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〔連載〕思春期の子どもを持つ母親への心理学講座 その8:大事なものを忘れてきた母親

🔹妻からの率直な感想

本連載にたいして、何人かの方が好意的な感想を寄せてくださったが、四十年以上連れ添ってきた妻からは、つぎのようなシビアな疑問が呈せられた。

「たしかに子育て中の母親には参考になるとは思うけれど、子どもとの会話で、どういう言葉を返したらよいかを、いちいち頭で考えながら子どもに向き合っていたら、かえって神経をすり減らして、ノイローゼになってしまう人も出てくるのではないかしら」と。 
ずいぶん前に子育てを終えてしまった妻の率直な感想ではあるが、なるほどそんな受けとめ方もあるのかと思って、少し襟をただされる思いがした。
 
しかし、この連載で、毎回、具体的な例をあげながら解説しているものの、私としては、読者のみなさんに最小限度の子育てのヒントのようなものを会得していただければという思いで書きつづっているわけであって、どこの家庭にも例外なくあてはまるような、親子改善のための処方箋を提示しているわけではないということだ。
連載途中ではあるが、その点、誤解のないようお断りしておきたい。今回はそんな反省をふまえて、少し息抜きの意味で、話題提供をしてみたい。
 
🔹四か月検診で

子育て問題の第一人者、大日向雅美先生(恵泉女学園大学学長)は『子育てと出会うとき』(NHKブックス)という著書のなかで、ちょっと驚くような母親のエピソードを紹介している。以下、そのいくつかを要約して引用してみよう。
 
一つは、関西のある保健所の四か月検診で実際にあった話である。
一人の母親が大事なものを忘れてきたというのだが、ここで読者のみなさんに質問したい。いったい、この母親は何を忘れてきたと思いますか?
 
実は、忘れてきたのは持ち物ではなく、正真正銘、赤ちゃんだったという。保健所の職員が唖然としてしまったというのも無理はない。
 
一般的に、検診に持参する物としては、母子手帳をはじめ、おむつの替え、タオル、筆記用具ということになろう。当の母親は、職員からそのことを指摘されると、むきになって「検診通知書には、赤ちゃんを連れてくるようにとは一言も書いてなかったじゃないか。これは明らかに保健所側のミスである」と主張してはばからなかったとか。
 
そこで、保健所としてはそれを機に、さすがに持参する物のなかに「赤ちゃん」とは書けないために、苦肉の策として「なお、当日は気をつけて赤ちゃんをお連れになってください」と、さりげない一行を付け加えることにしたというのだ。
 
このようなエピソードを読まれて、みなさんは、どう受けとめられたであろうか。
こんな母親が登場してきたということを知って、やはりびっくりされたのではないだろうか。 
大日向先生は、さらにもっとあっけにとられるエピソードを紹介している。
 
🔹おしっこの色はブルー?

もうだいぶ前の話になるが、紙おむつの宣伝で、企業は、おしっこが漏れにくいように工夫した点をアピールするため、実際に水を使って垂らして見せるというコマーシャルを放映したことがある。
 
その際、透明の水では見えにくいため、ブルーの色水を使用したわけだが、放映後、ただちに母親から「うちの子のおしっこはブルーではないけれど、大丈夫か?」といった問い合わせの電話が五~六本入ったという。
作り話めいているが、これも本当にあった話だ。
 
検診の際に赤ちゃんを連れて行かずに自分一人で出向いたという母親といい、我が子のおしっこの色がブルーではないことが気になって、あわてて電話をかけたという母親といい、笑ってすませられるような事態ではないことはたしかである。
 
それまでの自分の体験を踏まえて考えてみれば、小水に色がついているということは常識的にありえないはずであることは容易に理解できるはずなのに、このような予想だにしない反応を引き起こすのは、単に人生上の体験不足というだけにとどまらず、今日の母親たちが、いかに身近に相談する相手が存在せず、孤独のうちに子育てをしているかということをよく示していると言えるのではないだろうか。
 
また別の見方をすれば、コマーシャル等のちょっとした情報に幻惑されて、常識的な判断力や想像力までも狂わされてしまったのではないかと言うことができるかも知れない。
そうであればなおのこと、今の母親たちは、もはやすっかり情報に惑わされてしまうほど、足が地に着いてた生き方をしていないということになろう。それだけに今の時代の子育ては、ますますむずかしくなってきていると言わざるをえない。
 
したがって、読者のみなさんは、今どきの母親はこんなものなのかとがっかりされる前に、待てよ、もしかすると自分もそのような柔軟性に乏しい固定的な子育て観に陥ってしまってはいないだろうか(あるいは、してこなかったであろうか)と我が身を振り返って、この際、じっくりとこの問題に向き合ってみてはどうだろうか。
それこそ、これらのエピソードを他山の石として、我が子への関わり方を変えていく第一歩になりうるのではないかと考えるからである。

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