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急死に一生!とし太郎(前編)

前編「ゲロの海に降り注ぐ、ガラスの雨」

12/9、土曜の夜、とし太郎は自宅にて窮地を迎えていた。
12月から通勤時間が爆増し、往復4時間という狂気の通勤地獄へ突き落されたこと。イヤだ要らんやりたくないとダダをこねていた要職を無理やり就かされ業務責任が増えたこと。度重なる令和ちゃんの寒暖差気圧差攻撃によって身体のリズムがおかしくなっていたこと。ツイッターはXに代わり、妖怪からの陰湿なイジメを受け続け、とし太郎のストレスはこの時既に限界を迎えていたのかもしれない。

高校の頃から偏頭痛持ちなとし太郎は、この日も頭に残る痛みと戦っていた。昼頃にエリクサー「ロキソニン」を使用していたこともあり、乱用を避けるために夜は服用しなかった。鋭い頭痛を感じながらも、翌日が休日だからと最善手を打たなかった。それがこれから始まる悲劇への最後の一押しだったのであろう。

シャワーを浴びるべく部屋で服を脱ぎ、パンツ一丁になった頃合いで眩暈が発生。普通ならものの十数秒で治るのが眩暈であるが、この時は待てど暮らせど治らない。視界が反時計回りにグルグルと回転し、左後頭部には激しく鋭い痛みが走っている。もはや真っすぐ立っていることすら困難で、とし太郎は安らぎを求めるように床へ寝転ぶ。

(すげぇ、なんだこの眩暈は。世界がオレを中心に回ってるじゃねぇか!)身体の異常に反して意識レベルは高く、自分が今どういう状況なのかはハッキリと認知できた。それゆえの余裕を見せていたが、あまりに状況が改善されないため、さすがにヤバイと感じ始める。時刻は既に0時を回っていた。近くに住む両親に電話しても繋がりはしないだろう。

(となると救急車か?でも家の鍵閉まってるぞ。立てるかな?)
そもそも手元にケータイもないし服も着ていないため、救急車を呼べる状態ではない。ここは一念奮起して状態を整え、用意を済ませてから電話しようと試みる。

が、ダメ!
立てない!圧倒的眩暈!!ぐるぐる回り続ける世界!
前後不覚の五里霧中!(は?
(いや、なんだこれマジでシャレになってねぇ!)
一度眩暈の波が落ち着いた瞬間を狙い、どうにか社用携帯を手にすることはできた。だがそれ以外はとても無理。移動そのものが不可能に近い状態。ケータイを手にしたまま再び床に伏すとし太郎。その様は地面を這いつくばる虫けらのよう!哀れとし太郎!

(つーかなんか今の立ち上がったやつのせいで吐き気してきたぞ。頭痛と吐き気ってオイ)
頭痛、吐き気、そして悪寒。いわゆる「ヤバイ状況」を報せる要素がビンゴの状況。とはいえ意識だけはクリアで思考はかなりハッキリしている。この時点では親へのしつこい連絡か、はたまた救急車か否かで悩んでいた。しかし。

おrrrrrrrrr(表現をマイルドにしてあります
堪らず嘔吐!リバース!Death and Rebirth!(旧劇場版エヴァンゲリオン タイトル)

(あ、これはダメ。やばいやつ。あかんやつ)
自分で作ったゲロの海を目の前にしながら、とし太郎は119番へ!

「消防ですか? 救急ですか?」
「救急です。激しい頭痛で倒れました。一人暮らしでアパート2階、ドアカギかかってます」
「お名前とご年齢よろしいですか?ご家族の方ですか?」
「世界の愛されキャラとし太郎、4歳、本人です。一人暮らしで誰もいません。頭痛と嘔吐です」
「やったーとし太郎と喋っちゃったあとでサインちょーだいね! 最悪、カギぶっ壊すけど良い?」
「かまわん、やれ」
「ほな今から行くわ」

今思い返すと自分でも信じられないぐらい端的に必要な情報を説明した。3分しないうちに遠くからサイレン。その音で安心したのか、頭痛と吐き気が加速。いや待て、ここで緩むな。まだ終わってないぞ。と言い聞かせる。

救急隊より入電。
「なー、ドアの鍵開けられへんの?ちょっと頑張ってや」
「無理……ピクリとも動かれへん」
事実、この時とし太郎の体は鉛のように重く動かせなかった。死力を尽くしさえすれば、多少は動けたかもしれないが、それは文字通り命懸けに等しく、「助かるために命を危険にさらす」という本末転倒な行動と言えた。のちにこの判断が正しかったと知ることになる。

「ドア壊すの無理やし、二階の窓から行くわ。マジでぶっ壊すよ?」
「ええ。かまへん。はよやれ」
「ホンマにええねんな? 後で文句言うなよ?」
「ええからはよやれや」
賃貸アパートに響く複数人の足音。外にかかるハシゴの音が聞こえる。ベランダに到着したであろう救急隊員たちが準備を整えているのが分かった。「要救助者確認。倒れています」
「とし太郎さーん、ガラス割っちゃいますよー!」
「これいける? でもいかなダメか」
背後で何やら話し声は聞こえるが、もはやとし太郎には振り向くことさえできない。背中越しに感じる頼もしい気配はしかし、次の瞬間、轟音と破壊音によって掻き消えた。

ドゴーン! ドゴーン! ドゴーン!! ドッガラガッシャーーーン!!!(え?そんな割り方する?)
部屋中にガラスの破片が飛び散るのを感じるとし太郎。
当然、パンツ一丁の体にも降りかかったのが分かる。
いや、もっとこうさ、窓のドアロックんとこだけパリン、って割るとかさ、そういう感じでよくない?なんでそんなラフメイカーが鉄パイプで割るみたいにいったの?あまりの轟音と破壊音で一瞬冷静になるが、殺到した救急隊員たちによって思考は遮られる。
「持っていくものとかありますかー?」
「わかりますかー?お話できますかー?」
「嘔吐確認。頭の扱い気を付けて」
「とし太郎さん、吐しゃ物拭くのにタオル借りていっすかー?」
「サイフとか保険証、貴重品どこですー?」
助けが来てくれた安堵感、想定外にぶっ壊された窓とその騒音、悪化の一途をたどる体の状態、意識を保たせる為かあれこれ聞いてくる救急隊員、部屋の中へと容赦なく侵入してくる冬の外気、様々なものが一気にとし太郎へと襲い掛かる。どうにかこうにか質問に答え、抱えあげられた瞬間にまたもや激しい嘔吐感。もはや頭を動かすと嘔吐するのはデフォのような気がしてくる。推定7,8名の隊員たちに救い出され、救急車へ。瞳孔の開き具合、手足のマヒ状態などをチェックされるが、なるべく正確に伝えようと「大丈夫だぜアピール」するとし太郎。実に健気だが、この判断はあとあと自分の首を絞めることになる。その他あれこれ状態の確認をされ搬送先が決まると一路病院へ向かうことになったとし太郎。

薄れていく意識のなか、見てもいないはずの、ゲロの海に降り注いだガラスの雨が見えた気がした。

(中編へ続く)

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