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インドに呼ばれて 7
丸1週間沈没したバラナシを出て、デリーに帰る。久々の移動。最後の移動。
バラナシからデリー行きの列車は今まで乗った列車の中でも特に混んでいて、3人掛けの座席に6人ずつ座り、頭の上の寝台にも、足元の床にも人が寝転んでいるような状態だった。
もちろん本来、3人掛けのシートには3人分の切符しか売ってない訳だから車内にいるほとんどが無賃乗車だ。
いつも以上にカオスな列車はバラナシから13時間ちょっとかけてデリーに着いた。
デリーの外れ、ニザムディーン駅に降り立つとちょうどスコールが降ってきた。
この一ヶ月半の旅で雨が降ったのはこれで2回目。しかも1回目は1ヶ月以上前、デリーからアーグラーに向かうドライブの途中、ポツポツときた程度で、まともな雨はこれが初めてだ。
いくら乾季とはいってもこんなにも降らないものか。
スコールはどかどかと激しく降り数分でぴたりと止んだ。
リクシャーを捕まえてメインバザールまで。
すっかり定宿になったパヤルに戻る。
すっかり常連になったおれの顔を見て、宿のお兄ちゃんたちは「おかえり〜 ブッダガヤはどうだった?」という感じで迎え入れてくれた。
それから、ご飯食べに行ってもチャイを飲みに行ってもだいたい同じ店に入るので、みんな「しばらく顔を見なかったけど、どこに行ってたの?」という感じで、メインバザールはインドの旅でのおれの地元になっていた。
旅する中で面白いのは、旅という非日常の中に日常のルーティンができていくことだ。
もちろん一度きりの出会いも面白いけど、おれがいつも東京でしているようなこと、(例えば地元池袋ならジュンク堂に行って楽器屋に行って大勝軒でつけ麺を食べてベローチェでコーヒー飲むとか)を旅先のバージョンでつくっていくと
同じ道、同じ味、同じ顔と日常ができていく。
「Whare are you from?」の関係じゃなくなってからが居心地がいい。
デリーではいつも同じ宿に泊まって、朝ごはんはここ、カフェはここ、夜ごはんはここ、屋台はここ、と決まって毎日のように通う店がいくつかあった。
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メインバザール沿いのダイヤモンドレストラン
毎日バザールに面した外のテーブルでマサラチャイとコーヒーを交互に飲みながら入り浸った。
最初は、ここにオーダーを書けと渡された紙とペンもいつの間に渡されなくなっていた。
旅の最後に謎の病
日本に帰る前日の朝。
起きた途端に体が熱く重い。
これはがっつり熱が出ている。
熱が出るときは鼻か喉からくることがほとんどなんだけど、今回は全く予兆のない熱だ。
たぶんかなりの高熱だし、経験したことのないタイプの体調不良だけど、自分でも思ってもないくらい冷静だった。
これが旅の真っ只中ならもう少し不安になるかもしれない。
どんなことになっても明後日、なんとか日本に着いてしまえば何の心配もないと思っていた。
結局この日は近くの商店でフルーツやら水やら買い込んで丸一日ベッドで過ごした。
いつ寝たのかもわからないまま気がついたら朝だった。
昨日の夜はだいぶ熱が上がりきっていた感じがしたけど、今日はだいぶ体が楽になっていた。
インド最後の日なので、少し街をぶらぶらした。
まだ少し熱はありそうだけど、残された時間でできるだけインドの空気を吸いたかった。
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最後に観光らしいところ インディアゲート
夜になって、真新しい地下鉄で空港に向かう。
空港に着くと、1ヶ月半前にここに降り立った時と同じ匂いがした。
あの日のおれとはとにかくなにもかもが違う。
今までにこんなに大きく変化した1ヶ月半があっただろうか。
毎日とにかく早く帰りたいと思っていたし、なにも勝手がわからなかった。
まあ今も勝手がわかったということではないだろうけど、とにかく勝手がわからなくてもおれには "なんとかできる力" があるということがわかった。
どこに行ったって、今夜寝る場所も探し出して、ご飯を食べて、言葉はほとんど通じなくてもなんとなくコミュニケーションを取りながら面白おかしい生活ができる。
日本では起こらないようなトラブルの数々もだいたいのことはなんとかなる。
もうおれはどこにだって行けるだろう。
この国でそんな自信を手に入れた。
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一人旅について思ったこと
旅をしながらよく考えていたのは、"旅ってなんだろう"ってことだった。
まずそんなことを考えてながら旅をしている、ことがとても贅沢な気がしていたし、明確な言葉にならないだけで旅中の毎日の生活の中にその答えはビシバシと感じていた。
一人旅ってものは "自分探し"とかいう言葉がなくとなくセットになっていることもあって、なんとなくそんなマインドで旅を始めたけど、初めてまともな一人旅を終えてみて思うのは、旅は自分探しとは真逆で、常に"自分との旅"という感覚だった。
行きたい所に行く。面倒になれば行かない。
電車で向かう。バスで向かう。
ツアーを組む。何を食べる。どこに泊まる。いくらなら買う。
この人を信用する。しない。
全部自分で決めるということは、全部自分と相談する。
「これでいいと思う?」 「いや、こっちの方がおもしろくない?」みたいに友達と旅行するみたいなことを自分の中でやっていく。
それに綺麗なものを観ても、美味しいものを食べてもそれを共有するのは自分自身。
とにかく常に自分と旅をしている感じだ。
そして自分を知っていく。
"深夜特急" で沢木耕太郎さんが言っていた、「旅の道連れは自分自身」という言葉が、一人旅をリアルに体験した後のおれにはとても腑に落ちた。
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インドはサイテーでサイコーな国
インドはどんな国か、外の人、日本人のおれから観て。
まず、インドはサイテーでサイコーの国だった。
街は汚くて臭い。ご飯の衛生面、ボットン便所。
平気で嘘をつく奴ら、お金をふんだくろうとしてくる奴ら、とにかくしつこくうざい。
サイテーなところは少し考えればたくさん、具体的に挙げられる。
肝心のサイコーな所は言葉で明確には言えないことがほとんどだけど、旅をしているうちにサイテーな所もサイコーなフィーリングに変わってくる。
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とにかく生きていること丸出しにして暮らしていること。
ストレートにぶつけてくる人たちに接するということはこっちもストレートにぶつけていいということで、
嫌ならきっぱりと「嫌だ」
「こうしてくれ」みたいなことも、日本ではちょっと喧嘩っぽいニュアンスのことを、普通に言い合いながらも、いい関係を築いていく。
最初はやっぱり気を使っていくけど、慣れてくるとこれほど楽なことはない。
インドの居心地の良さ
インドという国のイメージはだいたい「汚い」「暑い」「ウザい」 「危ない」 「辛い」とかだろう。
そんなワードから居心地がいい、なんて真逆だと思ってた。
もちろん、ヒッピーは旅人がインドを旅しているうちに居着いてしまうみたいなことはよく聞くし知っていたけど、どこかリアルじゃないし、特殊な人の話だと思ってた。
おれも特殊な人側だと考えてしまったらそれまでなんだけど、
近代の日本、東京からインドに行くと日本の煩わしい部分から開放される風通しのよさがある。
日本では物理的なルールも細かく決められていて融通が効かないことがほとんどだし、みんなと違うことをしちゃいけないみたいな空気が強い。
インドではルールがテキトーだし、お願いすればだいたいのことはなんとかなったりする。
まず、ホテルの宿泊費が言い値で決まるとか、日本では考えられない。
煙草も基本的にどこでも吸えるけど、たまにホテルの部屋とか「No Smoking」となってたりする。だけどそれも、知らないふりして「部屋で吸っていい?」って聞くとほぼほぼ「ok」って返ってくる。
それと、道端で昼寝してようが、何食べてようが見向きもされない。
インドにはどこでなにしてようがOK、という空気がすごいから、みんなかなり好き勝手している。
極端に言えば駅のラッシュのど真ん中であぐらかいて座り込んでいても、東京ほどみんなたいして気に留めないと思う。
そんな包容力がとても居心地がいい。
物価
あと心地よさの大きな理由はここまであまり触れてこなかったけど、物価の安さだろう。
インドの物価は日本の物価に比べたらべらぼうに安い。
例えばホテル、おれはいつも安いゲストハウスに泊まっていたけど、ドミトリー(相部屋)じゃなく最低ラインとして個室に泊まってた。
もちろん町にもよるけど、だいたい500ルピー(800円くらい)も出せばボロくすぎず、わりといい部屋に泊まれる。ボロ宿でもドミトリーでもなんでもありだったら100ルピー(160円)とかかからあるだろう。
カレーを食べるのに50ルピー(80円)も出せば充分。お腹いっぱい食べられる。現地の日本食とかマクドナルドとかならその2倍から3倍くらい。
チャイが1杯5ルピー(8円)とか、瓶のジュースが15ルピー(24円)、サモサやらスナックは10ルピー(16円)くらい。現地の葉巻煙草なら20本入って10ルピー(16円)とかだ。
30ルピー(50円)も払えばモンキーバナナが房ごと買える。
例えば1日2000円の予算があれば、ゲストハウスに泊まって、3食食べてお菓子食べてチャイ飲んで映画を観て、とかしてもすこし持て余すくらいだし、切り詰めようと思えば1日1000円以下でも普通に生活できる。
予算に合わせて色んなスタイルで旅ができるのだ。
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カレーは裸足で食べる方が美味い
雑多な街も、喧騒も慣れてくるとどんどんと心地よくなる。
こっちがインドを受け入れていけばインドはどんどん魅力をみせてくれるように思う。
寺院や、ガートでは必ず靴も靴下も脱いで裸足で歩くことも、そのうちに躊躇うこともなくなって、むしろ裸足が気持ちよく感じる。
インドにきて数日で靴下をカバンの奥に仕舞い込んだまま結局最後まで履くことはなかった。
旅の最初の方で面倒みてもらったドライバーには、毎日決まって同じ店で食事をさせられてた。
メニューも見せてもらえないまま運ばれてくるカレーは辛いだけで大して美味しいものじゃなかった。
最初はぼったくられるんじゃないか、お腹壊すんじゃないか、と色々なことを考えながら食べていたし、勝手に持ってきた料理、テーブルに置いてある水を1口飲んだらしっかり伝票に書かれるぼったくりキャバクラみたいなやり口にもうんざりしていた。
いつの間にか、こっちも大雑把になって裸足にサンダル、Tシャツ1枚で旅をするようになって、勝手に空いている席に座って、黙って出てきたカレーをガツガツと食べるようになると格段に味が良くなる。
こっちがインドに寄り添っていくことがインドカレーの味を変えるのだ。
カレーの味が美味しく感じていくのに伴って旅も楽しめるようになってくる。
インドのカレーは靴下脱いで食べた方が100倍美味い。
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インドで感じた宗教観
インドを旅していて"宗教"を感じない日はない。
インドの人たちは必ず何かを信仰している。
インド人の頭の中に「無宗教」という概念は存在しない。
みんな必ず心には神がいるのだ。
ホテルに泊まる時や電車のチケットを買う時に書く紙には名前、年齢、国籍、の次くらいには必ず"Religion(宗教)"という欄があって、おれはいつも "No Religion"と書いていたけど、そうすると必ず驚かれる。
「信仰がなくてどうして暮らしていけるのか、なんで生きていくのか」
インドの人は口を揃えてそう言う。
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インド人の8割はヒンドゥー教徒、それからイスラム教、キリスト教、シク教、仏教、ジャイナ教と続く。
寺院はもちろん町の至る所に神様がいる。
町中にはヒンドゥー教の神様のモニュメントがあったりすることも多いし、よく道端に神棚がある。
レストランなんかにもだいたい神棚があるし、リクシャーやバイクにもみんな神様のグッズやステッカーが貼ってある。
町中で野良牛が幅を利かせているのも、町やレストラン単位で肉が食べれたり食べれなかったりするのも、食事でも握手でも右手を使うのもみんな宗教の影響。
川や湖があれば朝にはみんな沐浴をして、夕方の寺院はとにかくたくさんの人でごった返す。
そこに特別なことはなくて、日本での感覚よりも宗教が身近にあるように感じる。
町の至る所に神様がいるというのは、結構心地いいことだった。
やっぱり敬虔に信仰している国として、治安や秩序が保たれていそうな安心感がある。
もちろん犯罪を犯さないと暮らしていけないような身分の人もいるだろうけど、無宗教の世捨て人のような "なにしてくるかわからない感" はないような気がする。
そしてなによりインドの日常の中で見る、神に祈る人たちの姿は、なによりも美しいと思った。
タージマハルもラジャスターンの砂漠も、いざこの目で見るとうっとりしてしまうくらい美しかったけど、町の小さな寺院で祈る人たちの姿には敵わないものがあった。
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1ヶ月半のインドの旅を終えて、満身創痍で帰国したおれは、それから2週間、高熱に激しい倦怠感、今までにないようなレベルの下痢と戦った。
それに1ヶ月半、たまにちょこっと食べるチキンやマトン以外にまともな肉を食べてなかったせいで、体が肉や油を受け付けなくなっていてしばらくは牛肉なんかを食べると吐き気のする体になっていた。
そんな辛い日々も、インドのお土産ってことにしておこう。
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インドに呼ばれて 6 This is インド バラナシ編↓
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