声をあげて泣く

堰を切ったように泣いてしまった。

声をあげて泣きながら、堰を切るってこういうことか、と思わず冷静に考える自分もいるぐらい、まさに堰を切ったように泣いてしまった。

ずっと自分の上にかかっている薄く、けれど流れていかない大きな雲は、現状へのフラストレーションや自身の過去の選択への疑問や嫉妬の積み重ねで日々増幅していたようで、人から不意にもらった本質を捉えたたった一言で、ついにこらえきれず雨に変わった。

誰にも気付かれないように、自分自身にも気付かせないように、私の選択は正しい、だってこんなことを得た、あの決断がなければ今も結局違う形で悩んでいる、と現状肯定癖から蓋をしていたことがきっとあった。その蓋を、私をよく知る人の何気ない一言がいとも簡単に取っ払ってしまった。

その一言がiPhoneの通知に出て来た瞬間、声をあげて泣いた。泣く準備なんてしてなかったのに。

声をあげて泣いても解決しないことなんて分かっているし、いま泣いてるの、苦しいよ、話を聞いてほしい、と通知の主に電話をしようとも思わない。こんな恥ずかしいくだらない話を聞かせたいとは思えない。

けれど、胸のうちに押し込めるよりも涙にかえたりして外に出すとやっぱりちょっと楽になるのかもしれない。


311で被災した子どもたちに自由に描かせた絵が真っ黒な津波だった、彼らはしばらくの間そういった絵ばかり描いていた、確かそんな内容だったドキュメンタリーが忘れられない。
もっと青空やお花を描きなさいと窘めたくなる大人も多そうなところだが、こういった行動はトラウマ克服のための真っ当な過程らしく、自分のうちの苦しみを押し込めず絵にすることは健全なことのようだ。

最近このドキュメンタリーのことをよく思い出していた。

被災とは全然違うけれど、中学生の頃、生物の授業中にトラウマになるビデオを見せられた時、結構長い期間、数日の間、思考がそれに囚われ、本当に苦しくてどうしようもないことがあった。遂に耐えきれなくなった時、私は誰に教えられるでもなくそのトラウマになったワンシーンを絵に描いていた。記憶を手繰り寄せながらシャーペンでノートに無心に描いていた。そうすると、苦しすぎた思いから次第に解放されていったのだ。

記憶とは曖昧なので、思い出しているつもりでもそれはあくまで抽象的で、当時感じた印象を引き出しているにすぎず、輪郭がはっきりしていないことが多い。そのことにすら自身が気付いていないことも多い。
美しい景色が胸に深く刻まれていても、いざそれを絵にしてと言われたら難しいのが証拠だろう。写真にでも撮っていれば、写真自体が記憶の景色とすりかわるので絵にしやすくなるが、そうでもない限り、なかなか記憶をもとに具体的な輪郭を描くことはできない。

姿のはっきりしないぼやぼやとした記憶や事柄は自分をより苦しめる。自分を無理に押し込めることで時折顔を出すトラウマにずっと苦しめられるぐらいなら、明らかにしたほうがいいのかもしれない。

というわけで、いま自分を縛り、防衛本能により見ないふりをしようとして気を紛らわしてはたまに顔を出して苦めてくることたちにきちんと向き合おうかなあ、向き合うしかないかなあと思ったりする。

泣いたって何も変わらないって言われるけど、誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね。
昔からなんだか印象的だったこのフレーズが久しぶりに私のもとにやってきた。

描いたり書いたり、たまに泣いて自分を解放したら、これからなにをすべきかまた考えてみよう。

#エッセイ #日記 #泣くこと #泣く

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