底を打つ

底を打つ、という表現があります。今の私はまさにここらへんにいる気がする。これ以上には下がりようがありませんよという地点。蠍座新月のタイミングで依頼した『宇宙お告げ』にもそのようにあって、これはどう足掻いても仕方のないことだといい意味で諦めがついたところです。やけっぱちになるのではなく、しずかにそれを受け入れること。いま、この時期にしかできないことがあると認めること。

運気の巡り、流れでいうと今は大きなアクションを起こす(のにふさわしい)ときではありませんでした。それでも仕事を辞めるという決断は、このことだけは譲れないと思いました。次に何をどう展開していくかということよりも、自分が身を置く場所をここから移したい、それはもはや自分を救出するレベルで必要なことだと思いました。

どこにいても、ままならないことはあると思います。もしかするとそんなこと考える必要もないぐらいぴったりな場所というのがあるのかもしれないけれど、体感としてはぴったり沿う場所に出会えた感覚がほとんどありません。比較的、無理をしないでいられると感じた場所、ここにいたいなあと思う職場は、なぜか続けることができない事由が発生して離れることになる。

ゆっくりと学びを続けてきたおかげで、ぜんぜん別の方向から伸びていたもの同士がスルッと繋がって突然に『わかる』ような体験が続いています。ひとつひとつはささやかなものですが、これは続けてきたからこその感覚であって、今それらがつながって私の中で『わかった』に至ったことに意味がある、そう思います。

劇的なことで毎日が満たされる必要はなく(それだと今はちょっとしんどい)、日々をつつがなく過ごせることはありがたいことです。劇的な毎日を体験したこともあったけれど、それは自分が意図したものではなく、やってきたものでした。
そうした体験はあとから振り返ってみると自分をサポートしてくれているご先祖さまや、大いなる存在といった、大げさではなく宇宙レベルの『計らい』だったように感じます。

記憶が残り、知識がついてしまうと、それを期待する、みみっちい自分が出てきます。あの時は助けてくれたよね。そろそろやってきてくれてもいいんじゃないかな。

誕生日が近づくと『いなくなりたい』気持ちがやってくると書いたことがありますが、やはりこの時期はそれがヒタヒタと忍び寄ってくる。消えたい、でもなければ死にたい、でもないのでその点はご安心いただいて大丈夫なのですが、このざわめきはどうしようもない。

浮かび上がるために今、底のあたりにいるのだとしたら
底をどれだけの力で蹴れるか、は
生きたいと思う気持ちがどれくらいあるか、によるような気がします。




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