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今や忘れられかけている戦争のむごさ

吉行淳之介は、重さよりも、軽さを選んだ作家だった。1970年代にベストセラーになった随筆集『軽薄のすすめ』で、重厚さを「一も二もなく良し」とするような風潮に、苦言を呈した。「必要なのは重々しいコワモテ風の姿勢ではなくて、鋭い軽薄さである」

それから半世紀が過ぎた。人気作家が「カラカイと皮肉」を込めて発したという問いかけをいま、反芻してみる。この軽薄さに満ちた人の世で、あえて彼が重厚さを嗤ったのは、どうしてか。

吉行は敗戦の1年前の夏、徴兵されている。20歳の学生だった。甲種合格の現役兵として、最前線に送られるのは間違いなかった。ところが、入管3日目に喘息がみつかる。

急きょ除隊が許され、当然のように目の前にあった死が、パッと消えた。戦時下、人ひとりの生き死には、しごく軽く扱われる。やたら軍という権威がのさばる社会は重苦しく、硬直していた。彼はそれを滑稽な重さと表現した。

かっこいい作家だった。軽妙洒脱でありながら、しっとりとして文章を書いた。三島由紀夫を評した「あれじゃ、疲れるだろうなあ」との一言にはうならされる。自分は「威勢のよい根性」ではなく、「ぐにゃぐにゃ根性」だと言っていた。

きょう生誕100年。日に焼けて黄ばんだ文庫本を本棚から取り出し、ひとりページをめくる。いま読まれる作家でいのかもしれないけれど、時代がかった物言いが勇ましく聞こえてくる昨今、その肩の力のぬき方が、妙に気になる。

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