『魔術師』が教えてくれたもの

あと数日で今年も終わり、だけれど
私個人的には正直なところ、それよりもあと数日で今年さいごの満月、という感じなのです。この1年に迎えた満月のどれよりもドキドキしています。
12/15新月にひいた『新月の問い』から、思いがけなく深い考察と体感を得ることになりました。もしかするとこれが今年最大のコペルニクス的転回かもしれないのです。

今回の新月でひいたカードは『魔術師』の正位置でした。

当初、私はこのカードから『覚悟はできましたか?』という問いをたてました。それほどにピシャリと『ハマった』感じがしたからです。
ツイキャスでTAZNさんから、この『新月の問い』というワークでは、YES/NOで答えられるようなものよりも満月まで深めていけるようなものがいいのでは、と教えていただきました。
そこで私があらためて立てた問いは、
『揃った材料をもとに、発信していきたい/伝えたいことはなんですか』というものでした。その前の新月でひいたのが『女教皇』だったこともあり、その時と比較することでしかわからない体感ですが 受信→発信という変化、TAZNさんからも「劇的な主体性についての変化が感じられますね!」とコメントいただきました。
このやりとりをさせていただく中で、ぽろっと『ホントはもうこのワークをやめようかと思っていた、でもやめないでよかった』というカミングアウトをしました。

TAZNさんからお返事がきてスッキリ。この一連のやりとりをニュースレターでご紹介くださいました。

しかし、この記事を拝読したあと、さらなる衝撃がやってきました。このカミングアウトは単に私が恥ずかしい思いをするだけのことになるかもしれない、私も誰も救われないかもしれない話なのですが、書かなければいけないような気がするのです。『しなければならないことなんて何もない』とか日頃思っているし言っているのに、天の邪鬼かもしれませんがゆるしてください。

TAZNさんのタロットサークルに参加を決め、この『新月の問い満月の答え』ワークに参加したのはたしか9月からです。最初の頃はがんばって絞りだして問いをやっとこさ立てる、、、でも私は初心者。カードに対する読み解きの甘さと未熟さと自信のなさ、そういったものから「まぁ、ツイキャスでTAZNさんが解説してくれるからいいか~」
と、
甘えた気持ちで(それが悪いというわけではないけど)
ズルい考えで(それが悪いというわけではないけど)
ちゃんと向き合っているとは到底言い難い、ちょっと(いやかなり)失礼な態度でいたところがあったように思うのです。TAZNさんにも、タロットにも。今、このことに気づいてものすごく恥ずかしい。

このワークの深淵さが腹落ちしてなかったというのもあるかもしれないけれど、
自分のことなのに、問いさえもTAZNさんに「立ててもらおう」と思ってるようなところがどこかになかったか。
こういう問いを立ててみるのはどうですか?とヒントをもらう。それに対して『いいえ、私は自分で立てた問いかけから満月の答えを待ちます』あるいは『いただいたヒントを私は今回の問いとして立てます』ときちんと決める。(心の中ででも宣言する。)これを、もしかしたらしてこなかったのかもしれないのです。数日かかるときもあっていい、けっきょく満月までずっと考えつづけることになるかもしれないけど(しんどいけど)それでいいんだと思えたのです。まったく同じデッキの、同じカードが出たとしても、問いはその人その人で違うはずなのです。きっと、今回の魔術師をひいたことで、私は はじめて自分で問いを立てたのです。主体的に

だから、気づけたんだと思うのです。TAZNさんのかけてくださった「劇的な主体性についての変化」という言葉、これの重みを感じられるのです。これまで、どこか他人事のようにフラフラとしていたんだと思うのです。

そうです、もはやタロット以前の問題です。生き方の問題です。立ち位置の問題です。でも、いいとか悪いとかの話じゃないのです。ただ、寄りかかりや依存があったんだっていうことに気づけたのです。

実はこの『主体性』というキーワードはこの半年間ほどずっと、自分のなかに横たわるようにして沈んでいたテーマだったのです。自分以外の人を見て、「もっと主体性をもてばいいのに」とか「言われたから言われたとおりにするってなんか主体的じゃないよね」とか、勝手なことを思っていた私がいちばん主体的じゃなかった。この三次元にあっては対がないと自分がわからない、まさに2→1の劇的な変化。もう、書けば書くほどまとまらないけど、この女教皇から魔術師への旅は2020年を総まくりするような、嵐のような体験でした。

12/30の満月で、私はいったいどんな答えに出会うのだろう。

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