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「男っぽさ」の研究 ー 孔子の「天命」について  【転石庵茫々録】

ノース

横山秀夫「ノースライト」の前作「64」は、一気に読み込むほどの面白さで、その後のTVドラマ化、映画化にあたっては、タフな主役をそろえ、見ごたえのある出来になっていたのが何とも楽しかった。
「ノースライト」は、「64」や今までの得意分野である警察小説ではなく、初老の建築士を主人公に、建築士が華々しく活躍したバブル時とその後の衰退という背景をじっくりとリアルに描きながら、主人公の生涯の自信作であった住宅に依頼者が住まなかったことの謎解きを主軸に、初老の主人公のバブルの崩壊とともに壊れた家庭生活、特に一人娘との関係のこれからへの不安、建築家としての自負の行方を丁寧に描いた小説となっている。

「64」での日本の組織特有の密閉された中での権力闘争にかかわる男性社会の情念のやりとりをみごとに描いた構図に比べると家庭小説に収斂してゆく今作は、男っぽさの点では、不満が残るかもしれない。

しかし、主人公が友人の建築士とかわす対話の中にある、「死ぬ前に戻ってみたい建物を設計したことがあるか。」という言葉は小説の中でも重いモチーフとなっており、そこには、仕事への自負を仕事の上でしっかりと残してきたかという、かつては男たちが密かに熱くかわしあっていたパトスの残像が少し見えているような気がした。

このパトスの根っこにあるのは、アンシャンレジームの用語をあえて使えば、「天命」ともいえる仕事をしたか、だろう。
孔子は、「五十にして天命を知る」という有名な言葉を残している。これは、「論語」の「為政編」にある言葉で、十有五にして学を志にはじまり、七十まで続くので、孔子自身がなくなる直前に発した回顧的な内容であることがわかる。

凡そ、男子たるもの、この言葉群に引っかからなかったものはいなかった時代があったのか、そういう人種というかグループがあったのか、ともかく少なくはない男たちの口に膾炙していたことは事実だ。

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井上靖の散文詩が好きで、ときどき散見しているが、詩集「星欄干」にある「黄河」という詩で、孔子が黄河のほとりで具体的事実としての自身の「天命」を実感するという話を書いているのをたまたま発見した。

58歳の時に亡命先の衞から黄河を渡り、晋へのさらなる亡命を試みるも受け入れる賢者2名が急死し、黄河のほとりまできたものの渡れず、今まさに黄河を渡れないということは、これ即ち天命としか言えないと感嘆したと史記にあるそうで、これは孔子58歳のことであった、と。すなわち、50歳にして天命を知った孔子は、58歳にして天命の具体的事実に行き当たったのだろうという散文詩だった。

そうか、50歳で知って、58歳で実感したか、という事実をどう受け取るかは、人によってそれぞれであるにしても、あの孔子にしても知ることとその知ったことを改めて実感することがあったのだと思うと、孔子という人の知らなかった一面を感じるような何かしみじみとする人間的なエピソードである気がした。

井上靖は、この黄河の辺に実際にたたずんでみたということだった。

そういえば、敬愛するかの白川静先生は「孔子伝」で同じシーンをどう語っているのかと気になり、さっそく紐解けば・・・孔子伝

さすが、白川先生で、「史記」での孔子の亡命放浪は、都合の良いようにてんこ盛りで、信用できないと、まずは、亡命放浪のエピソード群を一刀両断。

だいたい、司馬遷は、すでに漢の御用学となった儒教が大嫌いで、史記の孔子伝も親子2代の史記を完成するために、孔子を諸家百家よりも一段高い列侯篇にいやいや載せた趣があるぐらいで、はいはいと言って書いたに過ぎないだろうとのこと。

さらに、春秋やその他の史書から、先生独自の分析で、孔子の伝記を再構成すると、同エピソードは、孔子68歳、南の諸国にまで至る長い亡命生活からいよいよ魯の国に帰る途上、衛にある黄河のほとりを訪れた孔子が、黄河を渡り晋へ亡命することをはたせなかった昔を思い出し、感嘆したものだった、と。「子、川上にありて曰く、逝くものはかくの如きか」も同じ時のことばとか。

井上靖も白川先生も、この長い亡命生活が孔子の思想の晩年の稔りをもたらしたと続けているが、「天命」に思いを馳せるエピソードは、長い亡命生活の端緒である58歳のプロローグ的な位置から、10年後68歳でのエピローグ的位置づけになってしまっている。

そこで、天命を知るについてもう一度考えれば、天に命じられたことをもつ選ばれた人という自負と天の命令によりいやおうもなく選択せねばならない諦観の両面があることこそを孔子は思い深く回顧していたのではないだろうか、と思うのであるが、どうだろう。

かつての男たちがパトスをささげた「天命」は、前者ではあるが、人生の長い経験の後に、ふと、後者の「天命」について思いを馳せる瞬間がどのような人にもあるのかもしれない。

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