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上手くいくこと、腐りゆくもの

何かが上達へ向かうプロセスをショートカットしたくなる
それは幾多もの適応が生んだ産物なんだと信じて、そしてそれを効果的に使おうとすることこそ弱者の生存戦略だと信じていた

つまるところ、もし技術たるものを適切に定義し、適切な強度のトレーニングを繰り返し行えば、そこへ辿り着くのではないか?という人間の適応プロセスへの確信めいたものであり、自分を効率的な学習プロセスへ誘う鋳型であり、お供のようなものでもある

それは最初に答えを確定し、答えへ近づけていく作業を淡々と繰り返し、
効率的に、そして確実に能力を獲得していくには有効な手段である一方で

振り返ってみると答えが確定している分、どこにいくわからない未知さに似たワクワク感はなく、プロセスが退屈めいたものに変化していく実感が湧いてきてしまった。
到達可能性を軸に置くことで自分の可能性をふるいにかけ、また蓋をしてしまっている、該当しないものをすぐに切り捨てる、ひどく狭いものの見方が知らず内に形成されてしまっている

加えて、
自分が持っているリソースは極めて少ないと決めつけ、自由や自立を意識することで、誰かに頼ることを避け、頼っている事実からも目を背け、個人主義が助長された結果、相手に対して感謝の念を抱くことも少なくなってしまう

不安定な体調や、変動が多い基礎スペックへの不安からか、自分なりの素材の活かし方、自分の持っているリソースに目を向けることは二の次だと思っていたし、黙っていても研修が運ばれてくる環境ではないこと、プラスへと方向づけされるトリガーが日常にないことを憂い、欲するが与えずのような利己的な自分に不満はあるもしょうがないと諦めていた

漂流も迷走もしているつもりはなかった
信念も覚悟もあるはずだが、中心にある自由という言葉が強大なエンジンなんだが、ブレーキにもなっている、というか悪い意味でどこへでも連れていく

可能性の中に浸ることが、可能性を具現化するのを足止めしてしまう。
偶然任せの受け身態度のチャレンジは、主体態度で方向付けられたチャレンジとは違うし僕はその違いがわからないでいた

方向がないと、どこかでいいやつでいたいくなる。
優しいの一言は、承認されない自分を癒す魔法の褒め言葉のように自分に染み渡り、安住の地から動かない理由になっていたのかもしれない


でも
改めて言葉にするのであれば

僕はチャレンジャーでいたい
僕は優しいを直接届けたいわけではない
僕は傲慢でいたいし、自分勝手でいたい
独りじゃ何もできないのかもしれないけど、一人でできることを増やして行きたい
自分の可能性の具現化に魂を燃やしていたいし、具現化が次の可能性を生むことを信じていたい
決まっていく、固まっていくのはなんだか怖すぎて
ずっとどこかを冒険していたいし、その冒険を志す心躍らせる何かを探し続けていたいし

別に何者ではなくていいんだけど、
「俺はここにいるぜ」って言える自分の中にある言葉は持ち続けていたい

上手くいくこと、腐りゆくもの
その狭間で不器用にがむしゃらに
もがき続けていたいな



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