黄金のハニーレモン 第1章~闇のURL~

そう、私がそのブログを見つけたのは、ほんの偶然の出来事だった。


私は一年以上も学校に行っていない。勉強が嫌いだとか、いじめられたとか、そんな理由じゃない。

毎日毎日通い続ける教室という空間の中に、誰と誰は仲がいいだの、誰と誰が付き合い始めただの、誰が誰を裏切っただの、誰がどうだからあいつのことを気に入らないだの、そういうのが見えそうで見えない形で渦巻いてるのがすごくくだらなく思えた。

だから私はあそこには戻らず、部屋で本を読んだりパソコンと戯れたりすることで女子高生ライフを満喫している。

そんなある日のこと、いつものようにキラキラしたSNSには目もくれず、巨大匿名掲示板を斜めに読み流していると、「みんなが見つけた面白いブログを紹介するスレ」というスレッドを見つけた。

大抵こういう場所は、「僕が見つけてきた」と称した自分のブログの宣伝や、気に入らない奴のブログを晒しものにするために利用される。実際このスレッドにもその手の書き込みが多かった。

私怨の樹海を掻き分け、面白いブログをまともに紹介してくれている書き込みを探していると、掲示板の上にぶっきらぼうに書き込まれた不思議なURLを見つけた。

ブログに関する説明など一切書かれておらず、そのURLだけがワゴンセールのお菓子の値札シールのようにくっつけられている。URLだけが貼り付けてあるのも良く見る光景なのだが、問題はそのURLだった。


“http://HELPTASUKETE@blog.loveboor.jp/takeru/”


HELP助けて!?

爆笑はできないけど、なかなかシュールで味のあるURLを考えたものだなと、私はただ単純にそう思い、「HELP助けて」のURLをクリックした。

そうしてパソコンの画面に映し出されたのは、真っ白な背景に文字が書いてあるだけの、見た目だけで言えばとても地味なブログだった。

インターネットのブログには、背景のデザインを変えたり、可愛らしいキャラクターなどのアイコンをくっつけて飾りつけたりする機能が付いているものなのだが、この「HELP助けて」のブログにはそういう機能が一切活かされていない。「そこに書いてある文章を読んでもらう」という、ブログとしての最低限の機能だけが活きている、そういう印象を受けた。

そのブログの最新記事を読んでみると……流石は「HELP助けて」などというURLを考えた管理人、全くもってワケがわからない。なので私は、このブログを一番古い記事から順に読んでいくことにした。


“4月30日
【助けてくれ!!】

最初に言っておきたい。ここに書いてあることは全て真実だ。
信じられないようなことばかりが書いてあるけど、それでも信じて欲しい。
 ……いや、信じてもらえなくてもいい。信じてもらえなくてもいいから、誰か俺をここから助け出してくれ!!


俺は今年の4月から、山奥にある全寮制の高校「龍流家学園(るるいえがくえん・以下「龍学」)」に転校してきた。前の学校の奴らと別れるのは寂しかったけど、そこは男子が俺を除いて一人もいないのだと聞いて、女の子に囲まれたパラダイスみたいな学園生活を夢見て喜んで転校した。

最初の授業はホームルームで自己紹介。これはどこの学校も同じだ。

俺は漫画とかでよくある「今日は転校生を紹介します」のノリで先生と一緒に教室に入り、一番最初に自己紹介をやらされることになった。

普通なら自己紹介なんてかったるくて仕方が無いんだが、女の子達の拍手と歓声に持ち上げられると悪い気がせず、にやつく顔を隠しながら教壇の前に立った。

クラス全員の顔を見渡してみて改めて思った。

「女の子ばっかりだ!」

漫画みたいに全員が美少女というわけではなかったが、それでも高校2年思春期まっさかり担いだ金太郎男子がパラダイスと呼ぶには十分すぎるくらいの空間だった。

俺は胸の高鳴りを抑え、龍学2年3組での第一声をかっこよく決めるために呼吸を整えた。が、整えた呼吸は肺の奥深くへと急降下していった。


半魚人


そう、半魚人がいたんだ。後ろの隅の席に!

女の子に対して「半魚人」なんて言うのは失礼なのかもしれない。だけどあれは、口は耳元まで裂け、目は瞼が無く無駄に澄んでいて、そして全身(少なくとも制服を着た状態で見える部分全て)を銀色の鱗に覆われているあのあれは、「半魚人」としか言いようが無い!

俺は今まで、銀色の鱗に覆われたような奴なんて見たことが…………いや、見たことはある。魚屋とか水族館で。だけど魚屋とか水族館にいた奴は制服を着て学校に来たりもしないし、机の前に行儀よく座ってたりもしないし、俺の自己紹介の後に、

「何か質問がある人~~?」

なんて先生に聞かれて手を挙げようか挙げまいか迷ってやっぱりはにかんで挙げるのをやめるなんてことは絶対にしない。

俺はその半魚人が目に入ってしまったせいで、しどろもどろでかっこよさもへったくれもない自己紹介をしてしまった。緊張のせいだと思われたらしく、教室は笑い声に包まれた。

和やかな雰囲気になったし、「カワイイ~」なんて声も聞こえてきたから、まあ、いいか。

などと考えつつ俺は先生が示した席に着いた。そこは廊下側から数えて2列目の前から3番目。良かった、半魚人の隣じゃなくて。

隣の子がかけてくれた“普通な”微笑みと、前の席の子の赤みがかった艶やかな後ろ髪が、乱れた俺の心に落ち着きを取り戻させてくれた。

風に揺れる長い髪を眺めていると、まるで沖縄の珊瑚礁にでもいるような穏やかな気持ちになれる。


風?


教室の窓は全て閉まっている。ドアもそうだ。おかしい、風が入ってくる隙間などどこにも無い。俺は目を擦ってもう一度その艶やかな後ろ髪を見てみた。


……動いている。


その赤みがかった艶やかな長い髪は、まるで海中で妖しく魚達を誘うイソギンチャクの触手のように、微妙なリズムでゆらゆらと揺れ動いている。

なるほど、だから沖縄の珊瑚礁にいるような気分になったわけか!!

周りを見てみる。クラスメイト達は半魚人やイソギンチャクに気付いていないのか、あるいは気付いていても気にしていないのか、至極普通に自己紹介ホームルームを楽しんでいる。

「どうしたの?」

イソギンチャク女が話しかけてきた。心臓と肝臓が飛び出そうになった。

「いや、その……」

顔面は普通、いやむしろ平均より上。清楚な顔立ちに絹のような肌。

「いや、その、髪の毛…………」

振り絞るように核心を突き抜けた。するとイソギンチャク女は自分の髪の毛を撫でて照れくさそうに笑った。

「ああ、これ?」
「うん……」
「今朝寝坊しちゃって。あ、でもいつもはちゃんと直してから来るんだよ」


寝  ぐ  せ  の  話  は  し  て ね  え  よ  !!!


イソギンチャク女に自己紹介の順番が回ってきた。軽い緊張が触手ヘアーを震わせる。彼女の自己紹介は名前と好きな食べ物、そして趣味の詰め将棋について少し語って円満に終わった。髪の毛の話題は一切出てこなかった。“



これが最初の記事。
半魚人にイソギンチャク。山奥の学校にしては随分と磯臭いクラスメイトだ。

「男子は自分一人」という辺りが気にはなったが、この妄想日記、嫌いじゃないかもしれない。そう思うと、私は次の記事を読まずにはいられなくなった。


“4月30日
【食堂】

自己紹介と教科書の配布だけでこの日の授業は終了。放課後すぐに先生を捕まえて半魚人やイソギンチャク女について問い詰めたかったのだが、活発な女の子グループに取り囲まれてしまったためそれは叶わず。

どんなに良い香りのする花畑の中にいても、俺の頭の中は珊瑚礁。自己紹介の時より過激化した質問攻撃に俺は、

「彼女は本当にいない」

とだけ答えて逃げるようにその場を去った。

学生寮は2年3組の教室がある北校舎から歩いて5分程の所にある。

俺の部屋は1階北西隅。日当たりが悪いのは別にいいのだが、窓から見える風景がかなり気になる。

四次元的に捻れ曲がった木が1本。幹も葉も不健康な灰色をしているのだが、寮長の話によると枯れているわけではないらしい。
その隣、西日が差すと木の葉の影が覆いかぶさる位置に「この水は飲めません」という貼り紙がされた井戸がある。
決して気味のいい風景ではないが、半魚人のいる教室よりはマシだ。……と、その時の俺は思っていた。

ベッドに倒れ込み、瞼の裏から剥がれない半魚人のはにかみ顔と格闘していると、隣の部屋の女の子が食堂へ行こうと誘いに来てくれた。彼女の名前は仮に「A美」としておこう。

A美は二つ括りの眼鏡っ娘。真面目そうな子だがお堅い印象は受けない。確か同じクラスだ。俺は勇気を出して、A美にイソギンチャク女のことを聞いてみた。

「うちのクラスにI野っているじゃん?」
「え、I野さん? もしかしてぇ、早くも気になっちゃってる感じ?」

うん、気になってる。別の意味で。

「あの子の髪の毛……」
「キレイだよねぇ~、髪の毛! ぬらぬらしてて」

ぬらぬらなんて擬態語はその時初めて聞いた。
その後、イソギンチャクに惚れたの惚れてないだのの誤解を解くため頑張っているうちに食堂に着いた。イソギンチャク女のことは「ぬらぬら」以外何も聞けなかった。

龍学の食堂は校舎から独立したガラス張りの建物で、ステンドグラスにデザインされた魚達が太陽の光でぬらぬら、もとい、キラキラ光る。夏は涼しく冬は暖かく、周りの自然と調和して快適に過ごせる設計になっているとのこと。

A美が食券の買い方等を説明してくれた。俺は券売機でオススメのマークが付いていた「シーフードカレー」をスルーしてカツカレーの食券を買った。

食堂のおばちゃんからトレーに乗せて渡されたカツカレー。その素晴らしい香りが俺の意識を食欲の方へとシフトさせてくれる。
席に着いていざカツカレーを頂こうとスプーンを構えた瞬間、俺の背中に寒気が走った。


…………動いている。ごはんが微妙~~に動いている。


ごはん一粒一粒が、それぞれ一定のリズムで緩やかに緩やかに揺れ動いている。
こういうのを「ごはんが立つ」というのだろうか。いいや絶対に違う。

それにしても、このごはんといい、イソギンチャク女の髪の毛といい、なぜ動き方が微妙~~なのか。もっと景気よくわっしょいわっしょい動いてくれたらここまで気持ち悪くは見えないものを。

見れば見るほど、“寒気のフルマラソンin俺の背中”は激しさを増していく。俺はカツカレーを一口も食べずに席を立とうとした。が、その時……

「食べろよ……」

どこかから声が聞こえてきた。

「食べろよ……」
「食べてよ……」
「美味しいよぉ……」

しかも一人の声じゃない。

「食ベロ…… 食ベテ…… 美味シイヨォ……」

間違いない、ごはんだ! この動くごはんから聞こえてくる!

そう気付いた時にはもう、俺はルーのかかったごはんを一口、飲み込んでしまっていた。“寒気のマラソン”は背中から体内へと舞台を移し、フルマラソンから24時間生中継100キロマラソンにパワーアップした。

ZARDの「負けないで」がかかり始める前にここを出なければ。そう思って隣のA美に目をやると、A美は取り憑かれたようにシーフードカレーを貪り食っていた。

駄目だ、早く逃げないと! だけど、いい匂いが……
朦朧とした意識の中、前方から差し出された白いお椀が目に入った。

「デザート忘れてるよ?」

デザート? 何だこれは、白くてぷるぷるしていて、杏仁豆腐のような、でも芳ばしい海産物系の匂いが……

ヤバい! と思った時にはもう、俺はカツカレーと謎のデザートを完食してしまっていた。
頭の中で「サライ」が流れた。“


2つ目の記事もやはり混沌としている。
“ぬらぬら”なんて文字列は私も初めて見た。
私は自分の髪を触ってみた。“さらさら”している。自慢じゃないけど。
私は軽く背中を伸ばし、ウーロン茶とポテチを用意して次の記事を読んだ。


“4月30日
【悪夢】

その日は夜9時くらいに床に就いた。色々あって物凄く疲れていたし、早く眠ってしまいたかったからだ。
動くごはんや謎のデザートを食べたにしては、俺の体調は良くも悪くも無かった。だがそいつらが俺の血となり肉となるのだと思うとなかなか寝付けなくなった。
それでも何とか寝付くことができたようで、正確にはわからないが恐らく3~4時間程、いじめられた脳細胞を休ませてやることができた。朝まで眠っていられればもっと良かったのだが、俺の眠りは突如として、そして妖しく静かに妨げられた。

微かな光が瞼を通して目に入ってくる。窓からの光を感じて夜が明けたと勘違いした脳が「起きる時間だ」と目を開かせた。だが目を覚ました俺は、夜はまだ明けていないのだということを瞬時に認識した。なぜなら、窓からの光は太陽から降り注ぐ清々しい光とは全く違っていたからだ。

虹を構成する七色を式に表わし難い分量で混ぜ合わせ、それを深夜の暗闇で薄めたような、まるでこの世のものとは思えないような色の光が窓の外から流れ込んでくる。

起き上がって窓の外を見てみると、なんとあの四次元的に捻れ曲がった木が、俺の部屋に流れ込んでいる不気味で名状しがたい光を放っていた。昼間は不健康な灰色をしていた幹や葉が、今は地球上の生物ではありえないような色で明滅し、未知なる色彩を闇の静けさに染み込ませている。

俺は思わず部屋を飛び出した。本能が伝える未知への恐怖に追い立てられ、俺は真っ暗な廊下を走り出した。すると直後に、ゼリーかスライムのような半液体状の何かにぶつかり、反動で木目の床に叩きつけられた。

暗闇に慣れ始めた目で見てみると、俺がぶつかった「何か」の破片と思しきスライム状の物達が、どこか一点へ向かって這うように移動していくのがわかった。そしてスライム達が集まっていく先にあったのは、スライム達の合体によって構成されていくA美の頭部だった!


「痛たたた……」


喋った!? 頭だけで喋った!?
スライム達は次々に融合し、昼間一緒に食堂に行ったあのA美を、色恋話にテンションを上げる普通の女の子に見えたあのA美の姿を形作っている。

俺は理解した。俺とぶつかって砕け散ったA美が再生しているのだと。全身が砕け散ったという現実を、A美は軽く尻餅をついたような「痛たたた……」で処理できてしまうのだと。
俺は再び走り出した。がむしゃらに走り、寮の外へ飛び出した。

「待ってええええええ!」

金切り声に振り向くと、再生中のA美がやたらと素早いナメクジのような動きで追って来ていた。
俺は走った。学園の外は深い森に囲まれていて、一度迷ったら最後、二度と出てはこられないような印象さえ受ける。だが走った。自分は今どこへ向かっているのか、どこへ行けば助かるのか、そんなことは考えもせず、無我夢中で走った。


気が付くと俺は、自室のベッドに寝転んでいた。

「そっか、夢だったんだ……」

思わず独り言が漏れた。
ドアが開く音に目をやると、制服を着た浅黒い肌の女の子が部屋に入ってきた。

「あ、おはよう!」

さわやかな挨拶だ。ぱっちりした目と輪郭の整った小顔が織り成す明るい笑顔が、さわやかな挨拶をよりさわやかなものに昇華させている。

彼女は「なっち」。みんなそう呼んでいる。本名は一応伏せておくが、その響きからして日本人ではないっぽい。見た目も頭も人柄も良く、女生徒ばかりのこの学校で一番“モテる”人物らしい。なっちはこの直後のホームルームで、自ら進んでうちのクラスの学級委員長になる。

「大丈夫? どっか痛くない?」

顔を近付けられると良い香りがする。昨夜の悪夢が遠い彼方へ飛んで行ってしまうような。

「…………いや、特には」
「良かった。びっくりしたよ~、タケル君外で倒れてたんだもん」

 夢じゃ無かったのか!?

「ええっと……」
「あ、A美ちゃんには私から返しといたからね。A美ちゃん全然怒ってなかったから安心して」

返した? 何を?
俺は記憶の底から昨夜の出来事を引きずり上げてみた。

────そういえば、A美は「待って」の他に「返して」とも叫んでいたような。再生しながら追ってきていたA美の、右脇腹の一部だけが最後まで再生していなかったような。

────もしかして、A美の右脇腹の一部が俺の体にくっついていて……

「タケル君!? どうしたの!? タケル君!?」

混沌の彼方に飛んで行きかけていた意識がなっちの声に呼び戻された。

「大丈夫? 新しい環境に慣れなくて、疲れちゃったのかな?」

違う。合ってるけど違う。
額に手を当て熱を計ってくれるなっちの優しさが、その時の俺には沁みすぎるほど身に沁みる。

「今日は無理せず休んでる?」
「…………いや、教室行く」

一人になるのが物凄く怖かったから。“


ここまでコメント欄に書き込み無し。表示されている訪問者数を見てみると、昨日は6人、今日は2人。あまり人気のあるブログではないのだろうか。
確かに好みの分かれそうな笑いを扱ってはいる。私は笑えるんだけどな。


“4月30日
【助けてくれ!!!!!!】

――――以上が、俺が龍学で過ごした長すぎる1日目の出来事である。
これを読んで、俺が今置かれている状況を理解してもらえたのなら……


助けてくれ!


つか、助けてください!!

こんなところにいたら頭がどうにかなってしまう!


森を突っ切って逃げようともしてみた。だが迷路のような森の道無き道は、何度走り抜けようとしても俺の足を学園へと導いてくださいやがる。
スマホはずっと圏外だし、学校の電話も生徒には使わせてもらえない。手紙を書いても外へ持ち出せなければ意味が無い。今、俺と外部を繋ぐことのできる唯一の連絡手段は、寮の物置部屋で見つけたパソコンだけだ。

親、友達、警察…………思い付く相手全てにメールを出した。しかし、一週間経っても一切音沙汰無し。
だから俺は今、このブログを書いている。深夜の物置部屋に忍び込んで。このブログを見てくれる不特定多数の人の中に、俺が書き殴った一見狂気じみているように見られるかもしれないこの文章が、現在進行形で俺の身に襲い掛かっている現実の出来事を書き綴ったものだということを、信じてくれる人が一人でもいることを願って。

覚めようともしない悪夢から、俺を救い出してくれる人が現れることを願って。

現在夜中の1時35分。誰にも見つからないうちに部屋に戻ることにする。

戻る前に繰り返す。助けてくれ!!!!!!!“


その記事の最後に龍学の住所が記されていた。見たことの無い地名だったが、架空のものなのだろうか。「赤牟」なんて読み方すらわからない。

それにしてもこの“タケル”という人、劇的状況の演出がとても面白い。「自力で逃げることも出来なければ、外部との連絡手段も物置部屋のパソコンに限られている。そのパソコンでメールを出しても返事が来ない」────ブログを書く必要性について問うツッコミを、数行の文章によって回避しているのだ。
この回避の仕方が上手いのか上手くないのかは別にして、私は純粋に面白いと思った。

4月30日の記事はこれで終わり。次の記事は、ゴールデンウィークが明けた5月9日に書かれたものだった。風が少し強くなってきたので、私は窓を閉めてから次の記事に目を移した。


“5月9日
【朝礼】

助けはまだ来ない。だけど、このブログが俺を救いだしてくれる誰かの目に留まることを信じて、俺が龍学で経験した名状しがたい出来事の数々を、できる限り多く書いていこうと思う。
 
転校してから1週間。あの異次元的な光の差す部屋でも、カーテンを閉めればなんとか眠れるようになってきた頃のこと。
その日は朝礼があるということで、全校生徒揃って校庭に列を成した。
背の順に並ぶと俺は一番後ろ。俺の一つ前がなっち。女子としては背が高い方か。目の前に見えるなっちの後ろ頭。そよ風が吹くたびに、短めの後ろ髪がフローラル系の優しい香りを振り撒き揺れる。触手でない頭髪を持つ人の存在とはこれほどまでに有り難いものだったのか。

なっちによれば、これから校長先生をお呼びして素晴らしいお話をお伺いすることになるらしい。そういえば、俺はその日まで龍学の校長なる人物を見たことが無かった。ふくよかなおばちゃん教頭になら何度か会っていたが。

そのおばちゃん教頭が、朝礼台の上に立ってこう言った。

「それでは皆さん、元気よく校長先生をお呼びしましょう」

おいおい、まさかみんなで声を揃えて「こーちょーせんせ~~~!!」なんて呼ぶんじゃなかろうな。遊園地のヒーローショーじゃあるまいし。などと思っていると、突然周りの、というより校庭全体の空気が酷くどんよりと重たく、湿っぽく、生暖かくなっていくような感覚に襲われた。薄曇りの空に混じる生暖かい空気に押し潰されるよりも早く、俺はこの感覚の正体に気付いた。

俺を除く全校生徒が皆声を揃えて校長先生を呼んでいる。だがそれは遊園地のヒーローショーに見られるような可愛らしい呼び方ではない。とてもはっきりとした、そのくせどこか不安感を煽られるような発音で、何やら聞いたことのない言葉を唱え続けている。
右を向いても左を向いても、取り憑かれたように動く口が見える。半魚人やイソギンチャクやスライムの10000倍まともに見えたなっちも、その呪文めいた言葉、っていうか“呪文”をほとんど息継ぎ無しで唱え続けている。

呪文は断片的にしか聞き取ることができなかった。「ふたぐん」とか「なすたらとぅ」とか何とか。その中でも特にはっきり聞き取れたのは、「イア!」という文句。この「イア!」は何度も出てきたし、みんなこの部分は喜びに似た何かを込めてはっきりしっかり「イア!」と叫んでいたから。

管楽器系の音も聞こえてきた。振り向くと、うちのクラスの担任がよろめくような動きで飛び跳ね、回転しながらフルートを吹いていた。気付けば、列を成し呪文を唱える生徒達の周りを、教師達がうちの担任と同じような動きで踊りながらフルートを吹き鳴らし回っていた。

フルートの音色はか細く単調で、背骨の奥から熱を奪い去っていくような不快感と不安感を呼ぶ。
朝礼台の周りでも、数人の教師がフルートを吹いていた。なぜ列の一番後ろからそれが見えたのか。それはフルートを吹く教師達が蚊の踊るようなリズムで飛び跳ねていたからだ。

生徒達の呪文と教師達のフルートが、鼓膜の奥から命を吸い取っていくような不協和音を作り出す中、朝礼台の下から何かがせり上がって来るのが見えた。
その何かはウシガエルの鳴き声に似た、唸り声とも機動音ともつかない重低音を発しながら、とてつもなく巨大な姿を明らかにした。

半透明で、スライムとスモッグとアメーバを足して3で割って隠し味にウイ○ーインゼリーを混ぜたような質感のそれは、“頭”と思しき突起物に2つの“目”に似た丸が付いていて、“腕”と呼んで多分間違いないと思われる長い物が左右に1本ずつ生えている。見えているのは人間の“上半身”のような形をした部分だけで、残りの部分は地面の下に埋まっているのか、或いは見えている部分だけでこの巨大な何かの“全身”であるのか、それはわからない。とにかくそれは校舎よりも遥かに大きく、向こうの景色と中に取り込まれている朝礼台が透けて見える。


「イア! 校長先生!」



あれが校長!?
その時確かに、皆が声を揃えて「校長先生」と言った。この驚きが無ければ、俺は超巨大な人型の何かを直視した衝撃で気を失い、少なくとも3日は寝込んでしまっていただろう。
暴走する脈拍を抑える術さえわからない俺に、なっちが振り返って一言。

「大丈夫、呪文はゆっくり覚えたらいいから」



覚  え  ら  れ  る  か  !!!



つか覚えたくねえし!!!



頼むから、頼むから眩い笑顔でそういうカオスいこと言わんでくれ!
とりあえず俺は、あの得体の知れない校長がどんな有り難いお話をしてくれるのかと身構えた。すると校長の第一声は、

「うっっっせえんだよクズ共!!」

えええええええ!!?

その後も校長は物凄い剣幕で冒涜的な言葉をわめき散らした。その内容の殆どが、校長召喚呪文よりも聞き取りにくい。そしてひとしきりわめき散らすと、校長は出てきた時と逆の要領で朝礼台の下(?)へと帰っていった。
あれのどこが有り難いお話なんだとなっちを問い詰めようと思った。が、あの冒涜的なスピーチを聞いた俺以外の全員が感動の涙を流していた。
戸惑う俺に、なっちが振り返り涙を流しながら一言。

「戦争って良くないよね……」
  
そんな話してたの!?!?

朝礼が終わり、生徒達がそれぞれの教室へ戻る時、他クラスの子が少し恥ずかしそうになっちに挨拶した。

「イア、なっち……」

なっちも明るく「いあっ☆」と返した。あれってそんな風に使っていい言葉だったんだ……

次の日、なっちがかわいい便箋にとても女の子らしい整った字体であの呪文が書かれているものをくれた。
ちょっと覚えてみようかな、などと思ってしまった自分が情けなくなった。“


冒涜的な校長にウーロン茶吹いた。
私にとって朝礼なんてものは、何も知らない大人が知ったような口を利く場所でしかない。

「体育の後に消臭スプレーを体にふりかけている者が多く、教室の中がスプレー臭くなっているが、お前らは汗臭くて当たり前なんだからそんなことをする必要は無い」

年頃の女の子約350人を前にして高い所からこんなことを言ってしまう御偉い先生様に、この校長先生の刺激的な朝礼を受けさせてやりたい。

校長先生にも笑わせてもらったが、私はそれ以上になっちのことが気になった。いい香りだとか眩い笑顔だとか、作者からの扱いが他の登場人物達と比べて抜群にいい。
きっとタケルは、なっちをこの妄想ブログに於ける“清涼剤”にするために登場させたのだろう。だとしたら、これからもっとなっちの活躍が読めるかもしれない。そんな期待に次の記事が答えてくれた。



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