競馬がなくなる日
今年4月、英国の競馬がニュースになった。「グランドナショナル」というレースで、30個の障害を飛び越え、7,000メートルも走るという、過酷なレースである。このレースで死ぬ馬もいるという。そのため、動物愛護団体がこのレースを妨害したということだ。
レースは15分間遅れたものの、無事に開催された。出走した39頭のうち完走したのは17頭、けがをした1頭は安楽死処置がとられたという。
正直に言えば、いくら伝統的なレースだからと言って、死ぬ馬がでる前提でのレースはやるべきではない。動物の福祉に反するものだ。
そもそも、競馬そのものに、馬の死が織り込まれている。競走馬として活躍できるのは、せいぜい7歳まで。それ以降、長い余生がある。とはいえ、実際に余生を送ることができる馬は幸せな方だ。日本では年間で6,000頭から7,000頭の馬が殺処分されている。
サラブレッドは、走る精密機械のような馬の品種だ。精密機械がいかにこわれやすいか。骨折すれば、人間であれば治療するが、馬の場合は治らず、殺処分されることは少なくない。実際に、テンポイントのような名馬が骨折して殺処分された、ということを記憶している人も少なくないだろう。
近年、動物の福祉が考えられるようになってきた。
毛皮が拒否されるようになったのは、かなり前のことだ。動物実験も極力回避されるようになってきたし、とりわけ化粧品の開発では動物実験を行っていないことが表示されるようにもなってきた。
ペットについても同様で、売れ残った犬や猫は、しばしば殺処分されてきた。欧州ではペットショップは禁止されるようになってきており、ネットを通じてブリーダーから譲り受けるしかなくなりつつある。
そのペットの品種も、いずれ問題になるだろう。いつも鼻づまりをおこし、帝王切開でしか出産できないパグや、あるいは胴が長すぎて腰を痛めてしまうダックスフンドなどは、消えることになるかもしれない。
こうした文脈の先に、競馬がなくなるということは、十分に考えられる。というか、なくなっていくだろう。
競馬の場合、あまりにもファンが多いし、歴史もあるので、なくすという判断は簡単ではない。でも、動物を愛護すること、動物の権利を守ることの延長には、競馬は存在しないだろう。
そうした動きは、いずれ日本にもやってくる。日本にはまだペットショップはあるし、競馬ファンは多い。でも、大きな流れの中では、なくなっていくものだと思う。
あると思ったものが、ある日、なくなっている。でも、よく考えると、なくなっていることが理にかなっている。そういうものはたくさんある。
喫茶店も白熱電球も動物園のラッコも、もうほとんどいない。ビールの自動販売機も見かけなくなった。固定電話やガラケー、カセットテープ、週刊少女漫画。三洋電機にサザエさんのスポンサーだった東芝の家電。
なくなるのは様々な理由がある。そして、理由があるにもかかわらず、無くなってはじめて気づく。ガソリン自動車がいつまであるのか、ウナギはいつまで食べられるのか。飛行機に乗ることが飛び恥と言われるように、牛肉を食べることは食べ恥といわれるかもしれない。
競馬がない未来を寂しいと思う人は少なくないだろう。でも冷静に考えれば、残る方が不思議なのだ。見たくない未来を、人は見ようとしない。昨日と同じ明日がずっと続くと思っているのかもしれない。でも、ゆっくりと変わっていき、ある日突然、大きな変化に気づくことになる。
でも、変化がくることは、よく考えればわかることだ。そのことは、つねに思い出すようにすべきだ。
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