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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(10)~天の窓を開いて

必ず、わたしはあなたたちのために
  天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。
                マラキ書3章10節

「天の窓」とは、なんと美しい言葉でしょう。
こんな詩的な言葉に出合いますと、なぜか心がほっとします。
その後に「祝福を限りなく注ぐであろう」という約束の言葉がつづいていますので、「窓」を開いてくださるそのお方は、神さまであることが、すぐに見てとれます。
 
「天の窓」といえば、日本百名山の一つに数えられる赤岳という山をご存じでしょうか。
私は登ったことはありませんが、長野県から山梨県の境に広がる八ヶ岳連峰の主峰(標高2899メートル)で、その赤岳頂上小屋に「天の窓」と名づけられた展望抜群の食堂兼談話室があって、天気がよければ大きく開かれたその窓から富士山が一望できるそうです。
 
冒頭の聖句で使われている「天の窓」とはもちろん一つの比喩ですが、神さまはその窓から祝福を限りなく注ぐというのです。
口語訳の聖書では、この「天の窓」は「天の水門」と訳されています。そのように、その水門から恵みという水があふれるほどに注がれるというイメージでとらえることができます。
 
ただし、祝福をうけるためには条件があります。
マラキ書によれば、主は「十分の一の献げ物と献納物をささげよ」と求められるのです。
”十一献金”(プロテスタント教会でよく言われます)という言葉は、ここに由来していますが、実際には冒頭の聖句の小見出しに使われているように「悔い改めの勧告」が、その本来の意味なのです。
神さまは何よりも信仰の誠実さにもとづく真剣な悔い改めを殊の外、願っておられます。
つまり神さまは、人間が悔い改めて信頼をもって身を献げるならば、天の窓を開いて祝福を限りなく注ぐと約束してくださっているのです。
ですから主に「立ち帰れ」(3章7節)とも語りかけられるのです。
それは今を生きる私たちへの神さまの呼びかけでもあります。
イエスさまも山上の説教の中で「神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6章33節)と言われました。
条件といっても難しいことは何もありません。主に心を向けさえすれば、恵みにあずかれるというのですから。

私たちも、天の窓から祝福と恵みがどっと流れくだってくることをひたすら待ち望みつつ、今日も天に向かって心を大きく開いていることにしましょう。

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