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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(15)~低きにくだる神

 主は御座を高く置き
 なお、低きに下って天と地を御覧になる。
                 113編5~6節

これまでさっと読み飛ばしていたのですが、ごく最近、この聖句に出合って目からうろこの思いをしています。

ここでは天の高い御座にどっしりと腰を下ろして地球上の一人ひとりを見守っておられる神さまの存在というにとどまらず、「低きに下って」天と地を御覧になる神さまの姿に初めて気がついたからです。つまり、ここでは神さまみずからが地上に下りて来られて、私たちの歴史に直接介入してくださっていることが分かります。

でも調べてみますと、これに類する聖句は他にも見つけられます。出エジプト記3章7節~8節を読みますと「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼の叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプトの人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地・・・・・へ彼らを導き上る』」と書かれてあります。

イスラエルの民を奴隷の状態からカナンの地へと救い出すために、神さまは「下って」来て導いてくださったのです。
 
フィリピの手紙2章6節にも「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました」という記述があり、さらにヘブライ人への手紙2章7節にも同様に「あなたは彼を天使たちよりも、わずかな間、低い者とされたが・・」と書かれてあります。

いずれも旧約時代の預言者に告げられていたとおり、人間に寄り添ってくださる神さまは、この地上に御子イエス・キリストをお遣わしになられるため、あえて下りてこられたのです。
 
ここに他の宗教にはないキリスト教の独自性があります。いわば神の超越性と内在性という真理です。

聖書は「ほめたたえられる神」が、歴史の深みに下られたという「低きに下る神」が啓示された書なのです。しかもキリストは私ども人間が立っている場所よりも、さらに低い場所に下られたのです。

そこは、もはや神さまの御手が及ばない場所でありました。つまり神の光が届かない闇でした。そのような手段によって、神さまは叫び求める者を引き上げ、救ってくださったのです。

しかし、それはキリストが十字架に釘づけされるという大きな犠牲を伴った信じがたい方法によってでした。

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