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声に出して読む「モモ」

娘が小学4年生になってから、夜眠る前にミヒャエル・エンデの「モモ」(1973)の読み聞かせを始めた。読まない夜も多々あったので、先週の土曜日にようやく全355ページを読み終えた。ラストスパートでは、娘と続きが気になりすぎて止められず、1ページづつ交代で読みながら3時間も音読をしていた。

惜しむようにあとがきまで読み終え、目を閉じると、たくさんの灰色の男たち、ベッポじいさん、カシオペイヤ、ジジ、マイスター・ホラなど、勝手に頭の中で想像した風貌の登場人物たちが走馬灯のように駆け巡った。ぐったりと目を閉じながら娘が「終わってしまってさみしい」と呟いた。

本は娘が1年生の頃に買っていたけれど、当時は言葉が難しくて(「円形劇場あと」とか「左官屋」などが出てきて都度説明すると進まなくなる)、読み聞かせるのを諦めた時期がある。もう少しやさしい本を読んで慣らしていき、ようやくモモのストーリーが理解できるまでに成長した。

ミヒャエル・エンデとの出会いは私が小学生の頃だった。幼い頃、「ネバーエンディングストーリー(1984)」という映画が大ヒットしたのだが、その原作がミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だった。(原作を改変しすぎて裁判沙汰にまでなっていたのは後に知るところ)映画に出てくる、白い竜のファルコンや本の世界に飛び込むストーリーなどに夢中になった。あの分厚さの本を読み終えた達成感もあり、本は楽しいもの、という意識が芽生えた。夢の中でバスチアンのようになれるかもしれない、と、まくらの下に「はてしない物語」を重ねて眠った記憶がある。

大人になって「モモ」を改めて読むと、エンデがいかに資本主義社会への批判と、子どもたちへの慈愛に満ちていたかに気付かされる。合わせて、年齢も性別も超えた友人との出会いや、時間をたっぷりかけて「今」を楽しむことの大切さを教えてくれる。経済成長に盲目的な大人への警鐘と、そこに巻き込まれないよう、子どもたちには想像力や時間を自分のために使うことを何度も何度も訴えかけている。

「モモ」が書かれた1970年代は、冷戦やベトナム戦争、オイルショックなど行きすぎた資本主義で世界が混乱していた時代に重なる。半世紀が過ぎた今、良くも悪くも、エンデのメッセージは鮮やかさを増している。

個人的にはベッポじいさんとカシオペイヤがお気に入りだ。ベッポじいさんが、終わりそうもない道路掃除について、「ひと掃き、ひと息、ひと進み」と目の前のことに真摯に向き合う姿勢に胸をつかれた。のろまなカメのカシオペイヤは30分先を見通せるから、ゆったりのんびり甲羅に文字を光らせながら歩く最高の相棒だ。

印象的な場面では、円形劇場あとに子どもたちが集まって、空想の世界で大航海をするシーン。おもちゃも何もない、広場で友達と一緒にいるだけでハリウッドも真っ青のストーリーを紡ぎ上げる。対照的な、完全無欠人形のビビガールも薄気味悪くて魅力的で、ドキドキする。マイスター・ホラに連れられた時間の花のシーン、最後の胃が痛くなるほどスリリングな灰色の男たちとの決戦はいわずもがな。

娘と「モモ」の世界が共有できたことがとても嬉しい。これから大人になるにつれて、だんだんとメッセージに気付かされるのだろうか。私もまだ、気づいていないメッセージがあるかもしれない。布団の上で交代で本を読み上げた夜を、私は忘れないだろう。