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尚美学園大学について

先日の生い立ちの記事に味をしめて、今日は我が母校である尚美学園大学について書きたいと思います。

とにかく人と接したくなかったので、バイトをしたくなく、社会にも出たくなく、専門学校のような大学があると知って飛び付きました。残念ながら芸術情報学部の入試には落ちてしまいましたが、芸術情報学部に入った場合は自分で学費を稼ぐよう言われていたので、総合政策学部に入ったことで長期バイトを回避できたのは良かったです。

自分が入学した2001年、この大学は短大から四年制大学になってからまだ2年目で、入学したての頃は先輩が2年生しかおらず、人間関係から逃げたかった自分としては実に気楽でした。

キャンパスが新しかったため、2001年っぽい近未来的なデザインで、とてもおしゃれでした。キャンパスが新しいのと関係があったかどうかはわかりませんが、学食も安いわりにけっこう美味しかったです。

まだインターネットができることすら珍しかった当時、この大学はなんといたるところにLANケーブル差込口があり、ネットし放題でした。学生は必ずノートPCを買わなくてはならないという決まりがあり、親からノートPCを買ってもらいました。ネット中毒だった自分には天国で、ろくに人と話もせず、一日中ネットに埋没していました。

団体行動を強いられる高校とは違って、大学ではいくらでも個人行動ができるため、後々もっと人と絡んでおくんだったと後悔したりもしましたが、当時はとにかく楽しかったです。

ただ、サークルでは人間関係から逃げるのが難しかったです。入学したばかりの頃は友人を作ろうとしたり、サークルに通って、RPGツクールで作ったゲームに曲を付けたりしていました。ツクールは持っていたので使い方は知っていたのですが、総合政策学部はパソコンに疎いだろうから難しいことはやらなくても良いよという謎の配慮をされ、当時は意思表示もできず、悶々としながら音楽素材だけ作っていました。文化祭だけは何とか毎年参加し、今は懐かしいHSPで作ったもぐらたたきゲームが好評でした。

政治経済には関心がなかったので、2年生くらいまではできるだけ政治経済関係の講義を避け、芸術情報学部のソルフェージュ、プログラミング等のほか、総合政策学部ではパソコン関係の講義や、心理学や文化人類学などを受講していました。文化人類学では100点満点を取り、ゼミの教授から大袈裟に目を剥かれました。そして、文化人類学の教授のゼミに入り、卒論では三大宗教について書きました。宗教、特に一神教に関しては多少詳しいと思います。

学園祭では、THE BOOMのコンサートに行きました。物陰からボーカルの宮沢和史さんを覗いていたら、宮沢和史さんから不審そうに見られたりしました。カンニングも来て、見に行きたかったのですが、うっかり時間に間に合わず、見られずじまいでした。

M3を知ったのも大学時代でした。@midi's peopleというサークルに桜庭統氏が参加されていると知り、会場が飯田橋だった頃に初めてM3に一般参加し、五反田義治氏を遠巻きにジロジロ見て、やはり不審そうに見られました。

大学の話とは少々それますが、尚美学園大学があった東武東上線沿線にはブックオフがたくさんあり、定期券を利用して行き、CDやゲーム、漫画等をよく買い漁っていました。当時は漫画家への夢はもう諦めていましたが、桜玉吉氏やほりのぶゆき氏、おおひなたごう氏、和田ラヂヲ氏などの不条理ギャグ漫画を読んでいました。ある日、新たな作品を開拓しようと、ブックオフでふとハグキ氏のハトよめ(ハトのおよめさん)を手に取り、結局最終巻まで買い揃えるほど猛烈にハマりました。

大学3年から、芸術情報学部の講義を受講できなくなったか、ほとんど制限されたかで、さらに総合政策学部の講義も専門的になっていき、非常に辛かったです。簿記とかマクロ経済学など、全く意味が分からない講義を受ける日々が続きました。単位も危うく足りなさそうでしたが、お情けで単位をもらえて何とか卒業できました。卒業式にも出られないほど対人恐怖症がひどかったため、当日はホールの外から聞いて参加する有様でした。

大学時代は個人行動しまくっていたので楽しかったですが、もっと人と交流した方が良かったんじゃないかと後悔しているところもあります。そうしていたら、ゲーム業界への就活も上手くいって、今頃業界人だったかも知れません。しかし、最近になって多少巻き返している感があり、当時はあれはあれで良かったんだろうとも思わなくもないです。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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