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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(4)~高く超える主の道

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
  主は言われる。
                イザヤ書55章8節

🔹神の思いと人の思い

ここでは神さまの思いと人の思い、神さまの道と人の道とが対比的に述べられています。その直後の9節でも、さらに念押しするように

天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている

と書かれてあります。

いみじくも詩編でも

天が地を超えて高いように
慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。(103編11節

という聖句を見つけることができますが、共通しているのは、私たちの思いや道は神さまのそれと比べるならば「天と地」ほどの違いがあるというのです。
私たちは、そのことをどれほど自覚しているでしょうか。

とはいえ、神さまの思い、神さまの道がどのようなものかについて深く思い巡らさなければ、その違いを理解することはできないでしょう。
人の思いが経験や習慣などからくる生き方や考え方だとすれば、神さまの思いとは、偽りのない完全なご意思、み心と言っていいでしょう。

そこには被造物にたいする神さまの綿密なご計画が込められているに違いありません。
そして、おそらく神さまの道とは、そのようなご計画を現実に実行に移す方法や手段のことなのでしょう。
しかも主は単に語られるだけでなく、語られた言葉を約束どおり必ず実現してくださるのです。

🔹理解しがたい災難などに遭うと

にもかかわらず、私たちはときどき自分の思いを超えた理解しがたい艱難などに直面すると、
つい「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」と不満や愚痴をもらしてしまいがちです。
おそらく私たちにとって重大に思える事柄は、神さまの目から見れば取るに足らない小さな事柄なのでしょう。

エレミヤ書の29章11節にも、こんな聖句がみられます。

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである

ところで、ここでは主のご計画は「将来の希望」ではなく「将来と希望」と書かれている点にご注意ください。
考えてみれば今の時代は閉塞的な状況にあって「将来」は閉ざされているかのように見えますから、「希望」と同時に改めて神さまから「将来」が与えられなければならないのです。

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