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感嘆符の五月雨

 私達の目標は、「24万」という数字が記された打楽器を合計24万回叩くことである。
 それはステルス・メジャーを標榜する私の24万というTwitterフォロワー数が暗示する、多数派の幻影を漂白する儀式である。多数派である事が、空虚な、自滅を招く世界観さえも狂信させ、有無を言わせぬ圧力を持ち得るこの詐欺的で不誠実なタイムラインを置き去りにし、新たなタイムラインを作り出す試みでもある。
 しかし、わずか2日間の儀式で24万打を達成するという目標がいかに無謀であるということは、前回の「第9曼荼羅」を経験した私達には明白である。幸いこのたびのドラマー、ユージ・レルレ・カワグチが事前にあらゆる場所で多数派の亡霊を振り払うかのごとく狂ったように打数を稼いできた。私達はその成果を受け継いで本日の儀式に挑むことができる。
 果たして24万打に達成するか挫折するか、それはひとえに私達の努力次第である。
 
 ようこそ、「24曼荼羅 (不死MANDALA)」へ。

 上記のような口上で今回のライブは幕を開けた。ここに言及されている通り、このライブはTwitterフォロワー数9万達成記念ライブである2017年の第9曼荼羅に続く、24万達成記念ライブである。前回のドラマーは元P-MODELドラム担当の上領亘氏が選出されたが、今回は昨年の会然TREK 2K20▲03に引き続きSTDRUMSのユージ・レルレ・カワグチ氏が務める。昨年の三月、卒論執筆の最中にもかかわらずZepp Tokyoに赴いた筆者にとって、このライブ「24曼荼羅 (不死MANDALA)」は是が非にでも参加したいイベントであった。そういう訳で先月28日、開催場所付近の昨今の情勢こそ気になれど、就活中の身でありながら再び京阪電車中之島行に乗ってしまったのだ。

 渡辺橋駅構内はロッテリアが辛うじて開いていたくらいで、静けさそのもの、という感じである。色々と飲食店が並んではいるが、ほとんどの店が営業自粛に追い込まれてその扉を冷たく閉じている。シャッター街と化した地下を抜けると、普段着でありながら一つ所に群れを成すシュールな人だかりが屯していた。ここが会場の入り口なのだと、肌で直感した。彼らは間違いなく筆者と同じ目的でここにやってきたのだ。きっと目立った格好で周囲にライブの存在を感づかせまいと考えていたのだろう、まるで近所に買い物にでも行くような佇まいである。
 程なく開場時間となり、レッドカーペットの敷かれた豪華な大階段を、何とも不釣り合いなカジュアル集団がスタッフの誘導で列を成して踏みしめてゆく。彼らは筆者含め、終始ほとんど無言である。二人組らしい客はいくつかいたが、その話し声は囁き程度のものでしかない。階段を上りきった先で問診票を提出し、さらにエスカレーターで上がった先がホールである。天井から吊り下がる無数の小さな照明が、星のようにホワイエを飾る。だがそれ以上に注意を惹かれたのは、これらの視覚情報ではなく聴覚の方である。ホール内に流れる客入れBGMが、ホワイエにまで何ともおどろおどろしく響いていたのだ。
 今回使用するホールはオーケストラが演奏を行うような全席指定席の巨大なコンサートホールで、ちょうど昨年同じ中之島辺りで開催された2K20▼02に近い趣向となっている。そちらにもホワイエはあったが、客入れが外にも流れるという事は無かったと記憶している (自信はない)。今回のホールは三階まで座席が設置されており、ホワイエも同様に三つの階層に分かれていたのだが、そこのスピーカー全てから客入れ曲が流されているらしく、どの階にいても、挙句トイレにさえも鮮明にその不気味な弦楽器の音が響いていた。ホール内に入ると、外では潰れて聞こえなかったリズムを刻む低音がそこに加わり幾分か恐怖感は和らぐ。だがこのような空気では誰も口を開けまい。元より「黙って聴く」という暗黙のノルマを無言のうちに共有してここまで来ている我々には、その効果は覿面である。曲が一つ終わった後も、まるで文明が一つ死に絶えたかのようなその選曲は続いた。
 その裏のノルマを達成させんとしているのは何もオマエタチだけではない。これらの曲からそんな彼の気概を感じた。この妖気に満ちた静寂の中で奇妙な一体感と高揚感に包まれながら、開演時間を待つことになった。

 やがて舞台が拍手と共にゆったりと暗転を始めた。いつもはそこに歓声が伴うが、観衆達の手のひらはそれが無い寂しさを何ら感じさせない活発な音量で打ち鳴らされ続けた。
 まず流れてきたのは第9曼荼羅の出囃子であった「[e]dge#9」。モニターに現れた「90000」という数字が増加を始め、前述の平沢のナレーションがライブコンセプトの説明を終えるとともにランプを点灯 (ランプは24個あったので1万打毎に1つずつ増えるかと思われたが、まさかの10進法方式であった) させ、現在の打数を表示した。189158。あとおおよそ5万打という所だ。
 次いでレルレ氏が登場し、力強い一打と共にカウントを開始した。程なく出囃子は終わるが果たして何の曲が来るか……と考えていた矢先に突如音楽のテンポが落ちる。一曲目に繋ぐこのブリッジをもって、もはやいつもの三人組となった平沢+会人の入場である。
 だが驚いたのはここからだ。さぁ各員配置について、と思いきやレルレ氏の手前に置かれた三つのスネアを仲良く並んで叩き始めた。上領一人がひたすら稼いだ前回から、全員で稼ぐという変化をつけてきたのだ。思えば昨年の2K20▼02でもラストにPHONON 2550のセルフオマージュを行った訳だが、テスラコイルの活用によって全く毛色の異なるような演出にアレンジしてのけた。「全く同じことはやらない」とでもいうようなのこの一貫したスタンスには大変頭が下がる思いである。
 さて、気づけば打数も19万を超え、この演出から何の曲が始まるかと思えば……。刻まれた原曲の断片がエンジンを起動するように少しずつ現われる。まさか、なんとこの曲からとは……。

黄金の月 草の露に幾万も昇り

 「不死」の名を冠するライブが、「輪廻」を意味する曲から始まる。何とも壮大で美しい開幕ではあるまいか。

 レーザーハープが見当たらないと思えばこの鉄棒のようなオブジェがその役割を果たしていただとか、会人の顔に角のように「救済の赤線」が入っていただとか、そういった小さな驚きはその美しい曲並びに少しずつ溶かされていった。その感動全てを書き連ねられるほど、筆者は文章力と記憶力に長けていない。あの高揚と感激は、曲順の紹介を持って代えさせていただく。

24曼荼羅 (不死MANDALA) 4/28 (1日目) 曲目
1.ロタティオン (LOTUS-2)
2.論理空軍
3.高貴な城
4.回路OFF回路ON
5.脳動説
6.Amputeeガーベラ
7.スノーブラインド
8.Gemini
9.MURAMASA
10.アヴァター・アローン
11.TOWN-0 PHASE-5
12.排時光
13.遮眼大師
14.オーロラ (会然TREK ver.)
MC
15.空転G
Encore
1.Kingdom
2.BEACON

 デストロイギターとドラムのビートが織りなす間奏が加わり、斯くも熱量に溢れたロタティオンがあっただろうかという感嘆の開幕からP-MODEL曲へとつながってゆく序盤。
 高貴な城を皮切りに、まさかこの曲が……という選曲がラッシュのごとく繰り出される中盤。ペットボトルから文字通り「星を飲み」干し、客席にポイ捨てするというシュールかつ大胆な演出 (捨てたボトルにイベントの広告を貼って宣伝もついでにこなすという器用さ) で観客を困惑させたAmputeeガーベラ。続くスノー・ブラインドは間奏にギターが入ってより透明感を増した仕上がりであった。この曲の演奏終了と同時に20万打を達成し、2つだけ灯った青白いランプが照らす「200000」のモニターの下で、清く静かなアレンジとともに始まるGemini。この瞬間の、奇跡の産物とでも言うような調和のとれた美しい映像は、このライブの白眉である。
 激しいドラムが支える史上最もエネルギッシュなTOWN-0 PHASE-5から始まる怒濤の終盤。間奏はデストロイギターとクアドラプル・ドラムから成る、贅沢な二部構成である。中央に集まった四人が打ち鳴らす軽快なリズムに誘発された我々の手拍子が不規則な休符に翻弄される、何とも楽しい時間であった。ここから核P-MODELの曲が連続し、一気に場内の空気は温まってゆく。遮眼大師では、解凍P-MODEL然としたピコピコ音と共に、丈を伸ばし過ぎてもはや釣り竿のようになった360度カメラを手にして平沢が暴れ回る。響き渡る御年67歳のシャウトを前に、喉元で湧き上がる歓声をすんでの所で抑え、そのエネルギーを手のひらの運動量に変換し続ける我々を最後に待っていたのは、かの「伝説の」オーロラである。かねてよりもう一度聞きたいという声も多かったであろうあのフジロック仕様のオーロラ。ギターリフもよりシックになっている。しかもレルレ氏のドラムソロ付き。煽るような間奏をバックにした壮絶な猛打で21万打を突破し、二つの一等星の間に一万打分相当の黄色いランプが灯る。その熱の余韻を残すように大サビを歌い上げ、演奏を終えた。
 ここで一旦MCを挟み、今日の打数のペースであれば明日には24万打を十分達成できる旨が伝えられる。安堵と労いの拍手がレルレ氏に降り注ぐ。「24万打を達成できなければフジロックに出られない」という新事実をさらっと口にした後、平沢が最後の曲の名を告げた。
 空転G。場内の熱気を浄化する、静かで美しいエンディングである。

軽やかに行こう 必要ない歌うたい 理の風に隠れ

 何とも時流に刺さる歌詞である。
 平沢はいつものように最後の一曲を演奏し終えると、「ありがとう、さようなら」と短く言い残して舞台裏に消えていった。
 万雷の内に会場が闇に包まれる。いつもなら「ヒラサワ」コールの嵐だが、繰り返し述べているように拍手でしか渦巻く感情を表現できないのだ。筆者はただひたすらに手を叩いていた。隣の客もその隣も同様であった。そしてその一体感が、起こるべくして起こる一つの現象を生む。各々のリズムで打ち鳴らされていた観衆達の拍手が、アンコールへの期待の臨界値をある一点で超過し、突然一つのリズムにまとまったのである。姿もろくに見えないその場の不特定多数の人間達と、言葉も無しに感情の本質を共有しているようなこの不思議な一体感は現場でこそ感じられる醍醐味だ。この状況下でのライブだからこそ、それは尚もって強く知覚された。
 それから拍手が手拍子へと変調して間もなく、再び舞台に照明が降り、ステルス・メジャーが現れた。「本日はお足元の悪い中、現実の整合性の悪い中、ようこそお越しくださいまして……」と軽い挨拶にも平沢節が炸裂する。軽いメンバー紹介に合わせて他のメンバーも位置につき、アンコールが始まる。一曲目は過去に公表した曲だが、二曲目は「BEACON」という新譜の曲であるという。MCを挟んだこともそうだが、演奏曲を事前に伝えるのも今まで余り類を見ないことである。恐らくはこの情勢に合わせた進行を選択しているのだろう。
 さて、アンコールについてであるが、こちらもその感動を描写することは残念ながら叶いそうにない。先述の通り、アンコール一曲目はKingdomである。よりにもよってこの曲をこんなタイミングに持ってきたのだから堪ったものではない。夢にまで見た選曲とすら言える。ここで筆者の視聴覚はその身を離れ、余りの充足感にもう一曲あるのを忘れそうになった程である。じんわりと熱を帯びたドラムが溶け込むあのKingdomをその場で聴けたというのは今にして思っても一入の感激を禁じ得ない。二曲目のBEACONはというと、ここまでやってきた観客を景気よく送り出すような、何とも爽やかで新鮮な曲調であった。曲の構成としては夢の島思念公園が近いだろうか。刻んだ声を使った平沢らしいパーツがポップ調に組み上げられており、一聴すると「らしからぬ新しさ、軽やかさ」を覚える。一音一音に込められる歌詞の密度が今までの曲より増えていたようにも思う。テンポの速さも相俟ってスピード感が強く、あっという間に演奏が終わってしまった。
「ありがとう、お気をつけて」
 今度こそこの楽しい時間は終わりである。大団円の読後感のようなさっぱりした気持ちと、頭の中をグルグルと回る新曲のメロディアスなサビと共に会場を後にした。

 総括すると、「行って良かった」の一言である。
 舞台、照明、演出の美しさは言わずもがな。遮蔽を無くした新型レーザーハープの効果が与える平沢の未だ衰えぬ躍動感あるパフォーマンス。またしてもマイナーチェンジを遂げた会人のコミカルかつ渋い仕事ぶり。そしてレルレ氏が与える、骨まで揺さぶるグルービーなリズム感。コンサートホールという会場だったのもあろうが、「声を上げずともライブの本質は味わえるのでは?」という考えすら抱かせる貴重な体験であった。
 そして何より興味を覚えたのは客入れからアンコールまでの選曲と進行だ。あの徹底してホラーじみていた客入れといい、Twitterで一度言及したはずの「Perspective」からの選曲を回避した事といい、恐らく観客の過熱を避けるための平沢の一貫した配慮なのではないだろうか。昨年の2K20▲03においてLOOPING OPPOSITIONが演奏された際、P-MODEL曲にも明るい観客達はそれに気づいた瞬間驚きのあまり悲鳴のような歓声を上げた。恥ずかしながら筆者もその一人である。当時から自粛ムードが広がりつつあったが、今の方がはるかにその影響は大きい。この前例を鑑みて、緊急事態宣言の発令で選曲を変更したのではないかと考えている。場の空気が最高潮に達したオーロラ終了直後は、MCで間をとってから静かな曲をラストに回した。アンコールでは演奏曲を先にMCで伝えた。これらもその配慮の現れだと思われる (二日目の24万打達成時のあの一連のコントのような流れも、一番盛り上がる最後の一打で上手く拍子抜けをさせるためのアイデアだったのではないだろうか)。
 盛り上げ過ぎない範囲で最大限の充足感を観客に与えるという、高度なバランス感覚を要求するパフォーマンスをこの状況下で見事にやり通した訳である。平沢及びそのサポートメンバー、ひいてはスタッフ達の想像力とアイデア力には頭が上がらない。

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 ライブは終わった。とっとと帰ろう。
 またあのレッドカーペットの大階段を皆降りてゆく。上にも下にも、右にも左にも、皆同じように無表情無言で下ってゆく普段着集団。きっと筆者もこの時同じような顔をしていたのだろう。だからこそ分かる。誰も彼も今、心中に猛烈な感嘆が渦巻いているに違いない。「帰るまでがライブ」だと言わんばかりにそれを内に封じ込めているのだ。
 時刻はおおよそ午後九時。辛うじて開いていた店も時短営業で閉まっており、夕食は帰宅まで食べられそうにない。雨足も開演前より強くなっている。だが、さほど気にもならない。今夜この大階段を下った者達がこの二時間弱の間に貯め込んだ感嘆符を全て集めて雨粒に変換したら、今関西一帯を覆っている雨雲など比にもならない暴風雨と化すだろう。あの静かで強固な一体感から得たそんな確信は、コンビニで買ったウィダーinゼリーを咥えて京阪電車を待っている間も続いた。
 自宅最寄りの駅に着くと同時に、その日のライブの配信チケットを購入した。コンビニで手当たり次第食べ物を買って、帰ったらそれを食べながらもう一度ライブを見よう。そう考えると、傘を忘れたことなど気にもならないのであった。
 演奏されなかったが、「濡れて行こう、清廉の雨」である。

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