量子と素粒子のちがい

時々言われることをふと思い出した。物理用語には誤解がつきものである。今日は物理用語の話。

「我々を構成する物質は原子(atom)という最小単位からなる」という発想は古代に遡り、そのような「原子にあたるものはこれだ!」と言わんばかりの原子として、化学で原子の性質が決められて、そのような性質を満たす構成要素としての原子はよく研究された。化学で扱われる物質は実際に、その原子の組み合わせによって説明がなされ、また、実際の大きさなども前世紀前半までには大体測定がなされたもので、0.0000000001m。0が10並んでようやく1。このような数字を10^-10と書く。これは小さい。ちょっと想像がつかないくらい小さいのだがどうやって測定したのだろう?と大方思うだろう。意外と簡単に?このくらいの大きさだと実はわかってしまうんだけど、今日はそんな測定の話はしない。

しかし、これぞ最小要素と思われた原子は最小要素ではなかった。そのような構成要素を調べると、原子は電子と原子核から構成されていると判明した。電子はこれ以上分割できなさそうだが、原子核はさらに陽子と中性子、また、それらもさらに小さな「クォーク」という構成要素を持っていると考えられている。

21世紀前半の現在の段階では、電子クォークを含めて、これ以上分解できなさそうな粒子が「素粒子」と分類している。クォークには6種類、また、電子には仲間がいてこちらも6種類、総称して「レプトン」と呼ばれている。このクォークとレプトンの計12種類の粒子が物質を構成するものと考えている。

さてさて、これはどちらかというと化学の発想を引き伸ばしたものかもしれない。物理の発想は、そういった物質を支配するとは何者で、どのような性質を物質が普遍的に持っているのだろうか?という疑問にあると言えるだろう。

そのような研究として、物体の種類によらず動くときに考えられる性質を抜き出した「力学」という分野や、そうした物質の動きを決定する上で非常に多くの場面で関与する電磁気力の性質は極めてよく研究されてきた。ここで力学という分野の研究は力の種類によらない、普遍的法則として与えられたのに対して、電磁気力は具体的な力の中身であることについては押さえておきたい。

実は、様々な場面を調べていくと、ニュートン以来これでいいだろうと思われてきた、力学の前提になっていた仮定は所々に問題があることが19世紀にはわかってきた。修正箇所には主に2つの観点があって、1つは「時間と空間の性質」、もう1つは「実験および物理量の認識の仕方」に関する幾分メタなもので、前者が相対性理論に、後者についての修正の結果として成立したものが量子力学である。

ここからわかるように、量子力学における「量子」の名前は、物質の分類とは一切関係なく、特に実験結果がそれ以前には連続的で数えられないと思っていたものが、離散的、すなわち、一つ、二つ、と数え上げられるような性質を持ちうることを指しているようである。量子力学は現時点では、根源的にはあらゆる物理学の対象がこれによって記述されるべきだとする、物理の大前提という位置付けになっている。ただし、必要以上に問題を複雑にする場合もあり、現実的には量子力学の性質が現れづらい状況になりやすく、そのような場合には量子力学を適用しないのが普通である。概ね、原子スケールより小さいと量子力学が顕著になるが、低温環境では特に大スケールにまで量子性が現れやすくなるなど、「量子」という単語は「小さい」ことを要請するわけではない。

そして、電磁気学の方。電磁気学は身の回りの電気や磁気の話の研究からスタートしたが、その知識を結びつけると電磁波と呼ばれるものが理論的に現れるのである。そして、この電磁波の速度や、電磁波が物体に当たる時の性質など諸々を考察すると、これこそ、我々が目で見ている「光」の正体であるということが明らかとなった。

電磁気学は光の性質を概ね記述できていたが、光が持つ粒子としての性質がうまく扱えなかった。そんなところで、量子力学が出てきた。電磁気学は古典力学に具体的な力を書き込むと実は扱うことができる。高校や大学の教養程度までしか物理を扱っていない「物理学び中」の方々の場合これは、正しく伝えることができていない。大学の教養で学ぶ「マクスウェル方程式」という、電気や磁気の力に止まらない法則群も、うまいラグランジアンを仮定して、ラグランジュ形式という古典力学で計算したときには、古典力学で計算できる。電磁気学はその意味で、古典力学で扱う具体的な力なのである。

という発想になると、じゃあ、古典力学を修正した量子力学で扱う力としての電磁気学は?という発想になってこないだろうか。実はこのとき、電磁気学では粒子性が登場する。このとき「光子」という粒子が現れる。

先ほど述べた、物質を構成する粒子にたいして、こちらは力の根源となる粒子である。素粒子の研究では、このような力の根源となる粒子が他にもあることがわかっている。

素粒子の研究はある意味で、力の法則に乗っかる具体的なプレイヤーが何か、という研究である。その一方で、量子論という話になると、そうした法則そのものが何か?どういう性質を持つか?という研究になる。

物理を学ぶとき原点にあるのは、そのような普遍性であって、普遍性に乗っかる具体的なプレイヤーに目を向けていくのはどちらかというと化学の発想である。量子力学は物理であるが、「最小の構成要素」という語り口で素粒子を語り始めるとこれは化学のような印象を私は持つのである。


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