見出し画像

桃色の向こう側

 以下に掲載するのは、筆者が去年書いた「美術館で会った人だろ」の考察記事である。せっかくなので前回に続き過去の考察内容はこちらにまとめることにした。
 筆者は大学でひっそりと平沢進の「同好会」を作り、知り合いを迎え入れてDiscordを開いている (DUSToidのもじりで筆者は勝手に「DISCord」と呼んでいる)。この記事はそこで、「考察」のチャンネルを賑わすために書いたものである。

 P-MODELが結成した1979年から、「脱テクノ宣言」とともにベース担当の秋山勝彦が離脱しテクノポップ路線からの転換が行われた1980年までの約1年間のP-MODELは、所謂「初期P-MODEL」と呼ばれている。この間P-MODELは2枚のアルバム (『IN A MODEL ROOM』『LANDSALE』)をリリースし、「美術館で会った人だろ」や「MOMO色トリック」などの楽曲を作った。この時期の楽曲は、SF小説『1984年』の世界観をベースに当時の日本の様子を歌ったものが多くある。一見これらは体制批判・反戦主義のニュアンスを内包しているかのような印象を受けるが、歌詞をよく読むとそれらとはむしろ距離を置いた別のテーマが見えてくる。
 初期Pが歌っているのは、体制・社会の恨みつらみ以上に、そういった息苦しい世の中でうわべでない本当の意味での他人とのコミュニケーションや繋がりを求めてもがく人々の姿であるように思える。『IN A MODEL ROOM』ではどちらかというと社会批判が込められているような曲が並んでいるが、その中で1曲目の『美術館で会った人だろ』は異彩を放っている。代表的な曲でもあるのでこれを例にとろう。

 この曲には他の曲に存在する具体的な批判対象が何も出てこない。しかし、この曲の英訳は "Art Mania" だ。これは、同アルバムの「MOMO色トリック」の歌詞にも登場する語句である。さらにアルバムのトリを飾る曲のタイトルは「アート・ブラインド」。ともに「アート」というキーワードを持っており、関連性が伺える。
 「MOMO色トリック」では、現実に避けて通れない生々しいものやグロテスクなものを遠ざけ、小綺麗なアートで埋め尽くし誤魔化す社会が痛烈に皮肉られている。その後に続く「アート・ブラインド」では「ミライハキレイニ」という言葉が繰り返されていることとも併せて考えると、ここでの「アート」は「現実と向き合うために必要なリアリティある物事を人目から隠すもの (=ブラインド)」として表現されていることが推測される。つまり「美術館」というのは、好まれないリアリティを覆い隠す「アート」で溢れ返った現代社会、及びそれに従う精神の隠喩であるとも考えられるというわけだ。
 すると、「美術館で会ったあんたと仲良くしたいから美術館に火をつける」という一見とち狂った行為の正体が見えてくる。この歌詞は、「他人との心の距離を縮めるために妨げとなる建前や誤魔化しを破壊する」、という物理的ではなく精神的な試みを表しているのではないだろうか。
 1番の「きれいな額を指さして『子供が泣いてる』と言ってただろ」という歌詞もこれで同様に説明できる。この歌での「あんた」は社会という美術館に飾られたアートの奥に覆い隠された、虐げられる子供の姿を看破したのだ。だから「僕」は「あんた」に強く惹かれたのだろう。
 しかし「あんた」は、街で会うと「ぼく」を無視する。美術館 (=建前) があるからである。お互いに同じ通じ合う感性を持っているにもかかわらず、それは社会にとっては歓迎されるものではないため、外では会ってもコミュニケーションがとれないのだ。これは、ちょうど『1984年』のウィンストンとジュリアの関係にも通じるものがある。そういうわけで、「僕」は「あんた」と仲良くするために「美術館」に火をつけ胸中を覆い隠さんとする風潮を取っ払い、うわべだけのやり取りではない本当の意味でのコミュニケーションをとる必要があった、という風に考えられる。
 2番もさらに同様である。現実から離れた「夢の世界」で「僕」と「あんた」は通じ合う。社会から避けられ隠される「血糊」に汚れた「僕」に向けて愛の言葉を投げかける「あんた」に近付くために、ドアの鍵を閉めて社会から隔離した「あんた」の本当の心と「僕」を隔てる「窓ガラス」を破って飛び込むのだ。

 以上のように、「美術館で会った人だろ」は都合の悪いものを包み隠して遠ざけることでうわべだけのコミュニケーションで溢れ返るようになった社会で、他人と心を通わせることを求める人間がもがく様を比喩を用いて表現した歌であることが考えられる。
 まとめて見るとこのアルバムは、最初にこの曲を持ってきてまず聴く者に「?」マークを植え付け、その後の曲で息苦しい社会を皮肉り、最後の2曲「MOMO色トリック」「アート・ブラインド」でヒントを効果的に与えながら締めることで、2週目に1曲目を聴いたときに最初のときとはまた変わった印象を抱かせる効果を狙った構成になっているのかもしれない。
 もう1枚のアルバム『LANDSALE』では、このような「社会に生きる人々の苦難を描く」傾向の曲がさらに増える。このコミュニケーションへの渇望は、その後の平沢進の楽曲にも根強く表れていくことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?