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我慢の抜け道

教育制度は多数を効率的に型へ押し込む手法なんだろう。それが現代に適応しているかは別として、僕らに良いとされている価値観の1つに”我慢”がある。この文化が辛い人、僕に向けたお話をお伝えします。

■いつから我慢が美徳になったんだろう

辛い事を耐え忍ぶこと。「飲みたい酒を―する」「殴り倒されて―にも立ち上がれなかった」。こらえて許すこと。

これが”我慢”の意味らしい。ちなみに「日本人は我慢強いか?」答えはYesであり、Noだと思う。

教育機関で僕らが求められてきたのは、何かを考える力じゃない。正解を記憶し、必要とされた時に回答することだった。

Aというモチーフに対して、Aを返すこと。とにかく期待された答えを、その場に適した答えを導くことで正解とされた。そこから外れた回答は、間違いかもしくは空気の読めない発言となった。

ここで戻って我慢の話をする。もし我慢が出来なければ、僕らは空気が読めないと、能力がないと認定される。

意味のわからない朝礼での気をつけも、最近話題になる謎の学校ローカルルールも思考停止の我慢が、それを見過ごしてきた。

■この同調圧力からの逃げ方

ここまで我慢を否定してきたけれど、何かを行う上で思考停止して量を追い求めるべき期間があるという理論には一理あると思う。

それでも我慢や努力なんて意識でやっていては、必要とされる量に達しないような気もするけど。

ただ、ここ日本で生きていれば「なんやこれ!」と思いつつも、この同調圧力に従わなければならないときもあると思う。臥薪嘗胆。タイミングを見計らって、クーデターを起こす。脳内でレジスタンスになる。

とはいえ、ここでは対処法を1つ。

ルールの中で怒られないギリギリを探ろう

反則っぽいんですけど、これ重要だと思っています。

理不尽な環境からは逃げろって言われるじゃないですか。だけど、そんなすぐすぐに逃げられるもんならそもそも悩む前に逃げてるわ!って話じゃないですか。

そこでおすすめなのが上記の方法。怒ってくるのは大体が上司だったり、なんとか長みたいな人で、規律を守ることをそのまた上長に任命されてるわけです。(そんなことお構い無しに脳死で正義を振りかざしてくる人もいますが)

彼らの許容範囲ギリギリを探しましょう。そもそもが、おかしなルールな事が多いので、全てきっかりと従うこと自体が狂っているので大丈夫です。

まずは逃げる。逃げられないのなら、既存のルール内でどのようにして楽に生きることができるかを探す。

人を殺したり、人のものを奪ったりしなければ、生きるのに大したルールなんてないわけですよ。大体は合理性のよくわかんないローカルルールで、そんなものに縛られている時間はもったいないと思いませんか。

そこでこの考え方。クーデターは出来なくとも、密かなレジスタンスになろう。

■今回の放送


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