見出し画像

〔連載〕思春期の子どもをもつ母親への心理学講座 その12:悲しみを訴えられない子どもたち

🔹感情表出が不得手な子どもたち

近頃、大人(とくに親)の前で自分の悲しみを訴えたり、涙をこぼしたりする子どもが急に減ってきたように思う。
これは単なる私自身の感触にすぎないかもしれないが、とにかく今の子どもたちは悲しみやつらさを訴えたい気持ちを山ほどかかえているにもかかわらず、訴えられないでいるのである。
 
私達親は、我が子が悲しそうな、つらそうな表情をしていれば心配になり、つい「どうしたの? 言ってくれなきゃ分からないでしょ」といった性急な対応をしてしまうことがよくあるだろう。
 
あるいは涙を見せていれば、即刻、その事情や理由を聞き出そうとして「どうして泣いているの?」といったような言葉かけをするであろう。
 
しかし、いずれの親の対応も、悲しみをかかえている子どもの心には届かず、かえって心の殻を閉ざす方向に向かってしまうかもしれない。
 
そんなとき「何かあったんだね、悲しくなるようなことが」とか「涙が出るほど悲しいことがあったのかな」といったソフトな言葉を添えてあげれば、たぶん別の展開になっていたはずだ。
 
私達は、これまで他人前(ひとまえ)で自分の気持ちや感情をそのままストレートに顔つきや態度に出すことは控えるようにといった奥ゆかしいしつけ教育を受けてきたせいか(それは長年にわたる日本人固有の謙抑的な教育観に根ざしているのであろう)、感情表出を極力抑制してきたように思う。

だが、相手に自分の思いを伝えようとして感情を表出することと感情的になること(感情をむきだしにすること)は、まるで別の事柄である。 

その辺をはき違えてきたせいか、私達大人は、子どもが自己主張をしはじめようものなら、それをただちに親への反抗ととらえてぴしゃりと封圧してしまったり、あるいはまた、我慢を教えるべきところで我慢をさせず、我慢を必要としないときに我慢を強いるといった、あべこべの対応をしてしまったようだ。

それだけではない。大人たちは、何とか自分の願いや期待を子どもに伝えようとして躍起となり、子どもからの訴えや求めを先延ばしにしてしまうようなことはなかったであろうか。
 
🔹子どもの気持ちを受容するということ

これまで、この連載で何回か子どもの思いや気持ちの受容の仕方についてふれてきたが、子どもを受け入れる(受容)ということは、実は、それほど生易しいことではないのである。
 
カウンセリング理論を学んで「うんうん、そうだね」といった寄り添ったリピートをつづけていけば受容できるというものではない。うわべだけの受容は、すぐに子どもに見破られてしまうものである。
 
受容は、英語では acceptance と書く。この acceptance の元々の意味は「自分の方に引き寄せる」とか「微笑みかけ、抱き寄せ、頬ずりし、口づけするという行為」ということだから、かなりポジティブで能動的な関わり方のことをさしているのである。
 
そして受容が成立しているかどうかのメルクマール(指標)は、子ども自身が「自分は愛されている」とか「自分は丸ごと認められている」と感じとってもらえたかどうかにかかっている。
 
問題なのは、冒頭に書いたように、「泣けない子ども」「涙を見せない子ども」の存在である。それは、いわば悲鳴をあげられない子どもたちのことである。悲しみをかかえつつ、その悲しみの感情を訴えられないでいる子どもたちである。
 
そのような状態が長くつづけば、いずれは悲しみという感情を失ってしまう。涙さえ涸れた危険な状態に陥ってしまう。
 
そのゆきつく果てが不幸にも凶悪犯罪に走った青少年たちである。彼ら彼女たちに共通して見られるのは、悲しみを誰にも(親にさえ)受容されないままに孤独地獄に落ちてしまっていたという点である。
 
ところで、私達は、子どもたちの間で何か重大な問題や事件が起きるたびに、彼ら彼女らの行為を咎め、さらに社会通念にしたがって規範や規律を教えようとする。
 
しかし、彼ら彼女らがなぜ非行・犯罪に走ってしまったのか、なぜ悲しみの感情を喪失してしまったのかといった個々人に見合った受容的なかかわりなくして、ただちに規制指導を講ずることは、かえって事態を悪化させてしまうだけである(現行の学校教育においては、そのような傾向がみられる)。
 
本来、他者への思いやり(可哀相とか助けてあげたいといった感情、つまり利他的感情)は、子ども自身がもつ素朴な「うれしい」とか「悲しい」とか「つらい」とか「悔しい」といった気持ちを大人たちによって十分に受け入れてもらえてこそ、はじめて自発的に培われていくものであるから、いくら「友達に思いやりをもって接しましょうね」と口酸っぱく説いたところで、そのとおりに実現するはずはないのである。
 
もう一点、忘れてはならない適切な関わり方がある。私達大人は、日ごろからたえず子どもの前で「自分の弱さや欠点やみじめさを口にしていいんだよ」といったメッセージを告げておくことだ。
「みんな弱いんだ。弱いからこそ互いに助け合うんだ」といったメッセージを伝えておくことによって、はじめて他者に対する「共感性」とか「思いやり」の気持ちが育っていくのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?