農家の冬しごと①

皆さま、こんにちは。

小さな農業経営者は冬も休んで居れません。

大規模稲作農業者で大型作業機を持ち、オペレーターをしているような方は『冬はスキー三昧❗️』などという方も多く見かけますが、夫婦2人で、ギリギリ倒れない範囲で身体を酷使しながらなんとか夏を乗り切るというそんな私たちのような農家は、昔であれば『出稼ぎ』、そんな冬のしごとをしないと生活が苦しくなります。

地域の農業者の多くが、ここ北東北では大型特殊の免許を持ち、冬は除雪をして生計を立てる、そんな話もよく聞きますが、多分に漏れず、私も冬は冬で食い扶持を探さないといけません。

そんな『農家の冬のおしごと』について、何回かに分けてお話したいと思います。

まずは移住当初の事を、綴りたいと思います。
最初の冬は都内の人材派遣会社での登録がまだあったので、なんと出産を2ヶ月後に控えた嫁さまを残し(妻の実家は当時の住まいから歩いて3分の所にあったのですが、、)私は自身の実家に単身戻り、ある建築関係の企業で、繁華街の店舗改装工事の現場監督のような事をさせて頂きました。(それまでの工場・店舗でのマネジメント経験から採用して頂いたようです)

翌年からは、市の観光に関する行政の出先機関のような所で、「県外出身者のお前なら旅行客が必要とする情報を提供出来るだろう」ということで、準社員的な雇用で働かせて頂くご縁を頂きました。お陰で市内全域について、車で走り回り、地名や特色を覚えることが出来ました。

それらの経験は、数年後、産業用無人ヘリコプターのオペレーターとして水稲の防除をして市内を回った時にもとても役立ちました。市内の人でも「住んでる近所くらいしか村や地域の場所なんてわからないのに!」と言うくらいなので、地名を聞いてサッと軽トラを走らせて行けるのは、Googleマップもなかった頃には、「よそもの」なりに得意げに認められた気になれたものでした。

味をしめ、「何がどこでどうつながるかわからない」ということで、当初は「アントニオ猪木が言う『いつ、何時、誰からの挑戦でも受ける❗️』というスタンスでお声を頂ければなんでもやろう」と考えていました。

後でまた別の機会に書きますが、移住当時は自覚なくイケイケで「おれはなんでも出来るはずだ」という思い込みや自負が相当ありました。もしかしたら周りの方には鼻についていたかも知れません。

農業者はその呼称に諸説ありますが、「百姓」と言い、「百の仕事がある」、「百の仕事のやり方がある」と解釈されることも多いようです。
確かに作目も多種多様なら営農手法も慣行農法の系統出荷から、有機農業で直売所や、更には「なんとかマルシェなどのネット通販で展開してるよ」という風に、さらに多様性を極めてきていると言えるでしょう。

私が具体的に就農について考え始めた頃には、少しずつ6次産業化という概念も見え始めてきていました。
鎌倉野菜のような、小規模生産者が付加価値を打ち出す方法で事業を展開するといった珍しい取り組みも、まだあまりメディアへの露出がなかったように思います。

イケイケで、やたらと自信過剰な思い上がりをしていたような私ではありましたが、ただただ闇雲に何でもかんでも声が掛かれば首を突っ込もうとしていたわけではなく、私なりに地域に根ざした、地に足のついた活動につなげるため、という情念だけは持っていたつもりです。

実はその観点が、今、多種多様に複雑化している「農業」という職業を進める上で、とても大事な欠かせないものだった、という事について、次回、実体験を交えながら綴りたいと思います。

ヒントとなるキーワードは「生え抜き」という事かと思います。

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