられてゆく人々の記録映像で、その電車が、あまりにも空いていることに驚いたことがある。だがその時の感想を、今まで誰にも言ったことはない。

時計の針は23時を指している。こんな時間に、出かけるのは初めてだ。毎日、朝と夜に通り過ぎている駅が、この時ばかりは全く違うもののように見えた。いつもは気に入らない、喫煙所の煙さえも、今はとても心地よく感じた。

もう春になったとはいえ、まだ夜は寒い。興奮で身体が火照っていた。電車の振動と一緒に、どくどくと心臓の音が、頭に鳴り響く。指先は小刻みに震えた。目には涙がたまっているらしく、視界の端がわずかに歪み、瞬きする度に瞳が液体に覆われていく。目を開けると1秒にも満たない時間をかけてじわりと視界がクリアになる。足の指先はひどく熱く、全身に血液が行き渡っているのを感じた。ぴくぴくと、こめかみの血管や太ももの外側の血管が、思い出したように痙攣を繰り返している。私は体と外気の温度差を感じて、緊張を収めようとしていた。軽く唇を噛み、鼻から入ってくる冷たい風を意識した。息を吸って、ゆっくり口から吐きながら一、二、三、四、五、六、七、八と数える。両腕の力が抜け、肉体本来の重みを感じた。次第に脚の力が抜け、体ごと、硬い座席に沈み込んでゆく感覚が、私を包む。ゆがんだ感覚に、しばらく体を委ねた。

この呼吸方法を教えてくれたのは、高校1年の担任だった。「君は、女性的な人が苦手なんだね」と今まで自分でも気がつかなかった私の性癖を、先生は見事に言い当てた。いや、本当は随分と前から気づいていたが、意識しないように、私の心に厳重に蓋をしていた、と言うべきかもしれない。ずっと昔から、知っていた、いつかは向き合わなければいけない、私の中の問題。でもその時は、先生の言葉が、私の人生を変えるほど、意味のあるものだとは思っていなかった。

家族とも、クラスメイトともうまくいってないみたいだと、先生に相談した次の日の朝、教室の私の机に、「いつ返してくれてもいいよ」と書かれた黄色い付箋と一緒に、数冊の本が置いてあった。赤瀬川原平の本だった。そのうちなんのメモもなく、酒井順子のエッセイ、盆栽の写真集やゆるキャラ図鑑などが置かれることになる。教室に入ってすぐに自分の机の上の異変に気付いた私は、少し戸惑いながら、左手で本を拾い上げ、立ったままパラパラとページをめくった。そのまま最小限の動作で座った私は、周囲の視線に全く気づかないように、その本を読み続けた。脇の下と首の後ろを、風が通り過ぎた。先生に会わなかったら、決して手に取らなかっただろう本だった。

「世の中には遊びが必要なんだよ。」

すこし長すぎる白衣を翻し、キョロキョロと視線を左右に動かしながら、先生は言った。その時私はカラスのことを考えていた。数日前の新聞で、カラスが電線や小石で遊んでいるらしいという記事が載っていたからだ。

「遊ぶってどういうことですか。」私はまるで初めて聞く言葉の意味を尋ねるように、目を丸くした。

「100の力に、100返ってこないことかな。」

納得のいかない先生の答えを聞いて、眉間に力が入った。「本気じゃないってことですか。」

「君は、本気じゃないことがいけないと思ってるの?」

じっと私を観察するように見つめ、先生はふふふと笑った。私は先生の言っている意味がわからず、顔をしかめたまま、固まった。「君は力を抜くことを覚えたほうがいいね。」

それから先生は、私に「遊び方」というものを丁寧に教えてくれた。クリスマスのカウントダウンカレンダーをパリパリと毎日開ける楽しさや、元気が出ない日に誰ともは話さず一人で居ることは良いことだとか、紙を破ったり落ち葉や火で遊ぶのは大人になっても興奮するものだとかいうことも。

先生のいる部屋は、職員室から一番遠く、生徒もあまり通らない一角だった。先生の勧めで、箱庭作りは何度もやったが、思うように作ることができず、結局途中で諦めた。箱庭に使うミニチュアは、棚にいっぱい並んでいたけれど、私の好みに合うものは、ほとんど置いていなかった。安物の風車小屋や、プラレールの小物らしき駅舎や踏切、ちょっと昔の怪獣や仮面ライダーの人形と、大きすぎる猫のソフビ人形や、その他の人形に比べると小さすぎる像の置物、妙にリアルな表情の羊や牛などがたくさんあった。砂の上にいくつか置いてみるが、あまり楽しいものではなかった。私はいつも同じシリーズの人形しか使えなかった。ミニチュアの大きさが不揃いなのは、私には許せなかった。私が作る箱庭は完璧ではないと、強く後悔が残った。

箱庭の存在は今でも少し苦手だ。私の右後ろで「ふむふむ」とか言って意味ありげに頷くその先生の姿を思い出す。満足いくまで何度でも作ればいいよと先生は言ったが、私は一回試しただけで、二度と箱庭には近寄らなかった。

今思えば、私は、小学校の頃からすでに、違和感を覚えていた。たとえば、少女漫画と少年漫画、黒と赤のランドセル、青とピンクの裁縫道具、ズボンとスカート、女の子だけがつけていいリボン、男の子向けのおもちゃと女の子向けのおもちゃ、男女別の出席番号や、男女別の更衣室。私は、小学校の更衣室で見る女の子の可愛いキャミソール姿が苦手だった。細かい花柄やキャラクターがちりばめられたふんわりとした下着を見るたびに、いけないものを見てしまったような罪悪感があった。やわらかな肌を守る、軽くて通気性のいい厚手の生地。その繊維と繊維の間に吸い込まれてしまいそうな私がいた。柔軟剤の香りのするピンク色のタオルよりも、自動車柄のごわごわのタオルのほうが、心が落ち着くのだった。

なぜかわからないが、いけないことだと知っていた私は、水着になった女の子たちを、私はあまり見つめないように努力した。その代わりに、お気に入りの背中を見出した。整列の際や泳ぐ順番を待っている時に、その背中を目で追うのだった。日焼けした肌と白い肌の境目を、毛穴の一つ一つが見えるまで、見つめた。肌の上で丸くなった水滴が、するすると彼女たちの腕を滑り落ちて、プールサイドのタイルに当たって弾けた。

私は男の友達と一緒に遊ぶことが多かった。少年漫画もよく読んでいたので、話題には困らなかった。休み時間、男の子たちと一緒に校庭に向かう私を、いつも、リーダー格の女の子とその取り巻きが睨んだ。喘息が悪化して走れなくなるまで、私は彼らと一緒にサッカー部に入れるものだと思っていた。その時は、この気持ちが、どういうものなのか、全く理解していなかった。私は、男の子は男らしく、女の子は女らしくなるための英才教育を受けている最中だった。私は、男の子になりたかったわけではない、女になりたくなかったのだ。いつだってどんな科目にだって、要領の良い子はいる。私は、早熟な女の子と話すのが、いつも苦手だった。男の子に選ばれるような、かわいい女の子が苦手だった。きっと、「男らしさと女らしさ」みたいな教科があったら、彼女たちは満点を取るだろう。私は落第生だ。

「げんき君が好きなんでしょー」

ませた女の子たちは、髪をいじり、唇を光らせながら、埃っぽい下駄箱で私に話しかけた。彼女たちはいつも、ヘアスプレーの、オレンジの香りを纏っていた。

「そんなことないよ」

私はその話題よりも、その女の子に話しかけられたという事実に緊張していた。芳香剤が目にしみた。太陽に光を浴びて輝く埃を見ながら、私は話した。

「告っちゃいなよー」

私は、その可愛い女の子たちの考えはよくわからなかったし、女の子たちが何に必死になっているのかもわからなかったが、それが、女の子たちを熱狂させるということだけは分かっていた。そして、私もそれを理解した方が良いのだという圧力に、私は反抗できなかった。私はいつも、問題のない答えを探した。

いつも一緒にサッカーをしていた、もう一人の女の子がいた。彼女は、私が答えた一番問題のなさそうな男の子の名前に反応し、君もなのか、と私に詰め寄った。私は、彼女が、その男の子のことを好きだということに驚いて、反応できなかった。その時はなぜショックを受けたのかわからなかった。今もまだ、その気持ちがなんなのか、わかっていない。その時私は、一度名前を出した男の子を、好きになる努力を始めていたのだ。この努力は、その後も何度も繰り返されるが、結局、よい成果を出せることはなかった。そして誰も、やり方が違うとか、体の使い方が悪いとか、そういったアドバイスをくれる人はいなかった。算数や理科が満点でも、彼女たちが何を考えているのかはさっぱりわからなかった。

好きな人の話は、小学校でも中学校でも高校でも、いつも私を混乱させた。全ての人に個性があり、全ての人が素敵なんだと考えていた私には、「特別」がどういうことか分からなかったし、友人よりも大事で、勉強よりも優先されるべき人など、いなかった。私は常にみんなに平等に接しているつもりでいた。それを、恋人の出現によって、乱されるのには納得がいかなかった。

これが恋だと理解した時、私は高校を卒業していた。「特別」の意味を理解した時、私は失恋していた。

「彼氏と同棲してるよ。」と、大学2年の夏、久しぶりに会ったその子は、何も悪びれることなく言った。

私は喉が詰まって声が出ず、全身から血の気が引く音を聞いた。とたんに頭に血が上り、私の思考回路はほとんど働かなっていた。動揺を隠せず、私は、「なんで! 知らない!」と泣くことしかできなかった。

「え、そりゃあ、今言ったからね。」

彼女は、牛乳で割った甘いカクテルを、飲みながら言った。私の気持ちには、全く想像が及ばないようだった。仲の良い友人に裏切られて、泣いていると思ったのだろうか、彼女は「今度三人で一緒に飲もうよ。」と言ってきた。

私も、自分が彼女のことをこんなにも重要視していたということに驚き、そして私の気持ちが彼女にはまったく伝わっていないという事実を目の前にし、混乱していた。私は彼女の鈍感さに感謝し、もうすでに流れ出てしまった涙を、孤独な女の涙ということにした。高校の友人たちも大学の友人たちもみな、カレシを作るのに全力だと嘆いて、その場はごまかし、何もなく終わった。私は結局、ジンバックを五杯のんだ。

私は、彼女への愛を自覚し、彼女は私の気持ちには気づかずに終わった。彼女のそういう態度が好きだった。私には乱すことができない、彼女の確固たる、テンポ。それを、まだ会ったことのないどこかの男が、きっと、乱しているのだ。私の想像する恋愛、はそういったものだった。彼女と別れても、私はしばらく放心状態で、家に帰れず、大学のキャンパスのベンチに座って、何時間もじっとしていた。男と女、男と女、男と女! 世の中はそんな単純な単位で成り立っているのだろうか。その時私は、私の仲間はこの世にいないと思っていた。私は世界で一人、余り物で、片割れなどいないはずだと思っていた。どこに向けたら良いのかわからない怒りと、悲しみを抱いて、とぼとぼと暗い道を歩いた。その夜私は、彼女を押し倒す夢を見た。夢の中で彼女は、私を拒まなかった。

ふと前を向くと、はす向かいに座っている男性と目があった。酒を飲んだらしく、顔が赤らみ、瞼は半分閉じていた。髪は乱れ、ジャケットもズボンもしわだらけで、力なく足を通路に放り投げている。汚れて曇った黒い靴が、バラバラの方向を向いていた。電車の振動に合わせて、ふらふらとつま先が揺れる。男は、小さな目で、じっとこちらを見ていた。

誰かに見られていると自覚することは、時々、とても心が落ち着くことだった。まるで私には意思がないように、見られ、飾られ、消費され、飽きられ、捨てられたかった。やるなら徹底的にやって欲しいと思った。生きるのに疲れた私は、神のように私の全てを導いてくれる存在が欲しかった。そんなものは有り得ないとよく理解しているからこそ、私はそれを全力で欲することができた。

ふくらはぎに当たる暖かな風が、私と外界との境目を曖昧にしていた。小岩駅でドアが開き、冷えた空気が静かに車内に流れ込んできた。私はふたたびくっきりと自分の肉体を意識した。私は自分の姿を思い出した。

靴は、まだ2回しか履いたことのない、黒い革の厚底ブーツ。靴底は木でできていて、見た目よりも軽く、どんな棘を踏んでもきっと大丈夫。真っ黒のタイツは、1足1500円。私が持っているタイツの中で一番高いものだ。新品なので、太ももを締め付けるように足にぴったりとまとわりついている。頭には、セミロングの金髪のウィッグ。少し髪が長いのが気になるが、色が明るくて、「明るい元気な女の子」みたいに見えるもの。ぴったりと体に沿った白いシャツと茶色いジャケットのおかげで、ウェストは締まって見える。ジャケットの、少し大きい金色のボタンが、飴のように鈍く光っている。レースが4枚重なったミニスカートが、扇型に座席に広がっている。そっと撫でるとカサカサとはかない音を立てて、布が薄く畳まれるが、手を離すとすぐに本来の厚みに戻った。このフレアのおかげで、立っても座っても、綺麗な扇型を保つことができる。瞬きするたびに、厚く塗りたくったファンデーションとアイシャドウの重みを感じる。毒物のように鮮やかな青のアイシャドウが、視界をも輝かせているようだ。オレンジ色のチークは、目の下にたっぷりとのせた。色つきのリップクリームを何度も重ねて塗った唇が、テラテラと夜の電灯を反射する。ヤスリで形を整えた爪には、わずかにピンク色が入った、透明なマニキュアを塗っている。私は、自分が服と化粧にしっかりと守られていることを確かめて、少し腰を持ち上げ、背筋を伸ばした。

大学の友人は「かわいい服は、女の子の鎧なんだよ」と言っていた。胸が大きいのを気にしている、細身の人だった。そのわりには、いつも谷間の見える服を着ていた。大きな指輪やピアスやネックレスが、いつもギラギラと光っていた。アイシャドウやつけまつ毛が彼女の目を何倍も大きく見せていた。彼女の手帳はいつも予定でびっしり埋まっており、彼女が新しい予定を書き込むたびに、ペンの先についた星の飾りがかちゃかちゃと鳴った。髪の毛はいつもしっかりと手入れされていて、彼女の周りはいつも花束のような香りがした。鞄にも大きな銀色の装飾が付いていて、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた人だ。

授業が始まる前に、彼女が、後ろに座っている私に話しかけてきた。

「新しい香水買ったんだ。嗅いでみて。」

と彼女は、左手を頭の後ろに回し、髪を左の肩にかけた。教科書を読んでいた私は、目の前に突然現れた白いうなじに驚き、そして彼女に言われるがまま、顔を近づけた。茶色いホクロが二つ、セットのように並んでいる。彼女はここにホクロがあることを知っているのだろうか。教室の薄暗い電気に照らされて、彼女の肌は青白く見えた。

「いいね、似合ってるよ。」

正直緊張で匂いなど分からなかったが、彼女が選ぶ香水は間違いないだろうと思った。

「つけてあげる。手を出して。」彼女は髪を手で整えながら言った。彼女のうなじはもう髪で隠れてしまっていた。

「いいよ、私そうゆうの、なんていうか、合わないし。」

「香りが変わるのを嗅ぐだけでいいから。」

強引に引っ張られた右手首に、冷たい霧が吹きかけられた。彼女に握られた右手の四本の指が、少し冷たい彼女の左手を感じている。

「ほら、かいでみて」

私は勢い余って自分の右手首を鼻にぶつけた。

「んー、ユリみたいな匂い。」

「匂いって何。香りでしょ、か、お、り。」

「そうだね、まだ香り変わらないよ。」

「変わるのは5分ぐらい後だよ。」

そう言って彼女は香水をしまった。彼女の目を盗んで、私は右手の汗をぬぐった。

化粧を盛った方が、痴漢とか変な人に会いにくいからと、私に化粧の仕方を教えてくれたのは彼女だった。アイラインは、自分の目の縁を囲むのではなく、自分が欲しい目を描くものだと彼女は言っていた。アイブロウペンシルは、自分の眉毛ではなく、欲しい眉毛を描くものだ。マスカラ下地の適量は、自分が欲しいまつげの量、だと言った。自分が欲しい顔が決まらないと化粧はできないと、私はその時初めて知った。私にはそんなものはなかった。生まれたままの顔で生きてゆくだけで、精一杯だったが、それは間違った認識だとわかった。世の中の全ての化粧をする人は、自分の顔以外の理想の顔というのがあるのだろうか。それは一体、どんな顔なのだろうか。一人一人違う顔なのだろうか、それともある地域、ある年齢で似たような美人像がくっきりと、あるのだろうか。それが、自分の生まれたままの顔と違う、という事実を、彼女たちは簡単に受け入れ、そして理想に近づける努力を毎日しているのだ。それは一体、どんな感覚なのだろうか。

その時、彼女は痴漢なんかよりももっと面倒な彼氏と、別れられずにいた。いやだいやだと言いながら、彼の車に乗って連れて行かれる彼女を何度も見た。会うたびに彼女はやつれ、化粧は濃くなっていった。ある時彼女は左腕に大きなあざを作ってきた。どうしたのかと、遠慮がちに聞くと、彼女はそれを私に見せながら、「セックスしてる時に、彼がすごい力で握ってきたんだよ」と笑った。私はその時、彼女が快感に身をまかせている表情を想像し、あざから目を逸らした。

彼女は命を削りながら生きていた。部屋は服だらけで、欲しい服が見つからないと古いミシンを実家から持ってきて、どこからか仕入れた高そうな布を縫っていた。休み時間にはいつの間にかボロボロになったマニキュアを塗り替え、常にたくさんの薬を飲んでいた。薬を飲まないと生理がこないとも言っていた。彼女はいつも水のペットボトルを持ち歩いて、一口ずつ飲んでいた。そんな彼女を私はとても不思議な気分で見ていた。SF映画で見た、自分を修理しながら走る、古いロボットみたいだと思っていた。

驚くべきことに、SNSでの彼女のニックネームは、全て違う。大学の構内であった彼女の友人たちも、彼女の彼氏も、私の知らない名前で彼女を呼んだ。その度に、「あ、サークルではアヤで通ってるんだよね。」「彼にはリコって名乗ってるんだけどね。」と彼女は平然と言った。私は、まるで彼女が手のひらの中で、バラバラに崩れていってしまうかのように思えて、いつも、怖かった。自我同一性(アイデンティティー)の崩壊、というキャプションのついた心理学の教科書の挿絵のように、サイコロ状になって壊れる彼女を想像した。彼女が何によって、自分を一人の人間として、保っていられるのか、わからなかった。そんな彼女を見ながら、私はなぜそんなに生きたいと思うのか理解できなかった。何がそんなにも彼女を急がせているのか。それでも私は、その質問は彼女にしてはいけないということぐらいは、わかっていた。

彼女はたくさんの化粧水や美容液や保湿クリームの使い方も教えてくれたが、忘れてしまった。人間の体は数ヶ月で全ての元素が入れ替わる。彼女は今、きっとほとんどサプリメントや薬、そして大量の化粧品でできていることを考えた。彼女の正体は何なのだろうか、と考えた。そして、決して、私の正体は彼女よりもはっきりとしているとは、言えない。

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平井駅のホームはほとんど無人だったが、駅の向こう側には大勢の人の気配がした。私はたくさんの、一人、あるいは二人、あるいは三人、もしかしたら四人、五人で生活している人たちのことを考えた。小さい一人はもうすでに寝て、二人だけが起きている家族。洗い物とアイロンのおかげで、家の中は湿度が高い。少し小声で話す、そんな、二人の特別な時間が、この街にたくさん存在していることを、考えた。

風が吹き、髪の毛がすこし浮くのを感じた。あわててそっとウィッグの前髪の付け根を抑えた。ふと、手の甲、親指の付け根に、長い毛が二本生えているのが目に入った。ああ、しまった。さっき新しいカミソリをおろして、両手両足の毛を全部剃ったと思っていたのに。電車を降りたら目的地まで少し歩くので、途中でカミソリを買おうと考えた。しかし、そのカミソリを一晩中持ち歩くのは少し変な気がしたので、すぐにその考えを却下した。左手は大丈夫だろうか、と思って手首をまわした。そういえば、ふくらはぎの裏はいつもうまく剃れないんだったと思い出し、右手でゆっくり右足をなぞった。厚手の丈夫なタイツの上からは、産毛なんか、触ってもわからなかった。間延びした車掌のアナウンスが始まると、さっと足から手を離し、姿勢を整えた。放送の声と私の手の動きが合ってしまったら、きっと恥ずかしいと思ったからだ。私は、誰にも寄りかからず、何にも寄り添わず、ただ一人座っているように、見られたかった。それが強さだとは思っていなかったが、一人であることを怖がらないことは、強さだと思っていた。

人間は結局孤独なんだよ、と常に言っているのは、会社の近くの食堂を営んでいる、10歳上の男の人だ。

「自分の人生を決めるのは結局自分で、その選択に責任を持たなきゃいけないのは自分だからね。」

そう言う彼は、生まれた時は女だった。

半年ほど前のこと、お客が私しかいない時に、「もしかして君、女の子が好きなんじゃない?」と急に話を振ってきた。彼は洗い物の手を止め、この時を待っていたかのように少し前のめり気味に、私の目を、じっと見ていた。L字型のカウンターに、二つのテーブル、全部で15席ほどしかない小さなお店だ。視界に入らない客は居ない。烏龍茶の入ったコップを置いて、ためらいながら、少し低い声で、なんでわかるんですかと聞いた。

彼は少し考えて、「男性のあしらい方を見てなんとなく。」と言った。

腕を組んでカウンターの上に乗せたまま、私は少し笑って、思わず下を向いた。先週、会社の先輩とお昼ご飯を食べていた時のことを言っているのだろう。私はもう、自分がどんな男性に好かれ、自分の何が人を勘違いさせるのか大体分かっていたし、それは仕方ないことだと思って諦めていた。目の前にある、こぼれた米粒を手で拾い、食べ終わったお皿に乗せた。黄色い脂がお皿の上で乾いて、薄い膜を作っている。換気扇から入ってくる外の車のエンジン音が、二人の間に響いた。なるべく私は今この状況が初めてではないというような笑顔を作った。わかりやすいですかねえ、と聞くと、「まぁ、その手の人には」と彼は笑った。次は彼が告白をする番だった。

「僕は、女子校に通ってたんですよ。」

私は大げさに驚いてみせた。とっさに私の胸の中に浮かんだ、優越感を隠すように。特殊な過去を持つ人間と出会えたという、下品な喜びを感じた。それと同時に、その感情を恥だと思った。そんな気持ちを、彼には隠さなければいけないと、私は強く思った。

彼とはただの店主と客以上の関係はないが、自分にとっては、初めての、自分以外の「世界との違和感を持っている人」だった。彼とは短い昼休み、いろんなことを話した。時々、彼の事情を知っているお客さんも交えて話をした。まるで外の世界とは隔離された安全な部屋のような、感覚があった。彼は、隠すことなく全てを話してくれた。他人は感じていないらしい違和感の原因がわかった小学生の時、初めて女の服は着たくないと親に言った時、制服のために毎日首を絞められるような気分で過ごした中高、手術を受ける決心をした時、手術が終わった後のことを、今でも何度も思い出すと彼は言っていた。女性の体で生まれた人が男性の体に戻るための手術は、男性の体で生まれた人が女性の体に戻るための手術よりも、死亡する確率が高いと聞いた。どちらも、手術中に亡くなる人が多い大手術だ。「女の体で生きるしかないなら死にたいと思った。だから、手術で死ぬのなんて何も怖くなかったよ。遺書も書いたし。」彼は笑っていたけれど、私は笑えなかった。彼を目の前にして、私は女なんだと深く自覚した。彼の話を聞いても、自分のことしか考えられない私を恥じた。そんな危険な橋を渡らなければいけないのなら、私は女でいいやと思う自分を、彼には悟られたくなかった。

「この前久しぶりに、ダメな人に会ったんだよ。」あの時と同じように、店の中に私と彼しかいない時、彼は私と少し距離を取りながら、思い出話をするように、話し始めた。

「ダメって何がですか?」

私は箸でサラダをいじるのを止めた。彼は顎の髭を触りながら少し考えて言った。

「俺みたいな人。昨日、常連のお客さんが友達連れてきてさ、俺のこと元女子高生ですって紹介したの。」

「うん、それで?」

「意味わかんねえって言って、その友達帰っちゃってさ。」

そう言って、彼は笑った。私は、つられて笑いそうになるのを必死に抑えた。箸をお皿の上に置き、右手を軽く握ってカウンターの上に置いた。

「そうゆう人、いるんだ。」

無理に出した声は、いつもより低くこもっていた。

「いるいる。時々説教されるもん。健康に生まれた体にメスを入れてうんぬんとか。でも久しぶりだったなー。」

少し疲れたように、彼は俯いた。

彼が時々見せる弱い姿に、私は少し安心していた。全てうまくいく人なんていないのだということを、強く感じた。目の前に置かれた鶏肉のグリルが、少し冷えて硬くなっていた。

ある芸術家が男性から女性になる、一部始終を、記録したドキュメンタリー映画を見たことがある。冒頭ではまったく女になることなど考えていなかった彼は、映画が進むにつれ、だんだんと、女になりたいと声に出すようになった。手術後、病院のベッドの上で目覚めた彼女は、全身の痛みを耐えながら、風呂場に行き、自分の股を見た。目で見て、頭を抱えて泣き、自分の体を触って、嗚咽し、もう一度触って、全身を震わせて彼女は泣いていた。私は、その場面に釘付けになった。

一度だけ、まだ自分が男になれると思っていた時に、自分の持っている服で、できる限りの男らしい格好を試したことがある。鏡に映る、ボーイッシュな自分の姿に、女の子の域を決して出ることができない自分の姿に、私は心底がっかりした。丸い顎、緩やかななで肩、大きなお尻、太ももの曲線、全てが私は女だと語っていた。私は急いで着ている服を脱いで、いつもと同じ高校のジャージにTシャツの姿に戻った。こちらの方が私らしい。私はそれからは一度も、そんな愚かな試みをすることはなかった。

誰かが私の生き方を決めてくれるなんて都合のいいことは起こらないとわかっていたし、そんなもの望んでもいなかったが、今までの私は常に、特に他人と関係することに関して、自分で何かを決定することを避けていた。確実にうまくいく方法、あるいはすでにできている道しか選ばないようにしてきた。私は彼らのような努力をして、自分の生きたい道を作ることなど、到底考えられなかった。私は愚かで無知な「女の子」から逸脱することを拒んでいたのだ。その次にある「女」のステージには行きたくないが、その他の道を作るのはもっと嫌だった。きっとこれからも、人生の大事な何かを決める時に、私には万全な理由が必要になるだろう。たとえば事故とか病気とか、そういうものに頼らない限り、私は動くことができないのだ。

しかし、そんな生き方を、変えたいと思っているのも確かだった。彼らも、ある日突然手術を受けて性別を変えたわけではないことぐらい分かっていた。毎日毎日ちょっとずつ、言葉遣いを変え、服を変え、髪型を変え、仕草を変え、希望する方向へと舵を切って進んで行ったのだ。それはどれだけ恐ろしかっただろうか。私は大きな一歩を歩みだすことは不可能かもしれないが、小さな一歩を踏み出すことはできるかもしれないと思った。

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亀戸で乗ってきた男性は、オーバーサイズのカラフルで派手なパーカーに、中途半端な丈のデニム生地のズボン、子供のスリッパのように大きなスニーカーを履いていた。大声で電話をしながら、酔っ払いのサラリーマンと逆側の端に座った。

彼はどこに行くんだろうか。こんな夜中に、何かやむを得ない事情があるのだろうか。あるいはいつも通り、幼馴染の気のおけない友人と会うんだろうか。もしかしたら、実は今の私と同じぐらい、どきどきしているかもしれない。なんだか急に、私は、彼と私の共通点を見つけようと躍起になっていた。彼はもしかしたらゲイかもしれない。彼は、もしかしたら生まれた時は女だったのかもしれない。彼も、一度も会ったことのない人と会いたいと考えたことがあるのだろうか。SNSで出会った人と渋谷のハチ公前で待ち合わせてみたり、行きつけの店で新しい出会いを楽しんでいたりするのだろうか。彼も、例えば大好きな歌手のコンサートに行くときは、今の私みたいに冷静な気分だった? 体が熱くて、喉が渇いた?

私は、革の鞄を少し体に引き寄せて、持っているペットボトルを取り出し、水を一口飲んだ。少し冷たい、鉄の錆びたような匂いが鼻の奥に広がって目にしみる。鞄の中には、読みかけの『罪と罰』が入っていた。けれども、本を読む気はなかった。私が今から行こうと思っている場所は、小説よりも素晴らしいところだと確信していた。鞄を閉じるとき、磁石があたる、パチンという軽い音がした。濡れた手で触った部分が、湿って色が濃くなっている。

私が、まだ現実よりも小説の方が美しいと心から信じていた時、私は、「生」の意味をよくわかっていなかった。私に生きることを勇気付けてくれる人は小説の中か、歴史に名を残して死んでいった活動家や、ほとんど伝説のような哲学者たちだった。彼らと一緒に過ごす時間を夢見て、私は現実の苦しみを感じないようにしていた。その頃私は、現実世界に生きている意味はなかった。現実の世界の隅々まで行き渡っている閉塞感、あるいは私の存在を脅かす恐怖の正体を、10代の私はちっともわかっていなかった。それでも毎日、毎年、経験や体験や、何かそういったものを重ねていくにつれて、その姿がくっきりとわかるようになってきた。良識のある女として生き、女として消費され、女として男と寝て、女として妊娠して、そしていつか誰かの母親になり、祖母になることが、私には恐怖だった。その道を私が選ぶなど、考えられないことだった。それらが自分の人生で起こる事件だということを、全く認識できていなかった。それでも私は、それ以外の道を知らなかった。それ以外の道を歩んでも良いということも、知らなかった。

祖母と母は、何かにつけ「女の子だから」と言い、私をしつけた。女の子なんだから20時には必ず家に帰らねばならず、女の子なんだから家事を手伝い、女の子なんだから体重を気にするべきで、女の子なんだから綺麗な言葉を使わなければならなかった。牛肉は男の食べ物で、私と母はいつも豚肉や魚を食べていた。そして、私が「女性らしく」なることを、拒むのだった。

家庭の中では恋愛の話はほどんど禁止に近く、男の子から告白されたという話題になると、母は私を笑った。私の赤いブラジャーを、母は洗濯物の山から掘り出し、笑った。大学の時に友人と初めて行った下着屋で、勇気を出して買った、大事な下着だった。私にとって女であるとは、恥であり、私を現実に縛りつける鎖でしかなかった。国語の教科書も、英語の教科書も、歴史の教科書も、テレビドラマも、世界中の映画も、子供向けのアニメーションも、私に、男を愛し、結婚し、母となることを強いていた。そして私の身体すら、激しい頭痛を伴いながら、毎月五日間の出血によって、私が女であることを、私に自覚させ、脅迫するのだった。

私が見つけた、その道から外れる方法は、小説を読むことだった。小説の中で私は、将軍に忠誠を誓い、ドラゴンと戦い、諜報部員から逃れ、純潔を誓い、女性に恋し、「女らしさ」や「母親らしさ」を笑った。小説の中には、常識から逃れた勇者たちがたくさんいた。そんな彼らに自分を投影していた。いつか私も、そう思って物語に没頭した。それでもよく「女として生きて幸せになる」物語に出会った。女は常にその日に食べるものや恋愛のことしか話していなかったり、冒険は男たちのもので女は家で彼らの帰りを待っている、というような具合だ。そんな物語に出会った時は、私が知っている最大の罵り言葉を唱えながら、古本屋に売った。そして体調を崩して、寝込んだ。

初めて、男色というものを知った時、私は自分の生きる道はこれかもしれないと考えた。私が武士になることができないことはわかっていた。武士道は男の道だ。女には通れない道だ。私は、物語と、本と向き合う私の肉体の矛盾に気づいていながら、読むのをやめることはできなかった。男として男を愛することに、私は夢中になった。三島由紀夫、稲垣足穂、澁澤龍彦の作品を読み漁り、私は愛(エロース)を知った。完璧なものに対する愛おしい気持ち、それは私が小説の世界に感じていた感情そのものだった。

そして、「恋人」や「家族」などの単純な名前がつかない、人間関係を知った。それまで私は、カノジョやカレシやハハオヤやムスメといった単純な名称に括られることが怖かったのだ。名前に縛られない、無数の人間関係の、奥深さを知った。愛されたいという欲望と、自分もいつか誰かを寵愛したいという欲望を持って、私は誰かを待っていた。私と誰かの、特別な関係を夢見ていた。

「最高の愛の形って、なんだと思う?」

大学の食堂で、同じ講義に出席していた友人が、熱く語ってくれたことがある。彼女は、長身で、背中の半分以上が隠れてしまうほど長い黒髪をもち、大きな丸い瞳をいつもキラキラと輝かせていた。道ですれ違う男性が振り返るほどの、美女だった。私は、彼女の強さが、あまり好きではなかった。自分は人に愛される価値があるとわかっている人の、自信を、彼女の仕草や笑顔から感じていた。誰の前でも、好きなものを好きと言い、自分が性的に消費されることを堂々と拒否できる彼女が、憎かった。

「どういうこと?」

同席していたもう一人の友人が、大きな声で聞いた。講義の休み時間で、食堂は騒がしかった。大きな丸い天井は、どんな隅にいる人たちの話し声も、倍以上に反響させていた。さまざまな料理と人々の体臭が混ざった匂いが立ち込めている。二人はどんどん声が大きくなっていった。

「男と女が、まぁ男と男、女と女でもいいんだけど、二人が愛を一番感じることってなんだと思う?」

「セックスってこと?」

「そう思うのね。ねえ、どう思う?」

私は急に話を振られて戸惑った。とっさに嘘をついた。

「私もそう思うよ。」私はその時セックスが実際にどんなものか、知らなかった。

「私はね、死ぬことだと思うの。心中よ。」

「え、死ぬの?」

「そう!」

彼女は長い髪のひと束を、指で梳かしながら、まるで自分の実績を誇るように答えた。

その時私は、本で読んだ遊郭での事件や武士たちの心中事件の数々を思い出していた。私には、それは絶望ではないかと思った。思ったが決して口に出さなかった。興味のあるふりをしながら、テーブルの下で、伸びすぎた自分の手の爪をいじっていた。テーブルの上に置かれた紅茶の紙コップから、白い湯気がゆらゆらと空にのぼってゆく。

「良いドラマがあるの!」

そう言って、彼女はいくつかのタイトルをあげた。それらはもっとも単純な悲劇で、もっとも簡単にカタルシスを味わえるだけだと思った。障害者の感動話で泣くのと何が違うのかと思ったが、彼女には言えなかった。彼女は、最愛の人物と出会えた時、心中するのだろうか。私にはそうは思えなかった。私が想像できる、愛(エロース)は、神に対してしか抱けない感情だった。私は人間同士の感情に、最高などを求めている彼女の考えがよくわからなかった。みにくく、不完全なものであるからこそ、人は、それをいとおしいと思うではないのか。完璧なものを求めているなら、それは、人間ではない。

現実に絶望しながらも、私が決して死を選ばなかった理由のひとつは、本にある。無数の素晴らしい、本が、生まれたこの世は、きっと正しい。現実がみにくく不完全だからこそ、私は美しいものに愛を注ぐことができる。死者の世界にも同じようにたくさんの本があるかもしれないが、それは、おそらく死んでから読めばいい。

そして、不完全を愛したいと思っていたことも、死を選べなかった理由の一つだった。それはつまり現実、そして自分を、愛そうと思うことだった。それは私が「完全な女」や「完全な大人」という幻想から逃れるためでもあった。神よ、私はあなたを否定しよう。あなたは、いつの時代だって、物語の中、本の中にしか存在しない。あなたを追いかけることはもう、私はしない。不完全こそが美しく、愛すべき存在なのだと、私は生きながら証明しよう。私の、予測できない未来を信じよう。

今私は、現実で、冒険をしようとしているということを、考えた。どんなことが起こるかわからない緊張を、紙の上のインクではなく、現実に感じていた。私以外の人は、それを、時に毎日繰り返しているという事実を、まだ受け止めきれてはいなかった。今電車に乗っている全ての人が、今東京にいる全ての人が、世界中の全ての人が、こんな、興奮状態にいるかもしれないということを考えた。

みんなやっていることだというなんとも説得力のない理由で、私は自分のこの決断を正当化しようとしていた。いや、むしろ正当化などせず、後先考えず、歩んで行くことが、現実の歩き方というものなのかもしれない。私の勇気は、語り継がれ、本になることなどないだろう。これまでの数々の名もない人たちの冒険が、この現実を作っているということを、私は、今、初めて考えている。

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電車はしばらく浅草橋で停車していた。ひんやりとした風を感じながら、今着けているウィッグのことを考えた。ネットで調べると、すぐにコスプレ用のウィッグ専門店がヒットした。実店舗が浅草橋にあるようだった。その時はじめて、浅草橋に下車する用事ができた。毎日のように通り過ぎていた浅草橋の駅に降りると、想像していたよりもそれはたいしたことではなく、私の心はとても落ち着いていた。しかし、駅前の、雛人形や五月人形の大きな看板を見て、やはりここははじめての街だと、感じだ。まるで生きているような人形たちの目が、じっと私のことを見ている。人形は生きていないからこんなにも「生」を感じるものなんだと、大学一年のときに書いたベンヤミンに関するレポートを思い出した。完全なる客体になることは、どんだけ幸せだろうかと想像した。完全な導かれるものになり、何も考えず、何も判断せず、私は神の言う通りに生きたいと願ったこともあった。私は、神を信じられるほど、単純な頭を持っていない自分を呪った。「お前はいいね、そうやって座っていればいいんだ」私は、心の中で、お雛様に向かって中指を立てた。地下に潜る階段や高架下には、生乾きの毛布のような匂いが立ち込めていた。

店内には、三人の先客がいた。二人は、大きなテディベアとリボンの柄の、白とピンクのお揃いのワンピースを着ていた。一人はおかっぱで、もう一人は長い髪の毛を二本の三つ編みにしていた。大きく広がったスカートが店内の棚や商品に触れて、カサカサと布が擦れる音が、せわしなく聞こえている。最後の一人は細身で全身黒い服を着ていて、前髪も長く、顔がよく見えなかった。三人は、慣れた手つきで、楽しそうに緑色のウィッグや赤いつけ毛を選んでいた。一人の手にはすでに、カラフルなつけ毛が三、四本、握られていた。私が店内に入ると、すぐ後ろから、二人の客が訪れ、商品と人間のわずかな隙間をぬって、すぐに二階へつづく階段へと進んでいった。まもなく二階から大きな声で話す女性の明るい声が聞こえてきた。ディスプレイには銀やピンクや青など色とりどりのウィッグが、重力を無視した形に固められて並んでいた。白いシャツに茶色いスカート、黒いジャケットという平凡な服を着た私は、場違いのような気がして、彼らの聖地を汚しているような気がして、めまいを感じた。

私の目当てのウィッグは、一番地味な一角にあった。袋から取り出すと、店内の白い照明の下で、緑色が混じった柔らかな金色に光っていた。私はすぐに気に入った。店員は、慣れたぶっきらぼうな早口の説明で、専用の櫛とウィッグスタンドなどの購入を推してきた。勧められるがままに、それらをあわせて買った。合計金額は、ウィッグの倍近くにもなっていたが、それを残念だとは思わなかった。

このウィッグは、昨日念入りに、静電気防止のスプレーをして何度も梳かし、整えたものだ。肩に当たってくるりと曲がった偽物の髪の毛が、頬に刺さる。その痛みが、少し、嬉しかった。

変身願望が強いというのは、時に批判的に、時に肯定的に語られるもので、私も、それが良いものなのか悪いものなのかわからない。大学時代は、「今の自分をよく知った上で満足していない部分もある」程度だったはずだが、一旦その変身の方法を知ってしまうと、自分の中の欲望は、エスカレートする一方だった。

最初は化粧、それもファンデーションや茶色のアイシャドウ、ピンク色のチークなど、簡単なものだった。次第に化粧品の色は、青や緑やオレンジ色などどんどん鮮やかになり、つけまつ毛や、付け爪、カラコンを買い求めるようになった。さらには、時々休日に部屋の中で試すだけだったものが、我慢できずに、外を出歩くようになった。それは、女装をし始めた人に近い行動のようにも思える。私はよく大学の近くで見かけた、ミニスカートとハイヒールを履いている、頭の禿げたおじさんのことを考えた。もしも彼と話す機会があったらならば、私はなんと言おうかと考えた。しかし何度考えても、応援していますとか、変なことを口走ってしまいそうで、考えるのをやめた。今でも、彼に伝えたい何かはわかっていない。彼に感じるシンパシーのようなものの正体も、よくわかっていない。

私は普段と全く違う格好をして外を歩くのが、楽しかった。行き場所はなんでもない、駅前の八百屋や魚屋で、白菜や塩鮭を買うだけだった。しかし、だんだんそれは特別な意味を持ってくるようになった。いつもは買わない、パン屋の甘ったるいシナモンロールを買うこともあった。実際の行動は、そんな小さな変化しかないが、それがだんだん、日常の行動も変化させて侵食してゆくこともあった。つまり、会社帰りにくたびれた格好のまま、シナモンロールを買うとかそういう、小さな変化だ。

着飾っているときは、なんだか携帯電話を家に置いて外出した時の開放感にも似ている。過去の自分と縁が切れているような、新しいノートを開いて真っ白なページに何を書こうかと考えているような、感覚がある。良いものになっているのか、悪いものになっているのかはわからない。それでもこの快感が、悪いものであるはずはなかった。

それまで私は、なんで女は化粧をしなければならないのだ、とよく腹を立てていた。人を偽り、自分を偽り、そうやって生きることに何の意味があるのかわからなかった。でも今は十分に理解できる。人は本当に思っていることや、本当に伝えたいこと、本当に欲しいものに手を伸ばすときに、化粧をし、自分が傷つかないように、世界と自分の間に壁を作るのだ。本心を見られたくない、小さくて弱い本当の自分を隠したいというのは、こういう気持ちなんだ、と思う。

なんで男は化粧しないんだろうと友人に聞いたら、だから中年男性の自殺が多いんじゃないかな、と化粧がうまい友人は笑った。私は今でも彼女のその考えを支持している。

会社の40代の事務のおばさんは、目にしみるほど香水をかけている。彼女が通った場所は、ずっと香水の香りが残っていた。『プリシラ』に出てくるドラァグクイーンたちも、ショーに出るたびに厚化粧をする。まるで素顔を時の生活と切り離すように。接客業の女性たちも、東京の高校生も化粧をする。夜遊びをする私も化粧をし、姿を偽る。化粧は私にとって大事なリハビリ道具だった。化粧をしている時は、笑われても、ちっとも気にならないのだ。

同じように私を元気にしたのは服だった。特に着ている服のどれよりも高い下着は、私に自信と幸福を与えてくれた。見せるためでもなく、意地でもなく、ただ私は私のためだけに、下着屋に通った。大したことの起きない毎日、いつも代わり映えのしない毎日も、私は今鮮やかな色の下着を着ていると思うだけで、特別な気分になれた。トイレに行くたびに、目に焼きつくような黄色やピンク色の下着を見て、幸せな気分に浸るのだった。そういう日は、自然と背筋が伸び、歩幅も大きくなった。

自分の中の問題と向き合い、ちゃんと行動しなければいけないと考えたとき、もっと化粧しなきゃいけないと私は考えた。原宿でカラフルな髪の毛を楽しそうに弾ませて歩く男女を見てから、しばらく、彼女たちの笑顔を何度も思い出していた。髪の毛を染めるのはまだ早いと、私の心の何かが判断した。その代わりに、ウィッグを買いたいと思った。私は、今日のために、ウィッグを買った。それは私ができる最大限の化粧だった。恐怖に怯える私の心を隠すために、私はしっかりと、頭をウィッグで、顔をファンデーションで、手をマニキュアで、そして服で、靴で、全身を守っている。

化粧をせずに、夜遊びできるようになったら、世界はどんな風に見えるのだろうか。あるいはウィッグではなく自分の髪の毛をピンクや緑色に染めることができたならば、私はどうなっているのだろうか。私にはまだ想像のできない境地だった。まずは今日という日を乗り越えなければと、心を落ち着かせた。

大学入学の時、一緒に東京に出てきた高校の友人が錦糸町に住んでいる。彼女のことを思って、私はすこし胸が痛くなった。畑に囲まれた高校の帰り道に、イデアや人間について語りあった、親友とも呼べる人だった。夏休みや春休みには、十八切符を買って、一緒に各地の博物館や美術館に行き、その時のお互いの一番の問題意識、例えばそれは宇宙の起源だったり、猿と人間の違いだったりについて、いつまでも話し合っていたのだ。今はまったく連絡していない。なぜ連絡を取らなくなったのか。お互いに考えが合わなくなったというと物事を複雑にしてしまうかもしれないが、陳腐な言い方をすれば、東京が彼女を変えてしまったということになるだろうか。あるいは、東京が、彼女の成長を止めたままにしてしまったのだ。東京には、自分が特別な人間だと思い込むのに十分なほど、たくさんの人がいる。自分より不幸な人も、自分よりも幸福な人が、たくさんいる。他人との距離感だけで自分の居場所を図ろうとしたら、自分を見失ってしまうのは当然のことだった。

正真正銘の田舎の優等生にとって、東京の悪い面を見つけ、都会に染まらない自分を演出するのは、とても簡単なことだ。何にも熱狂せず、何にも絶望せず、何にも期待しない。それはひどく安全地帯だ。自分は無垢のままで、都会が常に悪者を引き受けてくれる。行動をしない理由は、いくらでも、外にある。自分を不幸にする原因は、いくらでも、外にある。数人の大学の知り合いがその沼にはまった。間も無く、その親友もはまった。自然と動物を愛し、人間を嫌う気があった彼女にも、東京は居場所を与えてくれる。

「あの人たちはね、お金で大学入っているの。」東京に来てすぐ、友人は私にそう言った。

「勉強する気なんてないんだよ。夏休みは、海外にある別荘に行くんだって。」

彼女は、ほとんどアルコールの入っていない安いお酒で酔っぱらった。いつもせわしなく動く両手は、力なくテーブルの上に置いてあった。狭いワンルームの部屋に、沢山の参考書が私たちを取り囲んでいた。私たちは、親がお金持ちならば、子供は良い大学に入れるというのはまだ噂でしかないと思っていたし、そんな現実を深く考えたことはなかった。私の大学の友人たちも、山をいくつも持っているような地主が多かったが、彼女の言うような、いやらしさは感じられなかった。でも私は、それを彼女に伝えられなかった。

「私借金して、大学来てるんだけど。そんな遊んでる暇ないし。」

彼女は一口、もうすっかりぬるくなったチューハイを飲んで言った。

「私、あんな人たちみたいな人間になっちゃいけないと思うの。」

彼女の言葉を聞いて、私はぎくりとした。口元まで持ち上げたビールの缶を、またテーブルの上に戻した。私はかつて、あの小さな部屋で、高校の先生に向かって言った。「私、母親みたいな人間になっちゃいけないと思う。」

彼女は目を伏せたまま、私の反応に気づかず、続けて言った。

「無理してその仲間に入るような人間にも、先生に気に入られようとおべっか使うような人間にもなっちゃいけないと思うの。」

私はかつて高校の先生に言った。「父親みたいな人間にも、兄みたいな人間にもなっちゃいけないと思う。」

彼女は少し戸惑いながら言った。

「でもね、どんな人間になればいいのかわからないの。」

私はうつむきながら「そうだね。」と言った。「目の前のことをやるしかないね。」それしか言えなかった。まだ、私も、自分がどんな人間になる可能性があるのか、わかっていなかった。

彼女はプライドも目標もあり、明るい大学生活に躍起になっていた。しかし、やがて、その忌まわしい海外で夏休みを過ごした友人や先輩たちとの関係性の中で、過去の試験問題や回答が売り買いされていることがわかった。彼女はその怒りと絶望を、受け止められなくなっていった。彼女に呼び出される回数が頻繁になり、話題は決まって、お金を持っている人たちのほうが得をしている、というようなことだった。

東京に来てわかったことは、この世は善人だけでできているわけではないということだ。うっかり取り返しのつかない間違いをする人も、詐欺まがいの商売をしている人も、詐欺をする人も、痴漢も、毎回仕事に遅刻してくる人も、他人の間違いを責め立てる人も、個人的な飲食を全て会社の経費にする人も、たくさんいる。全ての人に、等しく陽は降り注ぐ。小学校から大学入学までつづく一直線の細いレールの上を、慎重に、清く正しく進んできた人も、決して褒められることはない。そして、そのあと突如枝分かれする道に、戸惑い、いつまでもいつまでも決断できずにいるのだ。誰も、こっちがいいよと言ってくれる人はいない。ちゃんと列の最後尾に並んで、自分の順番を待っている人に、チャンスは回ってこない。当たり前のことだった。

自分の希望を口に出すことで他人に批判されるのを恐れている人は、自ら、日陰に回り他人を批判することしかできないのだ。そういう人たちの最後はよくわかっている。田舎に帰るのだ。田舎には、誰かが用意した正しい道がある。母親が父親が祖母が祖父が兄弟が期待する正しい道がある。東京には、ないものがある。

最後に会った時、彼女は人を呪った。「あんなやつら不幸になればいいのに」と言い、自分の中の悪人と向き合えない子供のようにぼろぼろと涙を流し、そして無垢な笑顔を見せた。いつもと同じように、安いチューハイの缶を半分ぐらい飲んで、彼女は顔を赤くし、目は下ばかりを向き、両手は彼女の足の上に押さえつけられていた。そんな彼女を、私はとても冷ややかな気持ちで見ていた。私は、「そうだね」とは言わなかった。自分の服の袖口をいじりながら、彼女を受け止めることを諦めた。彼女は、本当に、自分が正しいと思うことしかできない、潔癖な人間だった。そう教育をされていたし、世の中が間違っていると、信じて疑わなかった。

嫌いな人のことじゃなくて、自分のことを考えなよ。あの時、私が彼女に言ってあげられなかった言葉を、反芻する。この言葉があったからといって、本当に彼女を救えたのかどうかは、私にはわからない。

私はあれから何が変わっただろうか。私はかつての自分とは、違う道を歩もうと決心した。もうすでに、用意された道を歩む努力は失敗していた。私の全身が、全ての感情が、そんな道は歩けないと、悲鳴を上げたからだ。それに、すでに違う道があるというのを知っていたし、私には見えていた。私は、少しは悪人になることができたのだろうか。

他人の欲望を自分のものとせず、世界に期待し、自分の勘を信じて、誰かが言った噂を信じて、未来を信じている。だから今、この電車に乗っているのだ。

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秋葉原でほとんどの人が降り、もっと多くの人が乗り込んできた。グラグラと大きく揺れる電車の車体をお尻で感じ、広がったスカートを、一人分の幅に収めた。それから、なぜか涙ぐんだ目を、他の乗客から隠さなければいけなかった。熱を帯びた目と、歪んだ視界を感じて、思わず、手を目に当てた。今日はお化粧をしているので、こすってはいけない、ととっさに思い出した。ぎゅっと目をつむると、指を伝って雫がスカートの上に落ちた。目頭を人差し指で強く抑えて涙の跡を拭いた。わずかにアイシャドウがついた指が、青白く光った。

透き通るようなブルーはいつも、あの日の空を思い出させる。永遠のように長く暗い日々の終わった日。自分の中の虚栄心、実態と比べて高すぎるプライド、そして弱さと向かい合う、修行のような日々だった。

前触れは高校時代だった。授業中、自分の椅子に座ることができず、何が起きたのかもわからず泣いた。教室やグラウンドやバス停で、ある全体の中の一人になることが怖くて、涙が流れた。この涙が、自分ができることとできないことを、私が知らなすぎるために起こる現象だと気付いたのは、大学に入った後だった。それまで私は、自分が、義務教育や高校や女の役割や社会的秩序にはまることができないということに、気づいていなかった。何が好きで、何が嫌いなのか、それすら気づいていなかった。先生や親が、やりなさいと言ったことができない、ということが、初めてだった。

教室で泣き、カウンセリングルームで泣き、女子トイレで泣き、図書館で泣き、公園で泣き、コーヒショップで泣き、電車で泣き、布団の中で泣き、脚立の上で泣き、あらゆる場所で、私は泣いた。私は、泣きながら心療内科の予約の電話をした。そして電話を切った後も、「死にたくない、死にたくない」と、私は膝を抱えて泣いていた。私はこのときの苦しみと憎しみを、ほとんど毎日日記につけていた。私を、こんなにも悲しくさせている原因は、自分だと、わかっていたからだ。学校のルールや、親の求める理想の娘像に当てはまることができないことを、何よりも私が、許せなかった。心の奥で嫌だと叫んでいる小さな私を、これまでずっと無視してきたのは、私自身だった。私を傷つける私の行動を、記録し自覚しなければならないと思っていた。涙が止まらなくても、私はノートを一枚破って、表にも裏にも私のこの苦しみを書き続けた。過去の私の日記を読みながら、私は、自分の考えの癖や、現実離れしすぎた目標を、理解していった。私はゆっくりと、私がなろうとしている「普通の人」とやらには、どんなに頑張ってもなれないということを理解していった。そして、自分の感覚は、他の誰とも同じではあり得ないということも。自分の感覚を、自分が信じてあげられない限り、誰も私を助けてはくれないということも。次第に、日記を書くことが減っていた、ある日のことだった。六年間にもわたり、私の青春を覆っていた黒い雲は、あの日、あまりにもあっさりと去っていった。

それは、私がハンガリーから来た新しい友人と、話している時だった。

私は、日本語を話す人として、彼の勉強をサポートする役割だった。長身で細身の彼は、白い肌と、金色の髪と、青みがかったグレーの瞳を持っていた。考える時に、長い指を口元に持ってきて、何回か唇を叩く。神経質そうな人だった。日本市場の開拓のためにやってきた彼が話せる日本語は、ほとんど仕事のことばかりだった。塾講師のアルバイト以外で、働いたことなどない私はいつも、彼と話すのが楽しみだった。その時はまだ、社会人という言葉の意味さえよく把握していなかったのだが。

好きな食べ物や、好きな映画、彼の会社の同僚の話、彼の会社が扱っていうるタイルの種類を、一週間に二時間、ちょっとずつ知っていくのが楽しかった。

「前の仕事はなんですか?」

私は彼と向かい合って、背筋を伸ばして聞いた。彼の手元にはいつも、彼の会社の事業を説明するパンフレットが置いてある。

「最初は、会計士でした。3年でやめました。」

「会計士だったんですか、すごいですね。」

「はい。勉強は、大変でした。」

彼は大げさに眉を下げ、残念そうな表情をした。つられて、私の眉毛が下がった。

「どうして、会計士を、やめましたか?」

彼は、考えることなくはっきりと答えた。

「家が、好きだからです。会計士は、つまらない。」

「え、ほんとに?」

驚いた私に、彼は笑った。

「はい。子供のころから、家が、大好きです。だから、今は、建築の仕事をしています。」そう言って誇らしげに会社のパンフレットを指差した。

満面の笑みの彼と、絶句する私を見て、その場にいた日本語教師がクスクスと笑った。向かい側で話しているもう一人の日本人と、フランス人の女性が、何が起きたのかと目を丸くして私たちを見ていた。午前中の、明るい太陽が、窓の外で輝いていた。

純粋な彼の決断を、好きと嫌いで、生き方を決めていいのだということを、私はなんとか理解しようとしていた。そして理解できる、水際まで来ていた。彼が、彼の好きなようにしか生きられないように、私は、自分の生きたいようにしか生きられないということに、気づいていたのだ。そしてそんな彼のことを羨ましいと思う、私の心を、受け入れつつあった。

翌日、私は、友人に会った。大学四年になっても、いつも、社会人になりたくないと愚痴を言い合っていた友人だ。大学のキャンパスに近い、古い喫茶店の、使い込まれて不安定になった椅子に座って、友人と向かい合った。私は普段飲まないコーヒーを頼んだ。飲み物が届くまで、当たり障りのない、期末試験の日程や教授の噂話をして、その場をしのいだ。彼女が、頼んだカフェオレを一口飲んだのを見計らって、私は、話さなきゃいけないことがあると、前置きをした。いつもより喉が渇いた。ハンガリーから来た彼の話をしながら、なぜか涙が止まらなかった。私は全ての終わりを感じた。空が、綺麗だった。窓から入ってくる風が、暖かく気持ちよかった。花の良い香りがした。キッチンからは、肉の焼けるいい匂いがした。食器があたるカチャカチャという音が、気持ち良く響いていた。目の前の友人も、隣の席のカップルも、全ての人が、愛おしく思えた。

最後の心療内科では、いつもの医者に、声を震わせながら「もう薬いらないです」と伝えた。真新しいビルの、白い内観に似合わない、丸めた紙くずのように年老いた先生だった。真っ白の白衣が、先生の肌をより浅黒く見せていた。

「ああそうか、そう思ったなら、もういいよ。」

薬の処方しかしない先生との関係は、私の一言で、あっさりと終わった。何がわかるのか、全く想像ができないが、毎回していたように先生は最後に私の血圧を測り、カルテにメモをして、お大事にとつぶやいた。

受付の看護師は戸惑ったように、「次回のご予約は不要ということですが、」と言葉を濁した。私は「はい、大丈夫です」と感情を込めずに言った。ただ薬をやめると言いに来ただけなのに、お金を払わなければいけないのかと思った。点数の割には大きすぎる明細書を鞄にしまい、私は早足で病院を出た。帰り道、受診カードを駅のゴミ箱に捨てた。今日も空が綺麗だと思い、電車を待ちながら、静かに涙を流した。

それから数年たっても、あの日に見た空を思い出して、泣いていた。彼の言葉は、大学を卒業して就職したあとも、私の頭の一部を占めている。夜の電車の中で、私は、あの日のことを考えていた。

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御茶ノ水で半分以上の人が電車を降り、ホームの反対側に綺麗に並んだ。乗り換えというのはいつも苦手で、気の滅入る作業だ。自分の人生を他人に決められている、というなんだか妙な感覚。屠殺場に向かう豚も、こんな感じなんだろうかと思いながら、ホームにならんで中央線を待つ。目の前に立つ人の、靴のかかとをじっと見た。豚はまだいい、終わりがあるのだから。これから私が向かって先に、なにがあるのだろうか。私は、一体何に向かっているのかという疑問と不安が、ふつふつと湧いてくる。私の横にいる、若い男性のヘッドホンから、カシャカシャという音が漏れて、ホーム全体に響いているようだった。

「行ってみたらいいじゃん、レズビアンバー。楽しいよ、友達できるし。」と食堂の彼は言った。

1ヶ月以上前のことだ。その時私は彼の提案を即座に拒否した。なかなか他の時には発揮できないほどの反射神経だった。もしも少しでも同意したり、受け入れた雰囲気をだしてしまったら、逃げ場がないと思ったからだ。もしレズビアンバーに行って、自分がレズビアンだという自覚が完全のものになってしまったら、どうしたらいいのかわからないという恐怖があった。完全なレズビアンという言葉が、どういう状態なのかはまったく想像できないが、なぜかそれが怖かった。私はまだ、自分がレズビアンであることを良くないことだと思っていた。これから、これまでと同じようにずっとずっと女性を愛すると覚悟し、結婚を諦め、子供を育てることを諦め、孫たちに囲まれながら過ごす老後の可能性を諦めるということなのか。私はそれが怖かった。

私を差別し、道をふさぎ、希望のない未来を描いているのは、私自身だった。

その日は家に帰って一人で、レンジで温めた日本酒を飲みながら、なぜ急にそんな発想が生まれたのかを考えた。私は一度もそんな未来を期待したことなどなかったはずだ。そんな児童書に出てくるような人生を、自分が望んでいるとはちっとも思っていないが、その可能性がゼロになるとわかっている道を、自ら選ぶのは、あまりにも恐ろしかった。レズビアンであることを隠して生きている人の人生は想像できるが、レズビアンとして生きる人の人生を、私はちっとも想像できなかった。

異性愛者の人生を知っているのかと言われれば、そんなことはないのだが。私は、数少ない友人たちのことを考えた。高校でも大学でも優等生だった彼らは、次々に彼氏や彼女を見つけ、「ケッコンヲカンガエテイル」と言った。そんな彼らの生活を想像した。両親にゴアイサツをして、ユイノウをして、ケッコンする。働いて、子供を産んで、働いて、子供を育てて、働いて。子供がもっと遊んでとせがんだりするのだろうか。あるいは、いとこのお姉さんの結婚式の写真を思い出した。親戚もお姉さんの友人もみんな幸せな笑顔。花嫁はどの写真も、コピー&ペーストしたように同じ笑顔で、それは少し全体主義国家のプロパガンダに似ていた。きっと私にもそんなことが起こるのかもしれないという、わずかな期待、とも言えない何かが、まだあった。それが私の望みであるかどうかはわからなかった。

この一ヶ月間、一人になると、自分がケッコンすることになる時のことを考えた。ビールや色とりどりのカクテルの入ったグラスがテーブルの上に並べられている。高校時代の友人が口を揃えて、祝福する。「オメデトウ」「オメデトウ」「シキハ、ドウスルノ?」「コドモハナンニンホシイ?」テレビや友人たちとの会話で何回か見たことのある場面を、何度も想像した。それでも、その中央に私がいる姿は、まったく考えられなかった。

もう一つの大事な未解決の問題があった。レズビアンバーに行って何があるのか、ということだった。自分以外の、女を愛する女に会いたい? それはなぜ? 私は答えが見つからなかった。お酒を飲むのなら、缶ビールを買って家で飲むほうが安い。自分以外のレズビアンに会ったところで、何を話すのか見当もつかなかった。会って、それで、恐竜より前の時代に生きていた巨大な昆虫について話すのだろうか。ポーランドの小説家の亡命先での生活について話しあうのだろうか。あるいは、セックスをするのだろうか。そんなに自分は、警戒心の薄い人間ではなかった。何か特別、レズビアンが集まらなければいけない理由があるのだろうか。友達すらまともに作れない私が、レズビアンなら友達ができると言うのだろうか。

それでも時々、無性に寂しくなって一人で泣いている夜、私は、どうしようもなく苦しくなって、誰でもいいからそばにいて欲しいと望むのだった。もしも仮に、私がこの孤独に耐えられなくなって、誰か、一緒にいてくれる人を、いろんな危険を冒しても、誰かを探さなければいけなくなったら、女の人がいい。どんなリスクがあっても、私が、安心して身を委ねることができるのは、女の人で、そしてそんな私を受け入れてくれるのは、私の女を求める気持ちも合わせて抱きしめてくれる人がいい、と思うのだった。生理痛の苦しみや、ワイヤーの入ったブラジャーの痛さや、レースのついたパンツは皮膚が痒くなることや、ハイヒールの痛みを知っている人なら、なおいい。

あの時、レスビアンバーに行くなんてとんでもないと、慌てて彼の提案を否定した私を、彼はどのように見ていただろうか。滑稽に映っただろうか。浅はかな差別主義者に見えただろうか。自分のことを理解してない、子供のような人間だと思っただろうか。それから少しの間、私は彼の食堂に行くのを避けていた。

今日のお昼、私は彼の店に行き、「今夜、レズビアンのお店に行こうと思う」と打ち明けた。彼は片付け途中のお皿を、もう一度水切りかごの中に置いて、タオルで手を拭い、少し、考えた後、「どこ行くか決めてるの?」と聞いた。実は、1年ぐらい前から、気になっているお店があるんだよねと、申し訳なさそうに言うと、彼はカウンターの向こうから手を伸ばし、ぎゅっと私の手を握った。彼は私の目の奥の脳みそをも貫いて、後頭部の頭蓋骨の内側までも見据えていうるような、強い視線で私を見た。そして、はっと思い出したように彼は私の手を離し、後ろの棚に置いてあった金色の袋を取り出した。「これをあげよう」と言って、他のお客さんからもらったという海外お土産のチョコレートを私に握らせ、そして満面の笑顔で、いってらっしゃいと私を送り出した。

会社に戻った後、トイレで少し涙を拭いた。私は一人かもしれないが、孤独ではないと思った。

今は、私は御茶ノ水のホームで、静かに、電車が私をまるで荷物のように目的地まで運んで行くのを待っている。私がもうすこし我慢すれば、男と恋愛できるかもしれないという考えに、私は心底疲れているのだ。20年以上心の中にある違和感の正体は、もうわかっている。それにどういう名前がつけられようとも、私は、覚悟できている。本名も知らない彼の言葉を信じて、ネットの噂を信じて、私は今、じっと電車を待っている。

東京駅から来た電車は、けたたましい音を立てながら、ホームに停車した。押し黙って電車の到着を待っていた人々は、吸い込まれるように乗り込んで行く。ドアが開いてすぐに座席は埋まり、私は車両の端の壁にもたれて、頭上の広告を眺めた。水着姿の女性が、挑発するように、私を見て笑っている。ほんの少しだけ暖かい風が、顔にあたる。

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四ツ谷は職場の最寄り駅だ。会社の休憩時間に気分転換によく行く本屋も、今は、仕事を思い出させるある種の心の傷でしかなかった。

学生最後のバイトから、そのまま入社した会社は、制作プロダクションという名のなんでも屋だった。月末にはいつも会社に寝泊まりする社員たちの体臭で、酸っぱい匂いが立ち込めていた。日の当たらない、静まり返ったオフィスで、毎日、力のない挨拶の声、新しいバイトをなじる声がひびく。時々鳴る電話も、いつも同じ数人しか対応しないので、その人たちがいない時は、十コール近くも鳴り続いていることがあった。みな電話の返事は決まって、外出中なので折り返しお電話します、だった。

仕事の内容に不満はなかった。どんなに汚いエクセルデータを整える仕事も、千に近いファイル名を変換するだけの仕事も、嫌いではなかった。お金のためだと思えば、どんな理不尽な叱責にも耐えられた。それでも、自分が女だということから逃れられないのが嫌だった。

社員の半分以上が女性なのにもかかわらず、肩書きのついた女性は一人もおらず、毎年毎年男ウケの良さそうな女性ばかり入社してくる。社員の入社退社が激しく、最近は毎月のように人が入れ替わる。多くの若い女性は、古い男性社会の価値観を内在化した人たちだった。「女のプロジェクトリーダーは嫌だ」とか「育休明けの時間短縮で働く女性たちが、迷惑だ」とか、彼女たちの口からそういった愚痴を聞くたびに、私は絶句するしかなかった。彼女たちの愚痴は、日に日に、私の心を侵食していった。

彼女たちは、新しい鞄や洋服について語り合うばかりで、会社の指示系統や組織の問題について触れることはなかった。男性たちは時々、どのオイルが体に良いだとか、会社の近くにヨガスタジオができたとか、そんな彼女たちの話を聞きながら、微笑んでいた。男性は結婚すると肩書きがつくが、女性はいつまでたっても平社員のままだった。自然と、来客が持ってきたお菓子を開けたり、来客にお茶を出すのは、女性の役割になる。

男性の先輩は「うちの会社は美人が多い」と飲み会で誇らしげに言うが、それが本当は何を意味しているのか、わかっていないようだった。男性の理想を体現したかのような女性たちが、日々の時間を潰すように優雅に働いている。男性は彼女たちを支えるように働きながら、腰を痛め、胃を痛め、精神を病む。女性たちは生理休暇もまともに申請できない。一部の活躍する女性たちは、ある時急に体調を壊して、会社を去っていった。そんな会社の中で、何かの力を発揮するというのは不可能に近かった。オフィスに申し訳なさそうに置いてある観葉植物の葉が、気がつくと、一枚、また一枚と変色し、剥がれ落ちてゆく。ビル全体が、静かに沈んでゆく泥舟のようにも思えた。

同じように私を苦しめたもう一つの原因は、先輩男性からの熱い目線だった。

私の方に向かってくる、ためらいがちな足音を、私は瞬時に聞き分けることができた。

「これ、落とし物じゃない?」

彼は期待を込めた目をして、私に、白いハンカチを差し出した。彼に見つめられた顔と耳が、熱くなってゆくのを感じた。

「いえ、違います。」

私はできる限り冷たく答えた。そして念には念を、なんで私のだと思ったんですか、と止めをさすように言った。

「俺の勘違いだったかな。」

彼の悲しそうな目を見て、私は安心した。

決して多くはないが、個人的に飲みに行こうと先輩に誘われる度に、胃の中のものが全てひっくり返るような痛みに襲われた。毎回、部長も呼びましょう、後輩も呼びましょうと、彼の期待を完全に打ち砕いた。私の考えすぎだったかもしれないが、本当のことを言うと、ただ私は、安心して先輩とお酒を飲みたいだけだった。先輩のことは嫌いではなかった。生ハムやピスタチオが好きなところは受け入れられないが、私のペースに合わせようと、無理してビールを早く飲む先輩を、私は可愛らしいと思っていた。お互いの趣味の話や、最近見た映画の話で盛り上がれるのは、嬉しかったし、仕事の悩みも真剣に聞いてくれる、大切な先輩だ。私はそれで満足だった。彼は、それ以上を求めた。

私は何度も先輩を好きになる努力を、いや、男の人を好きになる努力をした。先輩たちと飲んだ帰り道、先輩の優しい声や、大きな手や、整髪剤の甘い香り、少しはにかんだ笑顔を思い出して、頭の中で彼の服を脱がし、私よりも高い体温を感じる事考えた。そして、彼とセックスをすることを考えた。あるいはたまたま目の前にある俳優のポスターをみて、彼とセックスすることを考えた。引き締まった体に、私よりも長い手足、たぶん胸元に生えている太い毛、それらを愛撫することを考えた。きっと干した布団のような、温かな匂いがするんだろう。何度試しても、男の人が誰かとセックスすることは想像できても、自分が男の人とセックスすることは、さっぱり、想像できなかった。望んでもいなかった。どんなに内面のいい先輩でも、どんなに外見のモデルでも。そして私はもう十分に、それに関して、努力をした後だった。

こんな私の努力を知ってか知らないでか、酔っ払った会社の人たちは、みな、口を揃えて、恋人や結婚について聞いてくる。すでに私は、会社の給湯室でも居酒屋でも、どこでも小さい嘘をついていた。嘘に嘘を塗り固めた私は、もう誰にどの嘘をついたのか、まったく把握できなくなってしまっていた。酔っ払いだから良いかと適当なことを話すと、そういう時に限って相手は半年以上前の話をしっかりと記憶しており、私の話の矛盾を、目ざとく指摘するのだった。私は引きつったような苦笑いをするばかりだった。彼らは、何か真実を知りたくて、あるいは、私に関して何かを知りたくてそうゆう話題を聞いてくるのではなく、ただ、新しい話題を探しているだけだと知った時、もうすでに私の嘘はほとんど破綻していた。

私はどうやら何かしら嘘をついているらしいという噂が、社内に広まった。そして同時に私は、彼らは酒の肴が欲しいだけだということに気がついた。彼らが酔っ払って話すことは、毎回毎回、職場の愚痴か、家庭の愚痴か、人の噂話だけだということがわかった。そういった非生産的な活動に興味のない私は、お面のようにニコニコして、平等に笑いかけることはできなかった。やがて、私より年下の女性が入ってくると、標的はその子に移り、その子もまた、先輩方の下世話な話をうまくかわし、誰に対しても笑顔を向ける寛容な人だった。彼女のおかげで、私は飲み会には一切誘われなくなった。

私は時々、外資系の求人や大手企業の人事部のインタビューを読んで、「人材の多様性」を字面だけで知っていた。強面の壮年の男性三人が、女性の活用について語りあう記事を、何か腑に落ちないまま読んでいた。読んでも読んでも、何を言っているのかまったくわからない女社長のインタビュー記事もいくつも読んだ。週の半分を地方のサテライトオフィスで働くエンジニアや、子連れで出社するデザイナーたち、働く女性のキャリア相談なども良く読んだが、次元の違う相談内容に、まったく感情移入ができなかった。時々、できる大人のデスク整頓術などという特集を読み、いろいろ試してみたが、結局新しく買ったトレイや本立てのサイズが合わないという初歩的なミスをしてゴミを増やしただけだった。何年も終わらないプロジェクトのおかげで、保管しなければいけない書類は増えていった。私はいつまでたっても「できる社員」とはかけ離れた存在だった。

生理の一週間前、ひどく気分が落ち込む度に、私は転職サイトに登録した。リクルーターが面談を求めています、という不自然なほど熱意のこもった、ありきたりのメールを、読んでは捨て、読んでは捨てた。けれども毎日届くメールのおかげで、私には別の選択肢があると、決して新しい選択肢を選ぶことはなかったが、ただ、その可能性を毎日感じることができた。それだけで、私は随分と心が穏やかになった。それでも落ち着かない日には、布団の中に潜った後も眠い目をこすりながら、心が軽くなる仕事術や、転職で人生が変わったとか、働きがいを見つけたなどという記事を読んだ。そしてやっぱり、何も答えなど載っていないと知り、目の奥の痛みにはこれ以上逆らえないと、寝入った。こんなにも無意味な記事が世の中に溢れていることに苛立ちを感じることもあったが、ただ私にとっては、解答になっていないだけだと、思うようにした。私以外の他の人には、この記事が素晴らしい解答になっているのかもしれない。その人たちとはきっと友達にはなれないだろう。

今思えば、私が大好きな物語たちは、いつも運命に突き動かされていた。彼らには、運命的な出会いがあり、使命があり、そして才能があった。私にはそんなものは一つもなかった。どうしても私が秘宝を探しに行かなければならない理由など、存在しなかった。私が、今の仕事を続けなければいけない理由もなかった。辞めなければいけない理由もなかった。私は、やっと「好き」と「嫌い」を覚えた程度の、愚かな人間だ。私はまず、自分の気持ちに素直に従うというところから始めなければいけなかった。

ウェブマガジンやネットのニュースに溢れる「あなたにとって仕事とはなんですか?」「働きがい、とは何ですか?」などという質問に、私は過敏に反応した。まるで、それらの記事の中に、今の私を肯定してくれるものがあるかのように思っていた。私が感じている閉塞感を、誰かが解決してくれるのではないかと思っていた。それ以前に私は、自分の生き方を、自分で認めなければいけなかった。自分の生き方に、仕事があっているかどうかなど、まず自分の生き方を受け入れている人の話だ。生き方を選択できるなど、もともと、選択肢のある人間なだけだ。

私は、私の人生しか生きられない。私は、自分の生きたいようにしか、生きられない。それはどんな女性雑誌にも、どんなビジネス雑誌にも載っていない人生だった。私の生き方を、誰も肯定なんかしてくれない。それができるのは、私だけだ。

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もうすぐ新宿に着くと思うと、一度は落ち着いた心臓が、再びどくどくと音を立てて、体温を上げているのを感じた。キシキシと連結部から金属が擦れる音が、頭に響く。代々木の駅に近づくと、駅のホームの明かりが目に刺さるように感じた。もう一度、行先の地図を見る。地図をなぞる指が、震え、汗で湿っている。心臓の鼓動が激しい耳鳴りを伴って、全身を揺らす。まだネット上の情報でしか見たことのない店。薬局、交番、ファミマ、知っている言葉も、初めて聞く単語のように思えてきた。黒地に白い文字で書かれた、見にくい地図を、目に焼き付けた。脇や背中に、汗をかいているような熱さを感じた。

この店を見つけたのは、もう1年以上も前のことだ。自分がどういう人間なのか確かめたいという気持ちもあったが、怖いもの見たさもあった。まだ、自分とは無縁の世界かもしれないと、わずかに思っていた時だった。毎晩、何度も何度も「レズビアン」という単語を検索して、さまざまな記事を読んだ。まるで違法行為をしているかのように、指先を震わせながら、一つ一つをクリックしていった。「レズビアンであることを悩まないで、ありのままの自分を愛して」といった真面目な記事や、「自分はレズビアンかもしれない」という十代の女の子の人生相談、「10個あてはまれば、あなたはレズビアンです」といった広告ばかりの記事や、レズビアンだと噂される女優たちのリストを見た。どの記事も、隅々まで、コメントも全て、背中が痛くなるまで読んだ。時々、自分の性壁を確かめるために、男性向けのアダルトコンテンツも見たが、なんだか不愉快な、胸のむかつきを感じ、数秒でブラウザを閉じた。ショックでしばらく、その秘密の調べ物を止めていたほどだ。やがて、レズビアンが集まるというお店の存在を知った。

「レズビアンバー」と検索すると、数十軒のお店がヒットした。時代錯誤の怪しいホームページのあるものや、匿名の誰かに罵られているお店まで、さまざまな情報がヒットした。私は躊躇した。どれが信用できる情報でどれが信用できない情報か、わからなかったのだ。掲示板やSNSの匿名の書き込みと、お店の公式のウェブサイト、冷静に見ればすぐに分かるはずなのに、私は、どれを信じていいのかまったく見当がつかなかった。お酒は好きだし、会社の先輩達に連れられて、バーと呼ばれる店がどんなものかもだいたいわかっていた。そういう店で行われるコミュニケーションの限界みたいなものもわかっていたし、常連と言われる客側の勘違いがどんなものかもわかっていた。飲食店によくある、ネット上の評価と現実との乖離もよくわかっていた。それでもそれがレズビアンバーとなると、まったく、その理性は働かなかった。

私は、高校生の時からSNSを使っているし、高校の授業で受けたインターネットの防犯セミナーも満点だった。ネットのデマに騙される人たちの気持ちなど、私はちっとも理解できなかったはずだ。非科学的なものや、韓国の新聞のコメント欄の罵詈雑言や、いろんな国の人から日本人が褒められているだけの動画を信じている人を、私は心底馬鹿にしていた。こんなものに惑わされるなんて可笑しいと思っていた。ネット上の評判だけを頼りに生きている人たちを、軽蔑していた。それでも私は、本当に本当に欲しい情報に関して、自分の判断力がまったく役に立たないということがわかった。たったひとつの「最悪」という匿名の誰かの言葉が、常に私の頭の中に居座り、私を支配した。

「レズビアンバー」の画像を検索したこともある。小さく、暗い店内。フラッシュが明るすぎて変色した写真。客が入った写真は、ほとんどなく、数枚の客が映った写真も、プライバシー保護のために顔を塗りつぶされたものばかりだった。私を絶望させるのには十分だった。数枚だけ、海外のセクシーな女性たちの写真がヒットした。男性向けのグラビア写真とまったく同じようなポーズで、私を誘惑する。この人たちと私が同類などということは、考えられなかった。私はより一層強く不安を感じた。

きっと怖いところだろうと思っている私のところには、自分の考えをなぞるように、恐ろしい情報がどんどん集まってくる。楽しそうな女性たちの写真を見ながら、数パーセントのお店の苦情ばかりが、目につく。公式ブログの内容が楽しそうであればあるほど、胡散臭く感じた。そうだ、行ってもそんなに楽しいところではないんだ。嫌な思いするだけかもしれない。もしかしたらほとんどお客さんもいないのかもしれない。この1年間、「レズビアンバーに行かなくていい理由」にしがみついて、考えられる最悪の事態を想像し、行動できない私を慰めていた。

それでも、時々、一人夜中に眠れないとき、それはだいたい生理の一週間だったりするのだが、あるいは生理痛で立ち上がれず一日中布団の中で過ごしている時、レズビアンバーのホームページを眺めながら、精一杯レズビアンバーを想像して、楽しんでいた。アメリカのテレビドラマや映画で、少しだけ見たことがあった。暗い大きなホールを埋め尽くす、薄着の女性達。大音量の音楽と、それに負けないぐらい騒がしい人の話し声。ミラーボールの煌めきと、テキーラとタバコと汗の匂い。色とりどりの照明を浴びて、人々の服が、肌が、虹色に輝いている。人と人の隙間を縫うように奥に進むと、髪を短く剃り込み、腕にカラフルな入れ墨を彫った逞しい女性達がこちらを見ている。一番背の高い女性と目が合いウィンクする。そんな彼女に誘われるまま、私は手を伸ばし、彼女と手をつないで店を出る。

いや、そんなはずはない、これは海外の、脚色されたレズビアンバーのイメージだ。あるいは、十人も入れないぐらい小さいお店に、ひとり、客を待つ五十代の女性。ママの毒舌だけお店の売りで、お酒の種類はほとんどないが、どれもビックリするぐらい高い。「今日も仕事疲れたよー。」と私が言うと、「甘えるんじゃないわよ、仕事ってそういうものよ。」とママが答えて、袋から出した柿の種を私の前に置く。お客さんは全員四十代ぐらいの人たちで、私は、「若いっていいわねー。」と可愛がられたりもする。東京のレズビアンバーがこんな、スナックみたいな雰囲気なはずはないと思ったが、私の乏しい想像力ではそれが精一杯だった。

そうやって、疲れた時にはお店の地図や写真を見て、そして空想の友人たちとレズビアンバーで語り合い、心を癒していた。そして、ここに行けば、今の苦しみが無くなるのではないかと思って泣いた。この店には私の未来が、きっとある。いや、そうではなく、何か変わるかもしれないと、立ち上がったとき、私の未来は変わるのだろう。

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電車が新宿駅に止まる前に、私はドアの前に移動した。

電車のドアが開くと、ホームに鳴り響くサイレントとアナウンスの声が響いてくる。ホームに並んだ人々が、最低限人が通れる幅だけを残して、ゆっくりと詰め寄ってくる。皆うつむき、そして何人かからはひどく油とお酒の匂いがした。後ろの人に押し出されるようにホームに降り立った私は、ふらふらと無秩序な人の流れに戸惑いながら、出口の階段を探した。私は、姿勢良く歩けているだろうか。自信を持って、自分の目的地を自覚して、堂々と歩けているだろうか。脚じゃなくて腰を動かして歩くんだと、スポーツクラブで働く人に教えてもらったことがある。何度もその場で練習したように、骨盤の動きを感じながら一歩一歩前に進んだ。

太ももが動き、お尻が揺れる。腰の動きにつられて、肩も揺れる。肩が揺れるのに合わせて、両腕が前後する。進んでも進んでも人波は途切れない。家に帰る人も、街に繰り出す人も、たくさんの人が新宿駅に流れ込んでくる。ホームで騒ぐサラリーマン、階段の下で何度も挨拶を繰り返す大きな楽器を背負った人たち、改札前で騒ぐ大学生、抱き合う男女。この場にいる全ての人にとって、今日という日が特別であるように、私にとっても唯一の日になる予定だ。人々の間をすり抜けながら、厚底のブーツが振り子のように、私を運んでいく。

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