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世界の屋根 ヒマラヤの麓 ネパールの旅 2



カトマンズからポカラへ


カトマンズでの快適な過ごし方か少しわかりかけてきたおれは旅人のオアシス、ポカラという町に向かうことにした。

前の日に旅行代理店で買った(700か800ルピー(700円か800円くらい)だったと思う)バスチケットをポケットに入れて、宿をチェックアウトしたのは朝5時30過ぎ。辺りはまだ暗かった。
早起きのプレッシャーなのか、ほとんど寝ていないまま迎えた朝。

ポカラ行きのバスはタメルの端っこのバス停を6時30発だった。
昨日チケットを買った店で6時に待ち合わせて、店のおにいさんにバス停まで送ってもらうことになっていた。
店まで歩く途中、真っ暗の町にぽつんと1軒だけ灯りがついていたチヤ屋台で熱いチヤを飲んだ。
やっぱり寒いネパールの朝にはマサラの効いた熱いチヤだ。

6時に旅行代理店の前まで行ったけどまだシャッターも空いてなかった。
このままバスの時間までシャッターが開かないことも考えられたけど、バス停の場所も聞いてないし、待つしかなかった。

しばらくすると店のおばさんがきて、シャッターを開け始めたので事情を話すも、おばさんには英語があまり伝わらなかった。
6時15分を過ぎて、もういいかげん自分で探してバス停を目指そうかと思っていたころ、
やっと店のおにいさんが歩いてやってきた。
もちろん悪びれる様子もなく、爽やか笑顔で「おはよう!」と言ってきた。

日本と比べて、時間にルーズなネパールでは、こんなの遅刻には入らないんだろう。
そのまま着いてこいと言われるまま2人で歩く。
送ってあげるからと言われていたから、勝手にバイクか車だと思い込んでいた。
10分も歩いたらバス停に着いた。バスはもう来ていてそのまま乗り込んだ。
座席は通路を挟んで2席ずつ。
窓側にネパール人のおばあちゃん、その隣の通路側がおれの席。
そして通路を挟んで反対側にはおばさんと赤ちゃんが座っていた。
雰囲気的におばあちゃんとおばさんはどうやら親子っぽい。
おれはその恐らく親子3代に挟まれた。

出発してしばらくは色んなポイントに止まって人をピックアップしていく。
みるみるうちにバスは満席になった。
ツーリストバスとは名ばかりで、乗客のほとんどはネパールの日常っぽい人たち。
実質ローカルバスみたいなものだった。

どんな国でもおばさんという生き物はパワフルで、おれを挟んでいることなんて気にも留めずに、すごい大声で会話している。
おばさんから手のひらに直に乗せたボロボロのポテトチップスがおれの目の前でおばあちゃんに手渡しされ、予想通り大量のカスカスがおれの太ももの上に散らばった。
寝不足の朝っぱらからローカルの洗礼。

おばあちゃんに「席替わろうか?」というジェスチャーをしたけど普通に断られ、おれの目の前を大きな声と、お菓子や赤ちゃんが飛び交っている。
これこそネパールのローカルバス。
そんなことは気にならない。
そんなことよりも、とにかく眠くてしょうがなかった。

クネクネとした山道をひたすら走る。
細い山道はずっと横が崖で、崖にはガードレールなんかはほとんどない。(夜走るローカルバスとかはしょっちゅう崖から落ちるらしい)
道もとにかく悪く、ぎゅうぎゅうのバスはひたすらにホッピング。
そして車窓はひたすらに山道。

体が浮きまくる揺れ。砂埃。おばさんたちの大声での会話。
ここはネパール。悪くないドライブ。 


ダルバートタルカリ。200ルピーで食べ放題。


途中の古びた食堂でみんなで食べたダルバート。ネパールの定番ご飯。
好きなおかず(タルカリ)を好きなだけ取って大皿に乗せる。インドのターリーみたいな庶民カリー的なスパイスの煮物。米(バート)、ダル(豆のスープ)、アチャール(漬物)、チョーメン(焼きそば)、パパド(スナック)的なもの。ノンベジを選んだからメインのカリーはチキン。
だいたいどこでもこんなんで200円くらい。それにおかわり自由(少なくなってくると店員がよそいにくる)なので味も含めてとても素晴らしい。


湖とアルプスの町 ポカラ

たどり着いたらポカラは雨降り


カトマンズからバスで7時間くらい。
カトマンズからポカラまでは距離にするとたった200kmくらい。
とにかくずっと道の悪い山道だから時間がかかる。


たどり着いたポカラは雨だった。
バスを降りようとすると、下には沼の中のワニみたいに、たくさんの逆引きが獲物を狙っていて、案の定、一歩バスを降りると同時に一気にもみくちゃにされた。
適当にあしらって、預けていた荷物を待っている間に日本語を話す客引きがしつこく話かけてくる。

「日本人デスカ?宿キマッテマスカ?」
「決まってるよ」
「ドコ?1泊イクラ?」
「何で?1泊900ルピー(900円)くらいだったかな」
「ボクノホテルヤスイヨー。1泊500ルピー(500円)ネ。ホットシャワーアルシ部屋キレイ。日本人もイッパイイルヨ。今カラデモソノ宿キャンセルデキルヨ。私頼ンデアゲル。ソレデ私ノホテル泊マル。オーケー?」

めんどくささ全開の奴だ。
「いや日本人別に会いたくないし、宿取ってるからおれはそこにいくよ」
「ジャア車デ送ルヨ。200ルピー(200円)」
「高い。100ルピー(100円)にして。」
「100ルピーダッタラバイクネ。オーケー?」
という感じでそいつのバイクの後ろに乗ってホテルまで。
タクシー拾う手間が省けた。

町に向かう途中でもひたすら「部屋ミルダケミテッテ」とそいつのホテルに連れて行かれそうになりながら、
「ジャアソノホテル、チェックアウトシテ、マダポカラニ居ルナラ、私ノホテル泊マッテ。マズ今日カ明日ゼッタイホテルニ遊ビ来テ。部屋モミテ。カフェモアルカラ。ヤクソク。」という強引な約束を取り付けようとしてくるから「約束はできない。もし気が向いたら。」の一点張りでなんとか彼を納得させて、名刺だけもらって、無事予約していたホテルにチェックイン。  


晴れた日には町からヒマラヤが見える。マチャプチャレ。電線が残念。


結局ポカラには5日間くらいいた。
ポカラはのんびりとした湖畔の町。周りにはヒマラヤ。8000メートル級の山々、アンナプルナ山郡の麓。

町の中心、フェワレイクのレイクサイドは少し栄えていて、レストランやバー、トレッキング用品店なんかが並んでいる。不便はない。
そんなレイクサイドエリアで過ごしていた。
涼しくてスローでヨーロッパの田舎町みたいなフィーリングがある。

最初2日間はずっと雨が降っていたので、バックパッカーの聖地ポカラらしい沈没生活を送っていた。
ホテルのブレックファースト終了のギリギリの時間に起き出して、湖の見渡せるホテルの屋上でブレックファーストを食べる。
食べ物を狙うカラスと睨めっこしながらトーストをかじる。  

ホテルの屋上から見るフェワレイク




それから、しばらく部屋でだらだらして、レイクサイドを散歩しに出る。
なんとなく布屋や服屋、雑貨屋を眺めつつ、
カフェでチャイやラッシーを飲みながら本を読んだり、のんびり。
部屋に帰ってだらだら。
夕方くらいに出て行って湖のガートでサンセット、それから良さそうな店でごはん。
安いカフェバーとかのハッピーアワーでビール飲む。
お菓子とか買って部屋帰ってだらだらして寝る。
みたいな生活。
そんなベタな沈没生活。東京でやっても退廃的なだけだけど、周りに山や湖のあるのんびりとした町で過ごす沈没はどこか爽やかで気持ちがいい。


2軒目に泊まっていた宿の下に、ヒマラヤンジャワコーヒー(ネパールのスターバックスみたいなカフェ)の研修店舗があって、そこでふと飲んだコーヒーがめちゃくちゃ美味しくてそれから毎日通った。
ネパールはチヤだと思ってたけど、ヒマラヤのコーヒーは最高だった。

晴れた日にはレンタルサイクルでちょっと遠くまでいってみる。
1時間100ルピー(100円くらい)で借りた自転車はサドルが調節できないうえにチェーンもガタガタに噛み合ってるしタイヤはペシュペシュ。
まあ走れないことはないし、なんとなく気持ちはいいけど、すぐに疲れるし思ったより遠くまでは行けず。
モーターサイクルにしておけばよかったとすこし後悔した。  

レイクサイドには洒落たカフェが多い



山の頂上からぶっ飛ぶ


ポカラはヒマラヤへの玄関口でトレッキングのツアーなんかがたくさんあったけど、そんな大掛かりなことはする気はなかった。
ただ山に囲まれたポカラにいざ来てみると、なんだか山を感じでみたくなった。
そんな時にふと思い出したのが、町中にたくさんあるツアーオフィスの看板でトレッキングと同じくらい目にしたパラグライディングのイラスト。

最初の宿から引っ越して、次に泊まっていた宿の1階にはパラグライディング専門のツアーオフィスがあったこともあって、勢いとその場のノリで翌日のツアーの申し込みをした。


朝9時にツアーオフィスに集合して、小さいバンに荷物が積み込まれ出発。

参加者はおれの他に中国人のカップルとフィンランド人の女の子。
カップルの彼女は、いつもそんな感じなのかわからないけどめちゃくちゃしかめ面で喧々してる。彼氏に無理矢理連れてこられたのか、でも彼氏も覇気もなくあんまり楽しそうな感じじゃない。
ただしばらく見ていると、きっと普段から2人はこんなノリなんだろう。

フィンランドの女の子は、たぶん20歳前だろう。アジアを旅する欧米人らしく、はっちゃけるとかいうわけでもなく、熱心にアクティブな感じで一人旅をしている人だ。

それにタンデムしてくれる人が同じ数乗っている。普通に現地のお兄さんたちだ。

馬力のない車で1時間弱、レイクサイドのすぐ近くのサランコットという山をぐんぐん登っていく。

運転手が仕切り、ひとしきりみんなの適当なお喋りが終わると、そこからはずっと静かなドライブ。
ただカップルの女の子がなぜか電話で怒鳴る声だけが車内に響く。
中国語の罵声。視界にはヒマラヤ。シュール。

サランコットの標高は1600メートルくらい。
8000メートル級の山々を擁するネパールでは、1600メートルくらいだと、山という概念ではなく丘、という認識らしい。
こっちの感覚からしたらぜんぜん立派な山だ。

ポカラの町は800メートルらしいので、800メートルの高さをパラシュートで落下することになる。
頂上あたりで車を降りると、パラグライディングのスポットがあって、たくさんのツアー会社のチームが順番を待ってる。
誰から飛ぶかという話になって、おれは日本人らしくみんなの様子を伺っていたら、気がつくと最後に飛ぶことになった。


たくさんのツアーできた人たちが次々に飛び立っていく


全員が空に飛び立って行くのを見守って、ついにおれの順番が来るとずいぶんと簡単な器具を手早く体につけられた。
パラグライディングなんてしようと思ったこともなかったから想像したこともなかったけど、実際に見てみると思ったよりもかなり簡素なものだと思った。
タンデムのおっさんから「おれが歩けと言ったら歩いて、走れといったら走れ。」
とだけ指示をされて、言われるがままにテイクオフ。

遥か下にポカラの町が見える


気がついたら空の上。
目の前には山々、下には湖と、その畔にさっきまで過ごしていた町が見える。
想像していたよりのんびり大きく蛇行しながら下っていく。
トンビかなにか、1メートルは余裕であるような鳥の群れがおれの足のすぐ下をすごいスピードで飛んでいる。


20分か30分くらいかけてフェワレイクのすぐ横の空き地に着陸。


のんびりと空を遊覧した。
トレッキングよりも断然こっちのほうがおれは好きだと思う。
とはいえ、もちろん飛ぶ予定もなかったしおれはアクティビティに興じるガラでもない。
ただこの町で過ごしているうちにその気になった。
ポカラの町が、山がおれを飛ばせたんだろう。

フェワレイクのトワイライト


基本的にはなにも決めずに、その日の天気や気分でサイクリングしたり、パラグライディングしたりして、好きな店で好きなものを食べて(ポカラの日本食は今までの海外でトップクラスに美味しかった)、夕暮れ時には湖畔まで行って、のんびりと湖と山々を眺めてサンセットを過ごすのが日課だった。
そんなスタイルでのんびりと過ごすのにこんなに向いている町もなかなかない。
5日間いたけど足りないくらい。

ただ、大空をゆらゆらと翔けつつ、山と町を一望するという旅のハイライトらしいことをしたことでだいぶ気が済んだところもあって、少し後ろ髪を引かれながらも、カトマンズへ戻ることにした。


湖畔はみんなの憩いの場


Back To カトマンズ


帰りも来た道を同じ時間かけて帰る。
相変わらずバスは揺れまくりで現地の人も吐いたりしてたけど、それよりおれは隣の席のギャルのキツい香水の匂いですこし気持ち悪かった。

途中の休憩所で何の気無しにみかんを買ったら
30ルピーくらいで大量のみかんが買えてしまって、思いがけない大荷物になった。

ポカラから戻ってきたカトマンズはやっぱり都会


カトマンズに帰ってくると町の喧騒と空気の悪さに圧倒された。
バンコクからカトマンズに来た時は感じなかったことだ。
それと同時にポカラの空気のよさを実感した。



ただカトマンズもそれはそれで居心地もよく、ポカラから帰ってきたおれには、都会だしなんでもあって快適。
前に見つけためちゃ美味のラッシー屋も、ヒマラヤンコーヒーが美味しくて居心地のいいカフェも、チャイナタウンで200円くらいで食べられる本格チャーハンの店も毎日の生活のルートになっていた。

夕方の市場の喧騒。お気に入りのカフェ。いつもの中華屋。ライブバーで飲むビール。宿のおばさんとの談笑。

最後の3日くらい、そんな感じの生活があっという間に過ぎていった。 



そんなリズムでネパールを10日間旅して、バンコクに戻って2日間。
上着をバッグの奥にしまい込み、ただのんびりと過ごして東京に帰った。

バンコクにいたタイミングはちょうどチャイニーズニューイヤーの直前で街は赤に染まっていた。
思い返すと、去年のチャイニーズニューイヤーもマレーシアからタイに入った頃に迎えたんだった。
ネパールから帰ってきたバンコクの街はびっくりするほど都会だった。
やっぱりネパールのカオスは東南アジアのカオスとは違った。
一括りにはできないけど、ネパールにはやっぱり初めて旅をしたインドを思い出す空気感や匂い、光景がたくさんあった。
ただ、インドのようなギラギラとしたエネルギーみたいなものはあまりなく、もちろん東京からカトマンズにくるとそのエネルギーには圧倒されるけど、ベースはのんびりとしているし、大きな街の暮らしの中にも、スローで素朴な東南アジアの田舎みたいな雰囲気があった。
それは山岳地帯、チベットの空気感なのかもしれない。

インドのような強烈な異国感と東南アジアのようなどこか身近な空気感が混在しているような感じが絶妙に居心地が良かった。 

カトマンズもポカラものんびりとした雰囲気と利便性が同居していて、じわじわと物価が上がってきているアジアだけど、1000円も出せばそれなりのシングルルームに泊まれて、300円も出せば充分に美味しいご飯が食べられるネパールは、やっぱり旅人のオアシスなんだろう。

大昔のヨーロッパの若者が、ユーラシア大陸をオンボロバスで遥か遠く目指したネパール、カトマンズ。
その終点がインドでもタイでもなくネパール、カトマンズだったというのが足を運んでみるまでは、いまいちイメージができないでいた。
リゾートというのとも違う、海もない国にある楽園というものを体験できた。
開発されていない旅人の町には、今でも旅を感じさせる風が吹いていた。


前編↓

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