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今年の読書

あまり本の話ってしていなかったので、年末くらいは、と。冬休みの読書の参考にしてください。
 今年、印象に残った本はこんな感じです。
 まず、今だからこそ、ガッサーン・カナファーニーは読んでほしい、くらいには思います。パレスチナの作家です。「太陽の男たち」はわりと有名な作品だけれど、これがパレスチナが置かれている状況の比喩でもあります。ぼくはハマスをテロだとは思っていなくて、そもそもガザに閉じ込められているパレスチナ人が、壁を叩いているのだと思います。けれども「太陽の男たち」とは違って、誰もその音を無視してきた。その結果だと思います。テロはイスラエルの方です。
 イヴ・コゾフスキー・セジウィックといえば、NHKEテレの「100分で名著 フェミニズム」で上野千鶴子がとりあげた「男同士の絆」が話題になったけれど、晩年の「タッチング・フィーリング」はもう少しおだやかな本です。死を前にしたセジウィックが、それでも仏教の教えを頼りに前に進む。その死の意識には、エイズなどの偏見もあって、死に直面してきた、差別されてきたLGBTQに対する想いもあります。
 ヤン・ヨンヒの「カメラを止めて書きます」は、これもNHKの番組でヨンヒのドキュメンタリーを見たのがきっかけ。両親が朝鮮総連で、息子はみんな北朝鮮に帰還し、ヨンヒと両親が日本に残る。何度か北朝鮮に行き、兄弟にも再会する。そんな事情が語られる。
 ダリア・セレンコの「女の子たちと公的機関」もおすすめ。日本人もあまり変わらないかも。
 ロシアや日本だけではなく、アフガニスタンでは女性から言葉が取り上げられている。ソマイア・ラシュミ編「詩の檻はない」は、そうしたことに対する詩による戦い、といってもいいのかな。
 森達也編「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?」も読んでほしい一冊。ただホームレスを排除するためだけに、一般の人にとっても座りにくい仕切りがあるベンチにするって、どこか歪んでいると思う。でも、ホームレスに限らず、学校の生徒、外国人、シングルマザーなどいろいろな人が排除されているのが日本社会だとも思う。
 ナンシー・フレイザーの「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか 」も書いてあることにはうなずいてしまいます。エネルギー業界の人に対しては、資本主義はなぜ気候変動問題を解決できないのか、という問いに変えてもいいのかもしれません。
 今年もいろいろな人が亡くなったけど、もっともショックだった一人が立岩真也。生存することをぐだぐだと書いた文章は好きだった。生きることって、そういう形でしか書けないのかも。資本主義では幸せにならない障害者のこと、そしてそれを支える介助者の生活も厳しい。でも、そういった人たちがあたりまえに生きられる社会がいいと思うというのはその通りです。読みやすさということで、新書をあげておきます。
 河野真太郎、小川公代、岩川ありさの批評はいろいろ感じるところがありました。労働とジェンダー、ケア、LGBTQといったテーマですが。資本主義社会においては、ケアという視点が少なすぎると思っています。そのことが立岩の問題意識ともつながっているんじゃないかなあ。
 大江健三郎も亡くなったけれど、「親密な手紙」はその晩年の、過去の想いや原発事故、中年にさしかかった障害を持つ息子のことなどが、残された人たちに向けて書かれた親密な手紙、というものです。大江をそんなにたくさん読んできたわけじゃないけれど、ぼく自身も野川近くに住んでいることもあって、身近に感じます。同時に大江はまた、資本主義が抱える問題、排除や貧困については鈍かったとも思いました。「記録・沖縄「集団自決」裁判」という本に関する記述があります。大江は「沖縄ノートをめぐって、右翼から訴えられており、勝訴しました。この本はその記録なのですが。でも、大江は裁判では勝ったけれど、勝負で負けたと思うのです。つまり、教科書の記述は変わってしまったこと。そのことはもっと意識しても良かったのではないかな、と思いました。あと、大江は息子をモデルとした登場人物を小説などに書いてきたけれども、その息子の権利はどうなのか、そのことも考えてしまいました。それは、大江に対して残された人々が乗り越えるべき存在として、そこにあるのかもしれません。
 その意味では、ぼくは辺見庸の視点を信じたいと思います。辺見は共同通信を退社したあと、山谷に移り住みます。そうしたジャーナリストとしてのラディカルさ、そこから世界を見ようというのは、感じるところがあります。今年は相模原障害者施設殺傷事件を扱った「月」が映画化されました。それは一面でしかなく、効率化を求める資本主義の狂気とそれにも負けない戦争に向かう狂気に対する憂いは、ずっとあります。
 時間軸を持って東京を見直す、源川真希の「東京史」も、現在を考える補助線になるでしょうか。
 ジョン・スラディックの「チク・タク」(邦題は長すぎます)は、ロボット三原則が欠落したロボットが人を殺しまくりながら副大統領候補になるという話だけれども、スラディックが生きていたらトランプ前大統領をどう思ったのかな、というくらいロボットとその周囲の狂気が描かれたSFです。
 今、政治的なテーマを扱う作家ならば、アリ・スミスとカレン・ラッセルがおすすめ。スミスは基本的に長編作家なので「四季」シリーズを「秋」から順番に読むのがいいかな。ラッセルは政治的というのは少し違うか。訳者の松田青子の小説とともに好きです。
 マンガもいくつか。ペトスの「亜人ちゃんは語りたい」は、ちょっと特殊な性質を持つ亜人ちゃんたちが、差別されることなく生きていけるということを、学校を舞台に展開する話です。亜人を外国人やLGBTQや障碍者に置き換え、排除されない物語と考えるといいでしょう。
 秋本治がこうしたテーマにけっこう意識的だというのが、「ブラック・ティガー」を読むとわかります。女性を主人公とした西部劇だけれど、底流にはポリティカルコレクトネスがあります。「こち亀」だけじゃないんです。
 坂井恵理の「シジュウカラ」はドラマ化されたけれど、40代で子供がいても、ろくでもない夫と離れて女性としての自分を取り戻せる、という話です。こういう作品って、いままであまりなかったんじゃないかな。
 最近好きなのが、「あかね話」と「望郷太郎」です。
 で、今年最後の本は、まだ半分しか読んでいないけれど、ジュディス・バトラーの「この世界はどんな世界か?」です。コロナ危機であらわになった格差社会は、気候変動問題にもつながっているといいます。
 ジャック・アタリが12月30日の日本経済新聞に掲載された論説でCOP28に対して厳しいコメントをすると同時に、環境問題が解決されるだけで世界が救われるわけではないと指摘しています。ぼくもそう思います。
 とまあ、今年はこんな感じで本を読んできました。多少なりとも、参考になれば、といったところです。

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