さよなら○○号

https://note.com/tensei195/m/me19fd748c0a9


この記事は↑のマガジンにまとめています。

さてさて、全5回に渡ってお伝えしてきた○○号の嘆きの回顧録ですが、今回が最終回です。嫌になった理由は大きく分けて3つです。


①書けない時期が辛くなった

これまでの4回でも書いた様に、かなりのこだわりを持ってあれやこれやと書いているうちに、書けない時期も出てくるようになりました。それは叩かれたとかアンチが湧いたとか、そんな単純なものではなくて、目の前の事象と私の語彙力や表現力が上手く噛み合わなくなって、フォロワーの皆さんにが望んでいる(と私が勝手に決めつけていた)基準を超えるような文章が書けない時期が1週間くらい続くタイミングがありました。そうするとまためちゃくちゃ書けるようになって、またすぐに書けなくなる。書けない時には自分の中で「これは出せないな」と勝手にどんどん目の前の事象(ネタ)をボツにしていく日々でした。そうすると書ける時期も書くことがどんどん辛くなって「これは皆が読みたい文章かな」「言葉足らずになってないかな」等、たかがTwitter(されどTwitter)にとんでもない神経を擦り減らすようになっていきました。私にとって書くこと=生きることと何度も書いてきたように、書くことが当たり前になりすぎて、面倒くさくなり、苦痛になり書けば書くほど伸びていくフォロワーさんの数と反比例して納得できる文章が書けなくなり、やがて書くことが自傷行為のように感じるようになりました。
最後に扇風機×わらび餅を書いた時に、各メディアから沢山のお問い合わせがありました。これまでも述べてきたように、Twitterの中だけでの活動を求めてきた私にとって、メディアを全部断るのも辛くなっていました。

②粘着質なフォロワーの存在

ここは敢えてアッサリと書きますが、とんでもない人達がいました。それはブロックしても、また1ヶ月後にはまた新しい粘着さんが爆誕し粘着さん輪廻転生してんのかな?って心配になるくらい、悩まされていました。アンチはすぐにブロックするのですが、粘着さんは違います。最初はいいね→リプ及び全件いいね→全件リプ→DM→執拗なDMです。リプライ(所謂コメント欄)でも、やれフォローして欲しいだの、いいねが欲しいだの、DMは読んでくれたのか?だの皆に見えるところでやられるわけです。千と千尋の神隠しの湯婆婆のように「だーーーーーまーーーーーれーーーーーー💢」しながら、サラッと返信していましたが、流石に少しノイローゼ気味になっていました。DMでは「ファンだからプレゼントを送りたい」「何て呼んだらいい?」と聞いてきたおじさんもいました。「○○号様って呼べよ、馴れ馴れしいんだわ」と思いながら律儀に返信していました。今思えば、返信なんかシなければ良かったと思えるようになったのはアカウントを閉じる1ヶ月程前のことでした。

③凡ミス

書くのも恥ずかしいような凡ミスをやらかしてしまって、これがトリガーになりました。プライベートに影響が出ると早目に判断し「あ、もう閉じよう」と即決しました。


消すときも色々大変なことはありましたが、全く後悔はありません。強いて言えば自分の愛してきたツイート(作品)達が消えてしまったことくらいでしょうか。スクリーンショットの1つでも撮っておけばよかったなと思いながらも、導入したAmazon EchoのAmazon photoでそのスクショが流れたらと思うとゾッとするので、これで良かったのだと思っています。何度も言いますが後悔も未練も全くありません。約2年間、一生分の称賛と過剰な評価を頂きました。ご愛顧頂いた皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました!

○○号はもうTwitterにはいません。
これから何がやりたいのか今はまだ考えてもいませんが、何が求められるかより、何がやりたいかを優先していきたいと思っています。

またどこかインターネットの大海原でお会いできる日まで…お元気で!

○○号の嘆きでした!ありがと〜〜〜!