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なぜプロテニスプレーヤーという職業を選ばなかったのか。

テニスファナティックスの古村です。
今日も記事を読んでいただきありがとうございます。

Twitterで呟いたところ、私がプロという職業を選ばなかった理由について興味を持っていただいてる方が意外にも多かったので、noteに書いてみようと思います。

今日の記事は、古村賢紀という人間に興味がない方にとっては、超絶つまらない内容で、長文駄文で時間も無駄になりますので、そっと閉じていただければと存じます。

テニスファナティックスでは、Youtubeの動画やnoteの文字情報などを通じて、テニスに関するいろんな情報をお届けします。よろしければチャンネル登録していただけると嬉しいです。

では本文です。

◆プロテニスプレーヤーになるためには

まず最初に、どうなったらプロテニスプレーヤーになれるかというと、日本テニス協会に申請して、講義を受けて、登録料(10,000円/年)を支払えばプロライセンスが発行されます。プロテストはありません。
(一応、基準はあるようですが、どこまで厳密にみられているかは存じ上げていません。)

これで「プロ」と名乗ることはできるのですが、それだけでテニスで飯が食えるようになるわけではありません。

やはり「プロ」たるもの、試合に勝って大会の賞金で食えるようにならないといけません。あるいはスポンサーがつくだけの魅力のある選手にならなければいけません。

年間を通してテニスのツアーで世界を転戦して、体のメンテナンスもして、コーチも雇って、そして生活するためには1千万円とか2千万円とかが必要な世界です。今の日本のプロテニスプレーヤーの中で、純粋に賞金だけでこれだけ稼げている選手は何人くらいいるのかって思ったりもします。

◆プロという職業を選択するタイミング

ほとんどのケースにおいて、プロになるかどうかを判断するタイミングは、高校卒業時か大学卒業時だと思います。少数派ながら、実業団のある企業にサラリーマンとして就職した後、プロに転向する選手もいたりします。

私の場合、今振り返って考えてみると、高校卒業時が一番可能性が高かったと思います。

◆高校3年のとき

高3の春、私はある目標を掲げました。

私の同い年には現デ杯監督の岩渕聡がいて、1コ下に鈴木貴男がいて、この年の全国大会(4月のマルコーウィンブルドンジュニア、8月の全日本ジュニア、そしてインターハイ)は全てこの二人で決勝を戦うだろうと誰しもが予想していました。

私が立てた目標は、この全国大会のどれかで岩渕か貴男のどちらかに勝って決勝に進出すること。

そして、それができたらプロになるということでした。

結果、全日本ジュニアの18歳以下の準決勝で貴男に勝利し、決勝に進出したのですが、この時はプロになることは選択せず、大学に進学することにしました。(ちなみにマルコーウィンブルドンジュニアは1回戦負け、インターハイは準決勝で岩渕に負けました)

◆大学4年のとき

慶應義塾大学に進学した私は、授業の合間を縫ってJOP大会に出場したり、国内外で開催されていたサテライト・サーキット(※)やチャレンジャーに出場していました。

※サテライト・サーキット:
今のフューチャーズ大会ができる前に存在していたITF下部大会。位置づけ的にはフューチャーズの下のレベル。毎週トーナメントをやって3週間(つまり3大会)の結果の上位24人だけが最終週のマスターズに出場できて、そこまで行かないとATPポイントがもらえない大会。

95年には主催者推薦としてジャパンオープンのダブルスで本戦に出場させていただき、97年にはユニバーシアードの日本代表に選出していただきました。

このときの自己最高ランクは、JOPで32位、ATPで920位というものでした。それでも大学卒業時にプロになることを選ばず、普通に会社に就職しました。

◆就職後

三菱電機という会社には普通の会社員として入社しましたが、会社の実業団チームには所属していて、県予選から勝ち上がり日本リーグに出場することができました。(今では数人のプロを抱え、サラリーマン選手も頑張っていて優勝を目指すチームになっています)

休みをうまく利用して国内外のフューチャーズに挑戦したこともありました。(30歳手前くらいで2回ほど予選を勝ち上がって本戦進出しましたが、そのうち柏の大会では1回戦で添田豪選手にボコボコにやられました)

そんな感じでテニスを続けていましたが、フィジカル的にまだ動けるうちに数年間限定でプロツアーを周りたいと思うようになって、実は上述のプロライセンスを取るだけ取ったのですが、結局そうすることなく逆にビジネスマンとしての成長を求めて三菱商事という会社に転職することになりました。

◆なぜプロにならなかったか

上述の通り、大学に通いながらでJOPの32位になれたので、年間を通して計画的にツアーを周れば恐らく20位以内とか、10位以内に入る自信はありましたし、ATPでも500位くらいまでは行けるんじゃないかと思っていた時期もありました。

ただ、プロとして生活ができるほど稼ぐのにそれで十分かどうかというところに自信が持てませんでした。

多分自分なんかがプロになっても、プロ活動に十分な資金を支援してくれるスポンサーなんか見つからないだろうし、肘のケガもあってどれだけ現役が続けられるかも未知数だったし、プロでやっていけるのは同世代だと岩渕とか貴男みたいにズバ抜けてる選手だけだろうし、それより就職して会社員として仕事をして安定した生活を送る方がよいとの結論に至ったのです。

この結論に後悔はなかったかというと嘘になります。

私と同じくらいのランキングや実績でプロになった選手も多くいます。あのままテニス続けてたらなぁ、なんてタラレバも考えたりもします。

◆古村賢紀のこれから ~テニスとの接点を持ち続けたい~

今からツアープロにはなれませんし、テニスコーチを仕事にすることも考えていませんが、なんとかテニスとの接点を持ち続けたいという思いがあります。

なのでYoutubeを始めたというのもあります。

テニスを通じていろんなことを経験させていただいたし、いろんなことを学ぶこともできたと思っています。

やはり自分の最大のセールスポイントはテニスなので、少しでもテニス界に恩返しができるよう、テニスファンが一人でも増えるよう、いろんな方とテニスで繋がることができればと考えていますので、これからもYoutubeで動画を作ったり、いろんな方のテニスの場に突然お邪魔したりしようと思っています。笑

長文、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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