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#3 最初の一歩、竹

 僕たちなりの ” 自然への向き合い方 ” を模索する中で、とりわけ大きな存在感を放っていたのが竹でした。何から手をつけて良いものか?思案している僕らの周囲、山の至るところで強い生命力を放ちながら、ゆらゆらと揺れ、目に飛び込んでくるのです!『土中環境』を読んだお陰で、見るからに人の手が入っていない荒れた竹林の、土中における水と空気の滞りが予測できました。固くなった地表では根が深く張れず、菌糸ネットワークも十分に形成されない、故に根張りの浅い竹しか生育できない環境になっているのだろうと。

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里山の荒廃は、石油が薪炭にとって代わったときから著しくなり、竹林にとっては竹製品がプラスチック製品に取って代わり、輸入タケノコが増加した事で荒廃がさらに進んだと言われています。また里山荒廃以前、日本の国土全体に広がる森林環境に変化をもたらしたは、明治29年の河川法制定による堤防という人工構造物であるという研究があります。

河川法により築かれた洪水防御を目的とした連続堤防は、以前の川が持つ自然の機能と正反対となった。「治水は治山に在り」など、自然法則に逆らうことなくその力を利用しようとした日本人の、自然に対する謙虚さと賢明さとが、偉大な治水事業を可能にしてきた。その日本人はヨーロッパの近代技術と引き換えに、自然と一体となって築かれてきた過去の伝統・技術を、自然と共に捨ててしまった。

参照文献:富山和子著『水と緑と土』

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戦争然り、厳しい時代の変革の上に今の我々の社会はあります。過去の選択を否定をしたところで、失ったものは取り戻せない。いま置かれた状況で成すべきことを成す為に、どんな選択をするべきか考えるのみ。僕たちは、かつて日本人が捨て去った”自然と一体となって築かれた伝統と技術”が完全に消えてしまう前にそれを学び、バトンを繋げたいと思います。


冬の強烈な西風に煽られ大きく揺れる荒廃した竹林を眺めながら、竹と向き合う決意を固めました。まずは、周囲竹だらけの藤枝市内を中心に、竹に携わる方たちへの聞き込みと情報収集を開始しました。

PS、まさか竹の素性をこんなに調べる日がくるとは思っていませんでした。(結果、知れば知るほど、竹の持つポテンシャルの高さに驚かされますが)

一般的に竹と言えば、タケノコ、竹細工、竹炭などが思い浮かびますが、どれも日常生活で登場する頻度は少なく、需要の低さを感じざるを得ません。この低迷が、戦後のプラスチック製品の台頭・輸入タケノコの増加が始まった頃からずっと続いているのです。その間、竹は驚異的な成長速度で地中30cmに浅く強靭な地下茎を、グイグイと拡大させて行ったのです。著しく減っていく竹の需要に対して、コントロールが効かない生命力の強い竹、行き着いた先が放置竹林です。

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放置竹林は、単に山の所有者だけの責任ではなく、激しい時代の移り変わりの中で我々が取捨選択した、ひとつの結果なんだと思います。また、自然と一体なり築かれてきた伝統を廃れさせてしまった、そのツケとも言えるかもしれません。

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