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人生最終盤を社会でどう支えるかを考えたい。死に関すること、介護のことなどをテーマにした文書をまとめます。
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#安楽死

「正しさ・正義」の危うさ感じる ALS患者嘱託殺人事件

「ALS女性患者安楽死」事件と呼ばれるようになるのだろうか。京都のALS患者を、宮城と東京の医師2人が殺害した嘱託殺人事件のことだ。この事件には医師の傲慢さと共に、やり方もあまりに乱暴な印象を受ける。殺されたのがALS患者で、殺害したのが医師であるというだけで、SNS上での自殺幇助依頼に対して見も知らぬ他人が報酬と引き換えに引き受けて実行した、これまでにもあった殺人事件と本質はなんら変わらないように思う。だが、安楽死の問題としてメディアでは論じられるだろう。安楽死に関して思う

「命の選別」発言 優生思想の恐ろしさに対する想像力がない

れいわ新選組・大西つねき氏の発言に驚いた。発言の全文を荻上チキさんが文字起こしまでしてくれたので読んだ。 内容は端的に言えば、高齢者を「死にゆくままにせよ。介護も医療も無駄だから。それが社会のためだから」と言っているようにしか読み取れない。それを政治家になろうとする者が平然と口にする。つまり、政治によって、権力によって社会をつくりたいと考えている人物が、だ。 想像力や共感力の欠如に愕然とする。この発言に賛同する人たちに対しても同様だ。なぜ、そんなに簡単にいのちを切り捨てら

安楽死の未来を描いた漫画 荒唐無稽と笑えますか?

ネットで話題になっているようですね、この「デスハラ」という漫画。積極的安楽死が社会的な制度として導入されれば、想像できる流れの一つがまさにこれです。すでに、こうしたニュアンスのことを事実上おこなっている医療関係者もいるように感じます。私には、とても荒唐無稽と笑える内容ではありません。でも、きっと、これでもたぶん「自己決定」っていうに違いないのですから。「空気」は怖い。 #安楽死 #デスハラ #自己決定 #死

安楽死に関するNHK番組 それでも制度としての導入には慎重であるべきだ

NHKが放映した「彼女は安楽死を選んだ」が話題になっている。重い神経難病を患った50代の女性が、安楽死するためにスイスに渡り、実際に処方された薬物を投与することで安楽死するまでを撮影したドキュメンタリーだ。この番組へのネット上の反応を見ると、自己決定による「死ぬ権利」を認め、日本でも積極的安楽死ができるようにするべきだという意見が目立つ。自己決定権を重んじるということのようだ。だが、性急な議論の展開には慎重であるべきだと私は思っている。 番組の意図は議論の喚起か 日本では積

疾患があっても医療や介護を支えとして症状を緩和し、人生を前向きに歩いて行く力が「健康」

「健康」の概念について興味深い論考を拝見した。『安楽死・尊厳死の現在』(松田純著、中公新書)。健康概念以外にも様々な気づきがある本なのだが、自分自身が最近、健康についてぼんやりと考えていたことがまさに字になっていた。そもそも人は関係性の中で生きる存在であり、自己決定が万能という考え方に私は以前から違和感を感じ、反対を表明していた。それが健康概念とのからみで肚落ちしたのが今回の論考だ。 WHO憲章は健康を「身体的・心理的・社会的に完全に良い状態」と定義している。「社会的」が入

最期の迎え方 難しいよね、悩むっきゃないよね

映画「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」を観た。認知症の母親と暮らす映画監督・関口祐加さんが自身の生活を撮っているドキュメンタリー連作の第3作目。今回は、関口さん自身が股関節手術で入院することになり、そこで出会った患者の死を一つの契機として、緩和ケアやスイスの自死幇助などを取材。最期の迎え方とは? について考える内容となった。何が結論というわけでもなく、「難しいねえ。悩むっきゃないよね」という感じでダラダラっと終わる。こう書くと暗い映画、しょうもない映画のようだが、なにせ

安楽死「滑りやすい坂」と自己決定

安楽死を2002年、世界で最初に合法化したオランダで、「生きるのに疲れた」といった、健康上の問題はない高齢者にまで安楽死の適用範囲を広げようとする政府の提案が議論になっているという。さすがに、医師会からも強い反対意見が出ているようだが、この問題を巡る「滑りやすい坂」についてあらためて考えさせられる。 滑りやすい坂とは、一度そこに足を踏み入れて滑ってしまうと、どこまでも止まらなくなる危険性を指す言葉だ。オランダやベルギーといった「安楽死先進国」での法の適用範囲は当初、治療方法