酒とギャンブルと煙草に溺れていた日々の話。

ダブルアップ、2マス進む。

タイトルはイメージです。実際とは異なる場合があります。


酒と煙草とギャンブルに溺れていた日々(仮)の話をします。

といっても、この記事には退廃的なものは何もありません。
ただ、退廃的なものに憧れていた僕という人間がいるだけです。

最近吉報が多く、鬱で死んでいる身体に反して感情だけはふわふわと浮いています。今日かなり大きな知らせが入ったので、久しぶりにお酒を楽しみたくなりました。でも、帰宅時間は遅いし導入剤と併用してはならないので我慢我慢。冷蔵庫に入っていた缶ビールは見なかったふり。柿の種もあるけれど腹は減っていないと自分に言い聞かせ、コップにはコーラを注いでイッキ飲みしました。とても美味しかったです。ゲェップ。


そんな生活が続いているのですが、お酒をよく楽しんでいた日々を思い出します。仕事終わりにビールをあおって、けれどお酒を飲んだ日は導入剤を飲まないので、あんまり眠れずに過ごしていた日々でした。

眠れぬ夜のお供は、ドラクエ11のポーカー。ひたすら何度も挑戦して、ダブルアップに挑戦して、ほどよく稼いだところでアガるのが主な戦法です。元手はコイン50枚くらいからスタートして、掛け金は控えめに。三歩進んで二歩下がるを繰り返しながら、試行回数だけを増やしていきます。ドラクエの世界はそれなりに優しいので、やっていればストレートフラッシュをツモることもありました。何度やったかは思い出せません。ただ最初は50枚だったコインは最終的に50万枚になっていました。はぐれメタルヘルム(つよつよの防具)と交換しました。最終的に店に売っていましたが。

そんな感じにズルズルと夜更かしを繰り返す僕の脳内を占めていたのは、煙草の存在でした。前の職場では煙草は嫌われていましたが、今の職場はほぼ全員が愛煙家です。飲み会でぷかぷか漂う煙や、勤務中に「ちょっと行ってくる」とアイコスと共に去っていく上司にちょっとした憧れがありました。
そして煙草で繋がるゆるいつながりも、今でも魅力的に感じています。だって、『喫煙所でよく会う他の部署の人』、なんて会社では激つよのバフだと思いませんか。喫煙者でも正規労働者でもない僕へのひとつの解決策なのではないか、と疑う気持ちは止みません。

そして、今も支えてもらっているカウンセラーの先生も喫煙者です。
喫煙に憧れている話をしたら、喜々として色々な電子タバコについて教えてくれましたが、肩身が狭いという話をしていました。
なるほど確かに、僕の周りにはいわゆる嫌煙家の人が多いです。
煙草を吸ってきた先輩にファブリーズを連射する後輩もいましたし、露骨に避ける人もいました。煙草なんて、なんで吸うかわからない。ゆるやかな自殺じゃないか、と言う人もいますね。
でも、僕は思うのです。人間誰しも多かれ少なかれストレスの中に生きています。逃げたくなる時もあるだろうし、一旦休みたい時もあると思います。僕自身もそうだし。
その先にある彼らの案息所が、喫煙所であったり、ゆったりとただよう煙の中だったりするなら、(少なくとも今の僕自身には)責める権利はないと思います。むしろ、自分の代わりにたくさんの税金を納めてもらっているのです。感謝するべき人々なのかもしれません。
もちろん、喫煙のデメリットや受動喫煙の危険性の知識もそれなりにあるつもりです。「分煙しようぜ」が基本的なスタンスですし、僕の前で喫煙している姿を一切見せなかった父親を尊敬しています。
けれど、分煙した先の喫煙なら自由。健康と喫煙を天秤にかけて、喫煙に少し傾く人もいるだろう、という考えなだけです。

少し話がずれました。言いたかったのは、僕は嫌煙家ではないこと。むしろ好ましく見ていること。故に憧れがあることです。

だから僕は、世界情勢が大変なことになっているドラクエの中でポーカーを楽しみ、現実ではお酒を飲み、まだ見ぬ煙草という夢を見ていました。酒と煙草とギャンブル(の夢)に溺れる日々のできあがりです。

そしてある日、僕は新宿の煙草専門店で一本の電子タバコを買いました。
今すぐ吸うつもりはなかったけれど、いつか本当に吸いたくなったら使おう。そんな気持ちを込めて。


結局、その後医者殿から「ちゃんと寝ようね」と圧をかけられ、片手間にやっていたドラクエ11の本編もクリアしてしまったことで、酒とギャンブルに溺れる日々は終わりました。医者殿はとても正しい。当時の睡眠時間や生活リズムはボロボロだったからです(今も良いとは言えないけれど)。


買ってしまった一本の電子タバコは、今でも大切に保管しています。
借金玉先生の著書を参考に作った、机の上の神棚。そこに通帳と共に祀られています。使われることもなく、ただただ祀られるそれは本当に神具のようになってしまいました。たまに眺めたりします。それでも最後はそっと神棚の中に戻して、手を合わせます。買われた側の電子タバコに自我があったら、間違いなく困惑しているでしょう。嗜好品のはずがいつの間に神格を与えられているのですから。

酒を禁じ、ギャンブルから離れ、煙草も憧れのまま奉る。
それでも変わらずに鬱の波は訪れ、逃げたくなって神棚を見ます。
けれど今日も僕は煙草を吸っていません。いつか吸う日が来るのでしょうか。それとも神具は神具のまま、物質は形骸化し、神格という概念になっていくのでしょうか。


煙草は幻想のまま。その代わりにレジンのにおいを漂わせて。
石油臭いと母親に言われます(レジンは石油みたいな香りがします)。
でも、作品を見せたら思いの他機嫌良さそうにしていました。

今はこれでいいかな、と思っています。
タイトルはイメージです。実際とは異なる場合があります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?