見出し画像

曖昧になりながらも明確にある境界線について 【丘の上の学校のものがたり ④】

無題

001

薄暗い廊下から、窓枠に両手をかけ背伸びするようにして、電灯がついた教室のなかを覗いている小柄な人影が見えた。

少年は部活が終わり、2階の教室に忘れた荷物を取りに来たところだった。
夕闇が校舎の隅々にまで入り込み、黒々とした天井や壁が無機的な様相をあらわにしている無人の廊下に、教室のガラス窓から漏れている電灯の光はいちだんと映えており、そこにはひとがいて何か作業をしていることをうかがわせた。

廊下の人影に近づくと、それは同じクラスの同級生のひとりだった。彼とは中学3年生になったこのクラスで初めて同級になったので、それまではお互いに知り合いではなかったが、ちょっとしたきっかけで親しくなっていた。

002

中学2年の途中から、少年は、都バスから地下鉄を利用した登校に切り替えていた。同じ部活の友人から地下鉄利用の通学路線を教えてもらった。その友人の地下鉄通学路は、少年と同じ方面だったので、さびしがりやの彼は部活の後でひとりで帰るのが嫌で、地下鉄通学へ誘ってくれたのだ。ただ、地下鉄通学には、乗り換えがあるため、初めて聞いたときに少年には面倒に思えた。しかし、少年を魅了したのは、その路線に乗ると日比谷から東銀座まで、まるごと銀座を通過することになることだった。毎日だ。

中学生も半分過ぎるくらいから、少年は、同級生の友人と繁華街にゆき、書店や映画館を回ることを覚えた。銀座は、書店や映画館巡りに最適だった。大型書店は複数あり、映画館も豪華なロードショー館から2番館、3番館までたくさんあった。

週に1~2度は、帰宅途中に、日比谷で降車し、日比谷の紀伊国屋書店、数寄屋橋の旭屋書店、四丁目に近い、近藤書店、場合によっては、教文館、昭和通り沿いの改造社書籍売り場をぶらぶらした。映画館は、日比谷映画街の邦画洋画のロードショー各館、日劇の地下やアートシアター、二番館では、銀座四丁目の裏の文化劇場や三原橋の地下にあったテアトル三原橋の2本立て、東銀座には、松竹の本社があり、松竹セントラル、古色蒼然の東劇、東劇のビルのなかには3本立てで150円という傑作座という三番館映画館まであった。

地下鉄通学に切り替えると同じ路線の顔なじみができてきて、知り合いが多くなったのは嬉しかった。

003

中学3年のクラスで同級になった小柄な彼も地下鉄の同じ電車に乗っており、やがて挨拶を交わすようになった。少年が彼に注目するようになったのは、朝の登校時に起こした彼のちょっとした椿事だった。ある朝、登校途中の公園の横の緩い坂道を歩いているとおそらく同じ電車に乗ってきたのであろう、彼が道路の向こう側を本を読みながら歩いていた。少年は本好きなので、どこでも本を読みたかったので、歩きながらの読書に、挑戦したことはあったが、とても危なくて出来たものではなかった。

道路向こうの彼を見てるとさすがにペースは遅いが本を読みながら登校する生徒たちのなかを器用に学校へ向かって動いていた、と、思えたのだが、そのまま電信柱に正面からみごとに激突した。けっこうな衝撃だったらしく、後ろに大きく尻もちをついたが、驚いたことに、何ごともなかったように立ち上がり、そのまま、読み歩きを学校まで続けたのだった。

少年は、単純に感動した、こんな凄いことを平然とやってのける同級生がいるんだ!その日、クラスで彼を見つけると感動をそのまま伝えに行った。え、見てたのかよ!見てるも見てないもあんな大勢の登校途中の生徒たちがいて、ごつんと音を立てて追突してるんだから、見ないわけにはいかない。しかも、また、本を読みながら歩きだすもんな。

このことがひとつのきっかけで、彼とはよく話すようになった。評判通りの博識な才子で、しかもユーモアの感覚が少年と似ていて、しだいに親しくなっていった。

004

その同級生が、そっと隠れるようにして廊下からガラス窓越しに教室を覗いているのだから、その姿を見つけた少年には、何か面白いことがありそうだという期待が浮かび上がった。矢も楯もたまらず、教室内には聞こえないように静かに廊下を歩き、彼の横に並んでガラス越しに教室のなかを眺めることなった。

電灯が煌々とともる教室内では、少年たちのクラス担任が、教室の掃除をひとりで黙々とやっているところだった。髪の毛が天然パーマで雑木林のようになり、その下には黒縁の眼鏡をかけた面長の真面目な顔つきがあり、痩身長躯の中年である担任が、背広を脱ぎ、ネクタイを緩めて、脇目も振らずにはたらいており、廊下から少年たちが覗いていることにはまったく気づいていなかった。
しかも、いちど全員の机と椅子を教室の後ろにまとめて、前方の教卓の方から、ていねいに掃きながら机や椅子をもとの位置に戻しているようにみえ、ただならぬ本格的な掃除に、少年も同級生も唖然として眺めていた。
そのうちに、やはり、それぞれの部活が終わり、教室に用事のあった他の同級生が何人かやってきて、少年たちの覗き込む姿にびっくりしながら、近づいてきて、少年と同じように教室内を覗いて担任の掃除に励む姿に唖然とし、教室に入ることも忘れ、皆で、廊下から眺めつづけた。

しかし、さすがに、しばらくすると、少年たちは、先生、ありがとうございます、手伝いますと声をかけて、教室へ入っていった。
君たちがいっぺんに大勢で入ってきたところを見るとぼくが掃除してるのを外で見てて、そろそろ終わりだと入ってきたな。
先生、お疲れでしょうから、お帰りください、後はぼくたちでやっておきますから。
そうかぁ、毎日、朝礼で教室の掃除をしてくれって頼んでいたのに誰もやらんから、ぼくが始めたんだよ、皆でやればすぐ終わるからやっちまおうか。

担任は、掃除が終わってから、職員室へと帰っていった。もう職員室には、ほとんどの先生がいない時間になっていた。

丘の上の学校がいくら自由な校風だと言っても、教室の掃除当番を交替で行うことは決まっていた。しかし、真面目に掃除当番をしていたのは、中2の前半ぐらいまでで、だんだんと手を抜くようになり、3年目の丘の上の学校生活では、掃除当番表はあるが、クラスによっては、少年たちのクラスのように、ついにだれも掃除当番をしなくなることが起きていた。

教室の床は日々、ゴミが積もっていった。掃除当番をしないが自分の周りにゴミがあるのは嫌だとばかりに、皆が自分の周りのゴミを後ろに蹴りだし、ゴミが後ろの方に積もって、土手のようになっていた。見かねた担任は、毎朝の朝礼で、掃除をしろ!と叫んでいたのが、掃除をしてくれ!と最近は訴えるようになっていたが、生徒のだれもその声に見向きもせず、ひたすらゴミを後ろに蹴りだしていた。

005

クラス担任とクラスとの間には、これまでしっくりといかないものがあった。生徒たちは、学校生活も3年目になると自由な校風の都合の良いところばかりを先輩から聞いて真似て、それが身につくようになってきたところだった。ふつうに言えば、生意気盛りに突入してきた時期といえるだろう。自意識を高く抱いて自由を謳歌しようとすれば、少しでも自分の行動が邪魔されたり、批判非難されるようなことがあれば、敏感に反応して、盾つくことになるのは当然のことだった。

中学3年生の始業式の朝、既に教室内は、乱然としていた。それぞれの生徒にとって、顔なじみも増え、クラス替えをした割には、打ち解けた雰囲気であり、この2年間の丘の上の学校生活で身につけたひとりひとりの朝の流儀をためらいもなく、披露していた。
新しい担任が教室に入ってきても、話し声は止まず、ラジオを聴いている、新聞を読んでいるといった連中も別に特に自分たちの担任のことを気にもしていなかった。担任は、英語の教師であったが、今までこの学年で教えたことがなかった。また、少年も先輩からこの新しい担任について、これといった情報やエピソードを得てなかった。新担任としてのあいさつや学校からの連絡事項をしゃべっても生徒たちの喧騒は止まず、ついに業を煮やした担任は、教壇から下りて生徒たちの間に入ってしゃべりだしていた。イライラしているせいか、長身痩躯の上にある本来なら穏やかであろう学究肌の顔は強張り、声も神経質な高いトーンになってきていた。そして、ついに、君!朝礼の時ぐらい新聞を読むのは慎みたまえ!だいたい傍若無人にそんなに広げて周りにもめいわくだろ!とひとりの生徒に向かって強い調子で声をかけた。

スポーツ新聞を誰かから借りて両面いっぱい広げて読んでいたのは、少年とは前の学年でも同じクラスだった生徒だった。彼は、中学生らしからぬ不逞の体で、笑いを誘う辛口の冗談を言って周りから笑いをとることを得意とする生徒で、悪意はないのだが、その太々しい存在感と口から出るきつい言葉で避けられることもあり、既に新しいクラスでも目立っていた。

新しい担任にいきなり注意された彼は、むっとしたのか、言い返してやろうという顔つきになったものの、言い返したときにどういう反応が返ってくるかまだわからない新担任に面と向かって言うわけにもゆかずで、辺りを見回し、少年を見つけると、これ幸いと、少年の名前を呼んで、おい、今度の担任はケツの穴が小さいぞぉ~と周りに響く大声で言い放った。前の学年についで、少年は、またしても、彼の悪態に付き合わされてしまった。さすがに少年は、ああそうかという仕草はしたが黙っていた。担任は、彼のことばにそうとう不愉快になったと思うが、それ以上は相手にせず、教壇へ戻った。この緊張したひと騒ぎで教室のなかはいくらか収まったのだった。

少年は、新しい担任は、口の悪い同級生が言うほどには困った先生だという印象は受けなかった。同級生の憎まれ口に怒ってつるし上げるとか、うるさい生徒たちを威嚇するとかということもなく、喧しい生徒たちに神経質な苛立ちは見せていたが、そんな悪い人には思えなかった。前のクラスの担任が鷹揚な個性だったので、比較は難しいのだ。

新しい担任が一方的にしゃべり、クラスの生徒は、そんなことにお構いなく、勝手なことをやっているという関係が続き、それがかたちになって現れたのが、教室の後ろにゴミの土手ができるというようなことだった。

006

さて、教室の掃除が終わり、担任が職員室へ帰った後、残った生徒たちは、綺麗に整えられた机の上に銘々が勝手に腰かけ、足を延ばして机に載せたりしながら、担任の人物月旦を始めていた。当初思ったよりずっと良い人物で、生徒に対してかなり柔軟に対応する頭と対人スタイルを持っているんじゃないかという話になった。今まで、少年たち生徒の方でやや一方的に形式ばった狭量な人物として冷たくしたのは気の毒だったし、今日の掃除の感謝をかねて、何かお礼のお返しをしようということになった。

ああだこうだ話し合っているうちに、せっかく教室もきれいになったし、ここはひとつ気分一新ということで、感謝を明らかにするのに、教室のレイアウトの前と後ろを逆にする、机と椅子の向きを全部逆にするのはどうだろうという意見がでて話は一気にまとまった。このころになると剣道部の稽古を終えた同級生もやってきており、今までの経過と教室逆向きレイアウトについて聴くと、それは面白いとはじけるように笑い出し、いきなり乗り気になっていた。

剣道部の彼は、愛嬌のある笑顔が特徴的で、誰にも好かれる人柄であり、友人からの頼み事をきちんと果たす律儀さでも有名で、多くの同級生たちから信頼を得ていた。ただ、この他人の言うことを素直に聞く律義な面と同時に間違ったことは絶対に許さない、特に強さをかさに着てくる理不尽に対する反骨心も秘めていた。今回は、彼の陽気ないたずら好きに火がついたようだった。

教室のレイアウトを逆にするのは、ちょっとやり過ぎかという懸念が少年たちには多少はあったが、ひとを和ませる得意の笑顔でノリノリになっている剣道部の同級生をみてるとこれでいいんだという気になってくるのだった。

方針が決まると少年たちはだれが指示するでもなく、教室のあちこちに散らばり、椅子と机の向きを逆にすることを一斉にやりだしていた。4~5人しかいないのに教室には人の熱気をあふれてきて、汗まででてきた。すると、机と椅子を後ろ向きにするんだから、教壇と教卓を後ろに持っていたほうが授業がやりやすいだろうと誰かが言い出した。言われてみればその通りで、朝礼での担任のびっくりする顔を想像していただけの少年たちの頭の中にその後の授業風景が浮かんできた。
さっそく、全員で、教室の真ん中を開けて、教壇と教卓の移動にかかった。教壇をどかすと黒板の下あたりは、数年分のホコリがかなり積もっており、綺麗に掃除した。都合が良いことに、後ろにも黒板があった。後ろの黒板は、あくまで伝言板がわりの補助黒板だったので、正面の正規の黒板に比べると三分の一もないくらいだったが、黒板があれば大小にかかわりなく良しだろうと少年たちの誰もが考えていたようだった。

こういう悪戯を企むときに発揮されるかりそめの共同体意識は、少年たちにはお手のものになってきており、この学校で受け継がれてきた厄介な伝統が少年たちの身にもいよいよ付いてきたようだった。

少年たちは、翌朝を楽しみに意気揚々と家路へ着いた。

007

翌朝、教室に入るともうすでに半分ほどの生徒が登校しており、何だこの机と椅子は⁉いったいどうなってるんだぁ!と大騒ぎになっていた。
こんなこと、誰がやったんだぁと何度も大声で叫んでいるのは、昨日一緒にたくらんだひとりだった。彼は叫びながらも横向いて楽しそうに笑っていた。
生徒たちは、自分の席がもとの位置であることを確かめ、他の席はどうなっているかとか、隣のクラスはどうだとか、あちこちうろつきまわり、登校する生徒が増えるに従い、教室のなかは、密林の雄たけびと動物の彷徨の態になってきた。予想通り、文句を言う生徒はいるが、元に戻そうなんてことを言う生徒は、誰一人いなかった。
悪態付きの同級生は、すでに興奮し、はしゃいでおり、これを元に戻そうなんてことはやめようぜとか、まわりに叫んでいる。

朝礼のベルが鳴ると生徒たちは、逆向きのまま自分たちの各々の席についた。担任がやってきてどんな顔をするのかをほとんど全員が楽しみしていた。
ほどなく、前の扉が開き、朝らしく倦怠感あふれる姿勢で担任は教室に入ってきた。
一瞬の間があり、生徒たちは、座ったまま、上体だけ後ろに振り返り担任の様子を窺った。担任は出席簿を片手で抱えながら、みごとにびっくりした顔で教室の入り口でフリーズしていた。生徒たちの大拍手が起こり、やんややんやの怒号と叫び声がおそらく教室の外まで響き渡った。立ち上がって喜んでいる生徒までいた。

生徒たちの野生的な声を聞き、担任は、この事態に一瞬緊張し強張っていた顔がややほぐれ、なぜか照れ臭そうにして、自分が間違えたかのように廊下に出て扉を閉めて、今度は、後ろの扉から入り、黙って教卓の前へ進み、生徒たちを眺めまわすと、掃除をして教室がきれいになっているのはいいんだが・・・これはどうなってるんだぁ・・・ともう君たちにはついて行けんわという本音の呟きが聞こえてくるようなかすれた声と、呆れた表情をしてもう一度生徒たちを見回した。
すると、また、ここで生徒たちから拍手が起こり、叫び声がたちまちのうちに教室の天井まで覆いつくした。担任は、生徒たちがひと息つくのを見定めて、ふつうに朝の出席を取り始め、生徒たちは興奮覚めぬまま周りと話しながらもきちんと返事をしていた。そして、他の先生がなんとおっしゃるかなぁと自らに語りかけるようなことばを残し職員室へもどっていったのだった。

少年たちの予想通り、この担任は、教室のレイアウト変更のいたずらについていきなり怒ったり、犯人捜しをするような愚かなことはせず、しばらく様子を見守るという判断をした。
言うまでもなく、犯人は担任にはばれている。昨日掃除を手伝ってくれた少年たちだ。

1時間目の授業が始まり、前の扉から入ってきた先生は最初はびっくりしていたが、すぐに覚悟は決めたというように、生徒の机の列の間を歩いて、後ろの黒板にゆき、教卓の前に座り、逆向きレイアウトについては遺憾であるみたいなことをひと言述べただけで、ふつうに授業を始めた。

午前中の終わりくらいになるとほかのクラスから様子を見に来る生徒もいたが、先生方には概ね知られたらしく、この教室に限っては、後ろから入室してくるようになった。

丘の上の学校の古参の先生やOBの先生は、少し驚いたぐらいで、この学校にはこういう妙な困ったこともあることはよくわかっているという感じで、面白がりながら、ふつうに授業をしていた。
この教室に入り、まさしく激高したのは、ひとりの先生だけだった。この先生は、古参のベテランでもなくOBでもなかった、君たちは学校を何だと思っているんだ!これじゃ、授業ができないじゃないか!他の先生は何と言ってる!皆怒っただろう!どうだ、クラス委員答えろ!!!

クラス委員は、不幸なことに少年だった。
他の先生も最初はびっくりされてましたが、ふつうに授業を始められました。少年自身も小憎たらしい返答だと思ったが、仕方ない、事実なのだ。
それを聴くとこの先生も少し冷静になったのか、先生たちはみんな本当は怒ってたんだぞ!と前よりは小声で言ってから、授業が始まった。
この先生も2回目に来たときは、もうふつうに後ろから入り授業を行った。

008

教室後ろ向きレイアウトの状態は、1週間ほど続き、担任もさすがに困ってきて、元に戻してくれないかと朝礼で言うようになり、少年も職員室に呼ばれて、他の先生から特に黒板を目いっぱいつかう先生から文句が出ているし、教室のなかの勉強する連中や父兄からも僕のところにいつまでやるんだという問い合わせが来るんだよ、もとに戻してくれないかね。

相談してみますと少年は職員室を引き上げた。
相談するといってもクラス会で協議するわけではなく、そのレイアウトを嬉々としておこなった連中とスゴく支持してくれた連中を集めて聞いてみることにした。

さっそく、いたずらを仕組んだ同級生たちや支持者などに声をかけて、放課後の遅い時間に教室に7~8人ほどが集まることとなった。

他の先生や真面目ながり勉や父兄の間に立って困っている担任が、強権的に原状回復の執行をわれわれ生徒に言わないのは大したもんだし、見直したというエラそうな発言から会議が始まった。いくつかエラそうな態度のでかい意見を交換するうちにわかったことは、少年たちは、皆、このレイアウトにすでに飽きているという事実だった。もう教室のレイアウトの替えどきなのだ。

じゃ、元に戻すかというとそれもツマラナイということは、全員一致だった。それから、会議というよりは雑談が始まり、この間見たあの映画は面白かったとか、だれだれが近くの女子校の誰それに手を出して三角関係になりかかっているとか、テレビに出ているあの先輩の彼女はあのタレントだとか、先生の何某は独身だと言ってるがウソだとか、どうでもいい話が続くなか、最近色気づいてストリップショーの研究をはじめたひとりから、ストリップショーの舞台の仕組みについての話がでてきた。
ストリップ劇場には、ふつうのステージだけでなく、ステージの中央から客席にむけて廊下みたいな舞台がせり出していて、それを出べそという話だった。この話で、この会議の結論は決まった。教室の後ろ向きのレイアウトは、担任の希望通り元に戻し、今度は、教壇に出べそをつくり、教卓をその先端に置こう。

ここからの活動はいつもどおり速い。さっと教室のあちこちに散らばると教壇と教卓を移動するための通路を教室の真ん中につくり、教壇と教卓の位置取りを始めた。都合の良いことに、教壇は、三分割でき、2本を黒板前に横並びに置き、残りの1本をそれに直角において出べそをつくり、出べその先端に教卓を置いてみた。机と椅子は、出べその両脇は、出べそに向き合うようにし、出べそが被る位置の机は、適当に周りに置いた。
ストリップ劇場型教室の見事な完成である。

またしても、少年たちは、意気揚々と家路についた。

009

翌朝は、生徒たちも慣れたのか、前回の前後逆転ほどの驚きはなく、出べそにかぶった机に座っていた数人の生徒が不満を漏らしたが、席がなくなったわけでもないので、自分たちなりに納得して座っていた。

担任は、いつも通り後ろの扉から入ってきて、レイアウトの向きが回復していることに喜んだのも束の間で、今度は出べその教卓で視界が360度になったことで、きょろきょろしながら、出席を取っていった。前回ほどの驚愕した表情もなく、今度はこう来たかという感じだった。

各授業の先生方も、概ね今度はこうかという対応だったが、老齢の先生には、教卓から黒板までの出べそ分の距離という余計な運動で、気の毒なことになってしまった。

そのうちに、少年を戸惑わすことが起こりはじめた。

度重なる移動により、木造教卓のタガが緩み、ガタガタと揺れるようになってきた。揺れがひどくなったら釘でも打って補強することを何となく皆が思っているときに、ある日、誰かが何を思ったか、教卓の真ん中をノコギリで切り始めた。そのままノコギリは、教卓の近くに置きっぱなしになっていたので、さらに、誰かが教卓を切り始め、数日経つうちに、見事に真っ二つに割れてしまった。先生方は、割れた教卓を引っ付けてその上に教科書を置いて授業を続けた。

少年は、この教卓真っ二つ切りには、ついてゆけなかった。何か違和感があり、面白がって賛同する気にはならなかった。机やいすを移動させたり、出べそをつくった連中にも、この件についてそれとなく聞いてみたが、皆、それぞれ感想はあったが、違和感を持っていた。

そのうちに、教室の後ろの壁の膝くらいの高さのところが少しくずれて穴ができた。すると、この穴を拡大することが流行りだした。なぜこんなことをするんだい?と聞くと、隣のクラスとの連帯を強めるために、ここに穴をあけてしまうということだったが、これにも少年は違和感を抱いていた。と言って、積極的に止めることもしなかった。教室のレイアウトでいたずらを始めた連中の多くも、同じ様だった。

この話は1969年のことだ。1月には、東大安田講堂事件があり、東大の入試が中止になった。少年の先輩たちのなかには、浪人を選ばずに、一橋大学や関西の京大や阪大に入学したひとも少なからずいた。大学から起きた全共闘運動は、翌年に控えた安保継続への反対を訴える勢力やヴェトナム戦争への反戦を強く訴えるグループとあいまってゆき、書くグループが抗議活動をアピールする街頭でのデモがどんどん激しくなっていった。
丘の上の学校の中学生である少年の周りは、一見長閑そうで、そういった世間の動きと関係なさそうだったが、高校生の先輩たちの間では、政治活動を学内外で始める生徒たちも目につき始めていた。

社会が揺れ動き、この社会を変えていかねばならないし、変えられるという気運が波となって押し寄せてくる感じだった。そのなかで、たかだか壁に穴をあけるくらいのことでも、連帯とかいうことばを使うと社会変革を志す機運にのっているような錯覚に陥り、勝手にニヒルに陶酔しているようでもあった。

少年は、教室の机と椅子のレイアウト変更などをして遊んで親しくなった同級生たちと語り合ったり、一緒に遊んだりすることは面白かったが、クラスのなかでいたずらをすることにはすっかり飽きてしまっていた。

010

丘の上の学校の同級生たちは、だれでもが一皮むけばマニアックな世界を人知れず持っていた。そのなかでも、少年と同じ分野に興味のある同級生たちのその分野へのアンテナの張り方と知識の吸収力には、大変な刺激を受けた。毒気にあたったと言った方が適切かもしれない。

少年は映画好きだったので、中学生になってからは、友だちと語り合って映画を見に行くことが多かった。主に、日比谷映画街にゆき、小学生の頃には見たくても見れなかった、クレイジーキャッツなどのコメディ映画や洋画の激しいアクションもの、黒澤明、ハリウッドミュージカル、オードリー・ヘップバーンのファンだった友人には「昼下がりの情事」をゲーリー・クーパーが出るからとやや騙されて連れてゆかれたりしていた。そうやっていろんな映画を観てゆくうちに、映画には、楽しさや感動だけでなく、どうも世間的な価値観に強烈なダメージを与える映画があることを知った。
そんな話をある同級生にすると、今度、イタリアのパゾリーニが監督した『テオレマ』という映画がロードショーされるから見に行ってみるかということになった。そして、観た後にふたりとも、すっかり毒気にあてられ、以降のパゾリーニの新作映画は公開初日に観にゆき、そのまま席を離れず、2回以上は見るようになってしまった。次は、ゴダールだった。日劇のアートシアターという足を踏み入れたことのない映画館にゆき、感想が言いにくい、それでいて、どこか愉快で引っ掛かりがあり、忘れがたい映画を知ってしまったのだった。こうして、フェリーニやトリュフォーまで加わり、生きていることそのものが映画という作家たちを追いかけることになった。

少年は、小学生の頃に吉川英治を読みだして、すっかり好きになってしまっていた。この話をある同級生にすると、吉川英治じゃ経済でできているという世の中の仕組みは、わからねえよ、やっぱり、時代劇小説なら司馬遼太郎だろ、世の中が経済でできていることがよくわかる、吉川英治じゃ、オッサンだぜ、とか言われた。三田佳子が憧れの女性ですと言っているやつにオッサンだと言われるのも理不尽だが、そうなんだとも思った。かと、思うと、彼は、ある朝から突然、…ビッチとか、…スキー、とか、ロシア人の名前をお経のようにとなえだし、聞いて見ると「戦争と平和」とか、「悪霊」とか見るからに重厚な本を抱えて読んでおり、登場人物の名前を歩きながらでも唱えていないとわからなくなっちまうんだと言っていた。少年は、「罪と罰」だけで、通学時間に読んでいても3か月ぐらいかかり、すっかりロシア文学にはお手上げだったが、果敢にロシア長編重厚文学に挑戦する友人の存在は自分の好きな分野で未知のテーマに挑戦する刺激となった。

011

秋も深まってきたころに、丘の上の学校に全共闘ならぬ「全斗委(全学闘争委員会)」というグループができたという噂を聞いた。ついにできたかという感じを、先生方や生徒たちはもったのではないだろうか。

1969年の秋には、都立の青山高校で生徒によるバリケード封鎖、機動隊導入で封鎖解除、生徒たちによる自主授業が行われるという事件が起きていた。丘の上の学校の生徒たちにとっても、ことの経緯や原因はわからないにしろ、同世代の生徒たちによる学校への要求をバリケードでおこなうという暴力的な行為は、対話に苛立ちを覚えてきている生徒たちだけでなく、多くの生徒たちにとっても目に見えない焦燥感が学校内にも少しづつ蔓延してきているなか身近で起こりうる出来事に思えた。

若い先生のなかには、学生運動をしつつ授業をしにくる先生もおり、君たち、青山高校ごときには負けてはいけませんよ!と歴史の授業の途中でどこでそうなったかわからないが感極まって叫び出す先生までいた。生徒たちの受け取り方は、共感から無関心までそれぞれだったが、感極まった先生がシーンとなっている中学生たちを見て反応のなさにがっくりするぐらいが中学生である生徒たち全体の実状でしかなかった。バリケード封鎖の安田講堂から通ってくる先生もいた。この先生は風呂に入っていないので、物凄い異臭を放つことがあり、有名だった。

また、丘の上の学校の先生方のなかには、60年安保の闘士だったひとが複数いると噂があり、たまたま図書委員になっていた少年は、図書委員の仲間と1960年の新聞の縮刷版を見ていったところ、田端車両区を占拠する全学連の学生たちという勇ましい写真のなかで、風にはためく大きな旗を背にしてマイク片手に演説しているのは、確かに少年の部活顧問だった。

少年たちの日常に何か今まで経験したことのない大きな波がしだいに近づいてくるようだった。テレビや新聞、親を通じて知っていた大人の社会で起きていることが、丘の上の学校にも何らかの形でやってきているのだろうか。それとも、それは、ただ、風のように丘の上を通り過ぎてしまうのか、誰にもわからなかった。

マスコミ報道で社会を騒がせている全共闘の丘の上の学校版が「全斗委」という新しくできたグループなのだろうぐらいの認識しかない中で、中心人物のふたりは、少年の所属する卓球部の2年先輩であることがわかってきた。卓球部には個性的な先輩が大勢いたが、2年先輩のこの二人は特に部内でも卓球部の型にはまらない個性派として名を成しており、エピソードには事欠かなかった。

012

そんなある日、授業中に、突然教室の扉が叩かれ、ヘルメットを被り、キャンプでも行くような活動しやすい格好の三人組が教室に入ってきた。ヘルメット含め、ニュースで見たことのある街頭でデモする全共闘のようなファッションだった。先頭におり、老齢の先生に話しかけたのは、少年の部活の2年先輩のひとりだった。

その先輩は、授業中の先生に、ここにいる生徒たちにどうしても話したいことがあり、授業中に申し訳ないが、10分から15分ほど、自分たちに時間をくれないかとトーンを低めにふつうの口調で言い出し、先生と短い会話をすると、驚いたことに先生が先輩たちに話をすることを許可した。

教室の生徒たちは、この推移に全く置いてけぼりで、老齢の先生と全斗委たちとの間で揉め事になるとみていただけに、先生が時間を割いたのにはびっくりした。

全斗委の代表格のひとりである卓球部の先輩は、教卓に椅子をもってゆき、そこに腰かけ、ゆっくりヘルメットを脱いで、教卓上の左側に丁寧におき、今まで少年が見たこともない殊勝な顔つきで教室内を見渡しながら、ゆっくりとしゃべり始めた。なぜ、われわれは「全斗委」をつくり、学校や社会を改革する活動を始めたかという内容をやや高めの穏やかな語り口で説明した。

あの卓球部のやんちゃな先輩が穏やかにインテリっぽくしゃべっているというあり得ない光景に、少年はついてゆけず、自分はここにいていいんだろうかと居心地の悪さを感じ始めていた。

今教卓の前で静かにしゃべっている先輩ともうひとり同じ様に「全斗委」の代表格を務めているらしい先輩の二人が、しばらく部活に来なかったのは、知っていた。教卓でしゃべっている先輩が部活に来ないのは、新しいガールフレンドができたか、見つけようとして部活どころではないのだろうし、もうひとりの先輩はやや病弱になっていたのでそのためだろうというのが、大方の部員の読みだった。

少年のいる卓球部には、社会問題に関心があり、かなり勉強している理論派も少なくなかったが、今しゃべっている先輩はまったく正反対のポジションで、少年もこの先輩から教わったことといえば、文化祭でのナンパの仕方や女性受けがよく根強い人気があった、米国のフォークグループのことだった。この先輩が、およそ、社会問題や政治に関心があったとは思えなかった。しかも、この先輩ももう一人の全斗委の先輩も少年の1級上の先輩に言わせると、卓球部史上もっとも態度のでかい二人だった。学年や現役卓球部員の中でなく、史上最もというのは大仰な表現だったが、部員の多くは、その表現がけして大袈裟ではないだろうと思っていた。

最もこのふたりは、ある意味正反対だった。今回姿を見せていない先輩は、世に擦れていないというか不思議なキャラクターだったが、修行僧のような生真面目さがあった。卓球のラケットの独自の振り方を、とても良いと誉められ自分でも納得し、そのスタイルを変えずに練習に励み試合に臨み、良い結果を出し、将来を嘱望されていた。だが、そのスタイルには、ラケットが目の上にあたるという欠陥があった。その欠陥は、本人にしかわからぬ痛みで、周りの期待に応えるべく、周りに隠してそのスタイルを貫き続け、ついに視神経に障害を起こしてしまった。この先輩には、破天荒な言動とともに一途で禁欲的でひとに頼らずに意志を貫く面があった。
今回、教室に登場した先輩は、逆に享楽的なところが多く、もたらす話題もあまり卓球とは関係がないことが多く、話もキャラクターも面白かったが、ナンパにしろ成功したという話は聞いたことは残念ながらあまりなかった。
どちらの先輩もやんちゃだったが、愛敬があり、卓球部員たちに一目おかれ、愛されていた。少年にとっても尊敬できるかどうかはさておき、好きな先輩たちだった。

013

それにしても、今日やってきた先輩が、さっき見たように、先生に丁寧に話しかけることや教卓の前に静かに座るなどという姿勢は、少年の記憶のなかには全くなかった。教卓に座ろうとした時と脱いだヘルメットを自分の左前にわざわざゆっくりと置いたときには、ナンパするときと同じ気取りが見えたような気がしたが、それにしても変身したものだとそっちの方に感動のようなものが兆していた。

先輩は話し終えると、諸君の質問を受けると言い出した。少年は、心配になってきた。大丈夫か、中学3年生と言っても社会勉強しているやつはそうとう勉強してるんだから。

驚くべきことばかりが続くが、さらに驚いたことに、質疑応答を先輩は難なくスムーズにこなしていった。この先輩に何が起きたのか。合宿の真夜中にそっと起こされて、文化祭の招待試合よりもナンパについて作戦を練ったり、成人映画に入る方法を熱心に教えてくれた、あの愛すべき先輩がどうしてしまったのか。

しかし、良く聞いていると、質疑応答はまともにおこなわれているようでいて、実は、そうでもないんじゃないかとも思えてきた。
あれ?!と、少年が最初に感じたのは、ある生徒の質問に関して、「今の君の質問の答えは、アダム・スミスの『国富論』に書いてある。読みたまえ。」と知的な静けさをまとったような目つきで答えたときだった。
この答えに少年は思わず笑いそうになってしまった。この先輩がアダム・スミスなんか読んでいるわけはないことだけは確信を持てたからだ。先輩には、失礼な話で、部活を休んで読んでいたかもしれなかったが、少年の乏しい想像力では、どうしてもその姿が浮かんでこなかった。

質疑応答も終わり、先輩たちは、先生に礼を言って、教室を立ち去った。少年にとっては、妙な演劇でも見てるようだったし、しかし、あれだけきちんとした?振る舞いをして帰っていった先輩も大したもんだとも見直しもしていた。

同級生のなかには、先輩の話に感動した連中もいて、少年が同じ卓球部と知り、卓球部って優秀な先輩がいるんだなと話しかけてきた生徒も何人かいた。少年は、ああと黙ってほんの少しだけ頷くしかなかった。少年の眼はあらぬ方向をみて泳いでいた。

全斗委のふたりの先輩を卓球場で見かけることはなくなった。たまに、校内で仲間たちと話していたり、ゲバ棒を持ち出して、後輩たち相手に武闘訓練をするのを見かけるぐらいだったが、少年は、その先輩たちに声を掛けられないように用心していた。

014

やがて、年も明け、建国記念日の前日にあった中庭での生徒主催の集会がひとつの発端となり、少年の知らないところでいろいろ議論はあったようだが、学校側、生徒協議会側に加えて、統一実行委員会(全斗委が主体となってできた紀元節粉砕闘争委員会)が共催となって、学校内の授業改革や政治活動も含む表現活動について、学校長から教職員、中学高校の生徒全員が討議する全校集会が講堂で開かれた。

全校集会の開催期間は、授業も全て休止となる、丘の上の学校創立以来の画期的なできごとだった。今から思うと、これは、前年度から新しく就任した校長によるところも大きかったかもしれない。新校長は、公共放送の解説委員からの転身で、社会の変動に対する広い視野もあっただろうし、全国各地で行われているバリケード封鎖による学生たちの訴えからの影響が、丘の上の学校にも波及してきそうなことを察知し、バリケードを介在した暴力的な関係に陥る前に、全校集会という形で対話するという選択をしたのかもしれなかった。

少年も多くの生徒たちと同じように、よくわからないままに、この全校集会に参加していた、というよりは、見物していた。
自分の意見が独りよがりにならぬように、大きな理論やその裏付けに寄ったり、考え抜いた思考の成果を仲間との会話で揉んだうえで意見を交わしあう先輩たちの姿勢や熱心にメモを取りながら、生徒たちの意見に向かってゆく先生たちの真摯な姿を間近に見て学ぶことは多かった。全斗委の先輩たちがこの対話集会をどう受けとめていたかは知らないが、この対話集会にその存在が飲み込まれていたことは確かだった。

限られた時間の中の濃密な討議の末に、学校、教職員、生徒たちの合意が何とか形成され、集会は幕を閉じた。

015

程なく、期末試験も終わり、少年たちの中学生時代は終わりを迎えた。

教室のレイアウト変えたりなどのいたずらをしたり、授業中にバカ騒ぎをしたり、全校集会の前後は意見の違いを押し通そうとしたりと、さんざん担任に迷惑をかけた少年たちは、終業式の日に、数人でかたらって謝りにいった。

少年たちの神妙で滑稽な謝罪を聞くと担任は、黙って上半身を曲げて顔を机に近づけた。少年たちは担任が何か謝っているのか、拝んでいるのかと思った。

担任は、腕をあげ、人差し指で、自分の髪に幾つもある白髪の固まりをひとつひとつ指しながら、ここは君だな、こっちは君だよと、少年たちの名前を一人づつあげていった。

一通り終わると顔を上げ、この一年で白髪がぐんと増えたと妻に言われてるんで、今のように、この白髪は生徒のだれそれ、こっちの白髪は生徒のだれそれと説明してるもんだから、白髪にも夫婦ですっかり慣れたよ。まぁ、髪の毛ぜんぶが白髪になる前に君たちとはお別れとなったわけだ。まだ、白と黒の境界があるうちで良かったんだろうな。一応、妻はホッとしてんのかなぁ、どうだろうねぇ。

持て余し気味ではあったが親しくなった宿泊客を送り出すときの民宿の主のような名残惜しそうな笑い顔がそこにはあった。山小屋のオヤジが登山者を早朝に送り出すときに言う、頂上まで元気で行って来いよという激励も、少年たちにははっきりと聞こえていた。

【了】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?